【コラム・オダギ秀】「麦わら帽子」写真の楽しみは、毎日、何でもないことを撮れることだった。ボクがふと撮った日常の写真が出てきたので、その話をしようと思う。
もう20年も昔の話だ。技術的には何もないが、ふとした瞬間を撮る楽しさがあった写真だ。その楽しみは、今も続いている。カメラなんて何でもいい。写真さえ撮れれば、その写真を撮った瞬間がよみがえり、人生がその瞬間に戻るのだと思う。
あの日、にぎやかな目抜き通りの歩道に、1台のリヤカーが止まっていた。いつもの「おばちゃん」のリヤカーで、毎日のようなことだったから、そのことはみんな知っていたが、誰もリヤカーを邪魔だなんて言わない。
今日は「おばちゃん」は、暑かったのだろうか、帽子を脱いでリヤカーを離れたようだ。
街のみんなは気を利かせて「おばちゃん」なんて呼んでいる。が、本当は、腰の曲がった、見事に上等に年をとってる「おばあちゃん」だ。おばちゃんの前では「おばちゃん」と呼ぶが、離れて呼ぶときは、みんな「おばあちゃん」と呼んでいる。
みんなで「おばちゃん」のリヤカーを囲む
「おばちゃん」は小1時間あまりもかけて、毎日のように、自宅からリヤカーを引いて来ると、ボクの仕事場の先の、目抜き通りの歩道に置く。そして、運んできた小袋入りの、自分で作った野菜を、近所の店などに売り歩く。ネギとかトマトとか、ジャガイモ、ナス、トウモロコシなど。おばちゃんの家は農家のようではあるが、誰も知らない。
ただ、運んでくる野菜は、自分で作っていると、自慢げに話すから、誰もそう信じている。それと、かなり遠い道を、リヤカーを引いて来るらしい、と。
もう長年の習慣で、誰も歩道に止めたリヤカーを邪魔だなんて言わない。「おばちゃん」が戻れば、みんながリヤカーを囲む。野菜買いをするのだ。それは楽しみだ。おばちゃんは、自分がもってきた野菜が、いかにいいものか、どんなに苦労して育てたか、ひとしきり自慢する。みんなは、ふんふんと、ただうなずく。
おばちゃんが、リヤカーで引いてくるのは、野菜やおばちゃん自身の健康だけでなく、街の人たちを励ます気持ちと楽しみなのだった。
ボクがリヤカーの上の麦わら帽子を撮っていると、あ、おばちゃんが戻って来たようだ。ボクはカメラを戻した。あの麦わら帽子、どうしたでせうね。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)