「歴史風化させず未来の教訓に」
戦前や戦中に、朝鮮半島から茨城県内の鉱山や炭鉱などに強制的に連行されたり、過酷な状況下で労働を強いられた朝鮮人の歴史を振り返る講演会「茨城における朝鮮人強制連行を知る8・25集会・デモ」(主催:戦時下の現在を考える講座)が25日、つくば市竹園、竹園交流センターで開かれ、県内外から約20人が参加した。
講師を務めたのは、茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊塔管理委員会の事務局長で、実父が炭鉱労働者だった張永祚(78)さん。強制連行された朝鮮人が働いていた日立鉱山をはじめ、県内各地の歴史を振り返りながら、「未来への教訓とするためにも、歴史は風化させてはいけない」と訴えた。講演会の後は主催者によるデモ行進が市内で行われ、約15人が「差別、排外主義を許さない」「ヘイトスピーチを許さない」などと声を上げた。
父は炭鉱労働者に
張さんは北茨城市関本町の炭鉱で生まれ育った在日朝鮮人2世。日本の植民地下にあった朝鮮で農家の長男だった父親は、植民地政府に土地を没収され、貧困の中で仕事を求めて日本に渡り、全国各地で仕事を求めた末に炭鉱のある北茨城市に来た。
地元の小学校に通った子ども時代、「臭い」「汚い」といった暴言を周囲から浴びせられた。差別を受ける苦しみから母親に対して「なんで俺を朝鮮人に産んだんだ」と叫んだこともあったという。日本の学校で「張田」を名乗っていた張さんは、中学から水戸の朝鮮学校に通うと、初めて朝鮮の名前で生活する同級生たちに出会った。文化や歴史など自身のルーツを学び、自身のアイデンティティーへの誇りを感じ、仲間との一体感に心を和ませることができたと話す。
現在は、日立鉱山(日立市)での犠牲者を追悼するため1979年に在日朝鮮人らによって建てられた茨城県朝鮮人納骨塔の管理委員会で事務局長を務めている。日立鉱山では約4000人の朝鮮人が劣悪な環境下で働き、多くが名前や出身地が分からず無縁仏となっている。慰霊祭を毎年9月に納骨塔のある日立平和霊園(日立市諏訪町)で開催し、歴史を語り継ぐために日立鉱山を巡るワークショップも随時行なっている。今年は9月28日に慰霊祭を催す。
張さんは「日本政府が『労務動員計画』を作成した1939年以降、(民間の)事業主による朝鮮人の『募集』が始まった。その後は官による『斡旋』、『徴用令』と三段階で国家権力による強制連行が行われた。炭鉱などの労働現場では環境の劣悪さから命を落とす人も多く、逃亡を防ぐために朝鮮の家族を一緒に住まわせるなどしていた」と説明した。さらに「誰が何のためにこういうことをしたのか。歴史を知ること、学ぶことで未来への教訓にし、歴史的事実を風化させてはいけないと胸に刻んでいる。戦争は絶対にダメだという思いでいる。二度と戦争は起こさないよう皆さんと共に頑張っていきたい」と語った。

群馬県の行政代執行きっかけ
神奈川から講演会とデモに参加した雨宮圭一郎さん(28)は、パレスチナ問題への関心が参加へのきっかけになったとし、「学校では深く教えてもらえなかったテーマで、関係者の生の声を聞く機会は貴重。知らなくても生きていけてしまうことが、知っていくことの重要性を感じた」と話した。
主催団体の藤田康元さん(58)は「今年1月29日に群馬県高崎市の県立公園にあった朝鮮人追悼碑が行政代執行により暴力的に破壊された。その報道などをきっかけに、若い世代も含めてなぜ追悼碑があるのかが知られるようになった。茨城でも日立鉱山を主に、それ以外にも羽田精機竜ケ崎工場、海軍西筑波飛行場、常磐南部炭田、日立製作所水戸工場、日本通運土浦などでも多くの朝鮮人が連れてこられたことが知られている」とした上で、「強制的に連行されたという歴史を否定する動きがある。自分たちが暮らす地域の歴史を自分たちで調べ直すことは、事実が修正されないためにも重要なこと。今回のイベントが、歴史に対する各地の動きにつながるきっかけになれば」と思いを語った。(柴田大輔)