日曜日, 4月 5, 2026
ホーム土浦土浦公園ビル物語 亀屋食堂【戦争移住者の営み今に】1

土浦公園ビル物語 亀屋食堂【戦争移住者の営み今に】1

8月15日の終戦により、海外からの引き揚げ者や他県からの無縁故者、復員軍人らが土浦にも数多く移住した。右籾、中村地区にあった将校宿舎などの軍関連施設は「引揚者寮」として利用され、一時3500人余りが暮らし、農村地域では縁を頼った引き揚げ者による開拓が始まった。土浦の中に、戦争が生んだ「移住者」による営みが現在に引き継がれている。

バラックから始まった

土浦市中央にある亀城公園の隣に、長さ約100メートルの3階建の「公園ビル」(同市中央)がある。食堂や印刷店などが入居し、1階が店舗、2、3階が居住空間となっている。現在の建物は、終戦直後の1947年に困窮する引き揚げ者や復員軍人の救済を目的にバラック式で建てられた、住居一体型の「公園マーケット」を58年に建て替えたものだ。当時は珍しかった鉄筋コンクリート造だった。市主催の桜祭りに合わせて開かれた竣工式・開店大売り出しには県外からも見物客が訪れるなど多くの来場者でにぎわった。

亀城公園脇に建つ公園ビル

現在、公園ビルの各店舗を所有する17軒による「公園ビル商業協同組合」で代表理事を務めるのが、同ビルで創業77年を迎える「亀屋食堂」を営む時崎郁哉さん(49)。SNSでも話題に上る名物のかつ丼を求めて県外からファンが訪れるなど、地元以外にも新しい顧客を増やしている。郁哉さんは公園ビルで生まれ育った3代目。「ここは長屋みたいなところで、誰もが子どものころからよく知る近しい関係。学校が終わると亀城公園で近所の子ども同士でよく遊んだ。亀城公園は僕らの社交場でしたね」と話す。

同店の創業者で、同組合長を長年務めたのが祖父の故・時崎国治さん。1906年に福島県大玉村で生まれ、海軍航空隊に志願し土浦に来た。戦後、公園ビルの前身となるマーケットで1947年に亀屋食堂を開いた。開店当時の名物は、卵と小麦粉を使わず水だけで繋いだコロッケと秋刀魚のフライだったと郁哉さんが言う。

亀屋食堂初代の時崎国治さん

「昭和20年代に店に来てくれていた人に『コロッケは忘れられないよ、今も思い出す』と以前はよく言われてたんですよ。その世代の方も大分亡くなっちゃって寂しいですが、何もない時代だったからこそ、そういうものもご馳走だったのかな。当時、魚はよく獲れてたけど肉は貴重だったんですよね」

救済のため建設を請願

国治さんが「公園ビル」の歴史を、91年に作った冊子「公園ビル四十五年の歩み」に記している。同書によると「復員軍人、満州中支引揚者」の生活再建の場として、亀城公園のお堀から霞ケ浦へ注ぐ水路上に27軒からなる「公園マーケット」が建てられたのが1947年10月だった。最初の建物は「(水路上に)杭を打って建てた杉皮葺の急造バラック」で、一戸あたりの広さは「店舗二坪と四畳半一間」。押入れやお勝手はなく、トイレは5軒に一つだった。国治さんは「冬の寒さが堪えた」としながらも、土浦駅前には5、60人の引き揚げ者が暮らすバラック住宅が他にもあり、「贅沢(ぜいたく)は言えない」と述べている。

終戦直後の土浦が直面したのが急激な人口増加だった。1946年9月の土浦市議会議事録によると、45年11月1日時点で4万3665人だった人口が、9カ月後の46年8月5日には約7000人増の5万629人に増えている。各地から流入する引き揚げ者や戦災者たちによるもので、その増加数は月平均770人余り。

こうした背景の中で、1946年10月、移住者たちを救済するため住居と店舗を兼ねた「バラック式マーケット」の建設を説いた請願書が、「土浦市真鍋戦災者引揚者互助会」(萩原孝会長)から市議会に提出された。マーケットの建設場所として、かつて「前川マーケット」という商業施設があった現在の公園ビルが建つ旧前川町(現・中央2丁目)を流れる水路上が提案された。この新施設の建設計画は市内の「貸家組合」と呼ばれる団体が請け負った。地元住民の要望により関連機関と折衝をし、土浦市を保証人として43万円の建設費用を銀行から借り入れた。こうして47年10月に「公園マーケット」が建てられた。

創業当時の亀屋食堂

「よそ者同士の集まりで、当初は軋轢(あつれき)もあったそうです」と郁哉さんが話す入居者たちは、各自で商売を始めつつ共同事業として亀城公園のお堀でスワンボートの貸し出しをスタート。売上金でマーケットにアーケードを作るなどして徐々に結束を高めていった。

その後、1951年にはマーケット組合を結成し組合長に国治さんが就任し、老朽化する建物の建て替えに向けて動き始めた。56年には現在の「公園ビル商業共同組合」を発足させて、58年4月の現在の建物完成へとつながった。

郁哉さんは「長屋時代のことは直接知らないが、みんな苦労してきた人たち。軍人だった祖父は特に仕事に厳しい人だった。お客様に対するマナー、相手の気持ちになるよう教えられた。いたずらをして木につるされたのもいい思い出」だと振り返る。

レトロブームで女性客も増えた

現在の名物かつ丼は、2代目の父・次郎さんが始めたものだ。夏の高校野球の季節になると、弦を担ぐ関係者からの注文が増えるという。

名物のかつ丼

「最近はレトロブームもあって、純喫茶やうちのような食堂にも若い人がよく来てくれる。以前は少なかった女性客も増えた。部活帰りの高校生が店の前に自転車をいっぱい並べてゾロゾロ入ってきてくれる。いい光景ですよね。みんな若いから、こっそりご飯大盛り。おまけしたとは言わないけどね。個人店だとそういうのができる。部活やってたら腹減るでしょう。高校生ならいくらでも食べれるからね」と郁哉さんは言うと、「お客さんも若い人が増えているので、こういう食堂文化を伝えていけたらと思ってます。フードコートとは違う、長年やってるこういうところもあるんだよってね」と語った。(柴田大輔)

続く

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

10年の区切りに…《令和樂学ラボ》40

【コラム・川上美智子】45年にわたる大学勤務を70歳で終えて、ちょうど10年が過ぎた。老後の時間をどのように過ごすかは、誰にとっても大きな課題であろう。それまでの経験を生かして生きがいを持ちながら、自分を活かす方法を探ってきた10年間の足跡を総括してみた。 大学では73歳まで非常勤講師として勤務できることから、3年間は週2コマ程度の授業を担当しながら、新たに水戸に開設された民間の認可保育園の園長を3年間務めた。大学勤務の時に茨城県初の認定こども園設置のモデル事業を担当した関係で、幼児教育には少しはなじみがあったが、保育現場で発生する課題の多くを知る3年であった。 ここで学んだ経営管理手法を生かし、つくばの認可保育園「みらいのもり保育園」開設に関わることになり、準備期間1年、園長4年を務め、その後は会社のアドバイザーの立場で関わりをもっている。今年の3月にはゼロ歳児であった園児が卒園を迎え、旅立ちの姿を見届けることができた。 毎年、園児には卒園制作として陶芸体験をさせ、ペンダントを作らせている。どの子も思い思いにユニークな形に練り上げ、出来上がりをとても楽しみにしてくれる。卒園後、宝物やお守りのように大事にしてくれる子もいる。こちらも、大学生や院生に卒論や修士論文を仕上げさせた時のように、一緒に小さな達成感を味わっている。 これと並行して某社を訪問し、週1~2時間、野菜関係の商品開発や研究などについて社長より相談を受けている。こちらは、筆者の専門領域を生かせる分野であり、研究や学びの継続につながっている。 またNPO活動の「子ども大学常陸」では、長らく学長と理事を務めており、年1回、小学生を対象に大学レベルの授業をわかりやすく行っている。このNPOでは、若い理事長が積極的に動いており、日立駅前の子どもの屋内型遊び場「Hiタッチランド・ハレニコ」運営の指定管理を日立市より受けていて、ほぼ年中無休で開館している。 さらに先日は、高萩ユーフィールド運営会社と連携協定を結んだ。屋内だけでなく、緑豊かな自然環境の中での子どもたちの体験活動プログラムを展開して、広く子どもの育ちを支援できればと考えている。 ボランティア活動にもいろいろ関わってきた。ロータリー活動の一環で、水戸市内の子どもの遊び場の玩具の清掃、年1回の障害のある子どものアート展開催、子どもフードパントリーの手伝いなど、また学区内の学校運営協議会への参加、町内会長としての防犯パトロールなど、高齢なりに地域活動ができたと思う。 次の10年こそは… 趣味が高じた陶芸活動にも少し欲が出てきている。暇を見つけての作陶で一つの作品を作るのに時間はかかるが、展覧会に出す大型作品の制作だけはずっと続けて行きたいと考えている。 地域に役立つことと自己表現に力を入れた10年であったように思うが、本当に短かった。次の10年こそは、断捨離と研究の整理など先延ばしにしてきた自分のことをやり、子どもや孫と過ごす時間も大切にしたいと思っている(関彰商事アドバイザー、茨城キリスト教大学名誉教授)。

さくら小学校が開校 TX沿線の学校新設に区切り つくば市

図書館や音楽室を地域に開放 つくばエクスプレス(TX)沿線開発地区のつくば市中根・金田台地区に新設された市立さくら小学校(同市春風台)の開校式が3日催された。沿線開発に伴う人口増に対応する開校となる。現時点では、2005年のTX開業後、10年代から続いた同市内の小中学校新設ラッシュの最後の一校となる。市内の小学校としては義務教育学校を合わせて37校目。 同校は、児童数増加により教室不足が見込まれる栗原小、栄小、九重小の3校から分離する形で誕生した。6学年全体で特別支援学級を含む24クラスに約570人の児童が通学する予定だ。 2024年7月に着工し、今年2月に工事が完了した。校舎は鉄筋コンクリート造3階建て、内装に県内産の木材を利用した。各階にバリアフリートイレを設置し、車椅子用の手洗い所を設けるなどバリアフリー設備を備える。延べ床面積は約8074平方メートル。総事業費は約66億9500万円。 図書館や音楽室などは地域に開放する。放課後児童クラブ機能を持つ「アフタースクール」を併設し、保護者の就労状況にかかわらず子どもを受け入れるなど、増加する子育て世帯に対応する。アフタースクールの併設は、沼崎小に続いて市内で2校目となる、災害時には地域の防災拠点としての機能を担うため、校舎に約60キロワット、体育館に約20キロワットの太陽光発電パネルを設置し、蓄電池や非常用発電機、LEDソーラー街灯を設置する。 校名や校章は、児童や保護者、地域住民らによる公募とアンケートを経て決定された。校名のさくらは、栄の「さ」、九重の「く」、栗原の「ら」から一字ずつをとった。校章は桜をモチーフに、「温故知新」や自然と科学の調和を表現した。校歌は、歌手の一青窈さんの楽曲など多数のヒット曲を手掛ける常陸太田市出身の作曲家・マシコタツロウさんが作詞・作曲した。 開校式であいさつに立った岡野知樹校長は「子どもたちが失敗を恐れずに挑戦できる環境づくりを目指し、地域の方たちにとっても新しい発見がある場所にしたい」と思いを語った。五十嵐立青市長は「図書館などの施設を地域の皆さんも使いやすいよう設計している。活用されることで、いずれ訪れる人口減少を見据えたコミュニティ形成をしていくことが重要になる。この場所で子どもや先生たちが幸せに過ごし、地域の人たちとのコミュニティの中で手本となるような場所になっていければ」と述べた。 TX沿線の同市の学校新設は、2018年度に研究学園駅周辺の葛城地区に学園の森義務教育学校、みどりの駅周辺の萱丸地区にみどりの学園義務教育学校が開校した。その後、22年12月時点で学園の森義務教育学校の児童生徒数が2000人を超えるなど、新設校の児童生徒数がさらに増加し教室不足が見込まれるなどしたため、ここ数年は新設校を分離する形で新たな新設校が誕生している。23年度は学園の森義務教育学校を分離して研究学園小中学校が新設された。同年には万博記念公園駅周辺の島名・福田坪地区に香取台小も新設された。さらに24年度はみどりの義務教育学校を分離し、みどりの小中学校が新設されている。 さくら小学校のある中根・金田台地区は、市の中央部近くのTXつくば駅から東側約2~4キロに位置し、市内でも人口が増加している地域の一つだ。新興住宅地として整備が進み、将来的には8000人余りが暮らすことが見込まれている。(柴田大輔)

「小さな目標から一つずつ実現を」 日本国際学園大で入学式 つくば

3期生160人が入学 日本国際学園大学(橋本綱夫学長)の入学式が4日、同大つくばキャンパス(つくば市吾妻)で催され、3期生160人が入学した。同大は筑波学院大学から大学名を変更し一昨年4月に開学した。3回目の入学式となった2026度の新入生は昨年の約2倍になった。 式典で橋本学長は「大学に入った目的を思い出して欲しい。そして目的のために目標を立てることが必要。目標は小さな目標から一つずつ実現していくことで、最初の目的を実現させることができる」と話した。総代としてミャンマー出身のアゥンカゥンミャットさんが橋本学長から入学許可書を受け取った。 新入生を代表して安達歩夢さんは「自ら課題を見出し行動する主体的な姿勢が求められる。新たな環境の中で不安や戸惑いを感じることもあるかも知れないが、一つ一つの経験が将来につながると思う。これから知り合う仲間たちと切磋琢磨を重ね視野を広げるような交流をしていきたい」と語った。 在校生を代表して経営情報学部ビジネスデザイン学科4年生の八木翔平さんは、新入生に向けて「大学生活は高校までと異なり、自ら考え、選択し、行動することが求められる。授業も自分で選び、それが将来につながっていく。またこの大学は留学生が多いので、異なる文化や価値観を学び合うことができる。一人一人が可能性を広げ、挑戦を恐れずに様々なことに取り組んでほしい」とエールを送った。 同大は1990年、東京家政学院大の筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学に、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。一昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する東北外語観光専門学校に日本国際学園大の仙台キャンパスを設置し、つくばと仙台にキャンパスがある。(榎田智司)

水戸市とつくば市の外国人居住者調査《水戸っぽの眼》11

【コラム・沼田誠】茨城県の外国人政策が変化している。その象徴が2026(令和8)年度予算案に盛り込まれた「通報報奨金制度」だ。外国人を不法に受け入れている事業者について、市民から具体的で根拠のある情報を募り、有益な情報には報奨金を支払うという。茨城は不法就労の摘発数が全国で最も多く、何らかの対策が必要だとしても、このような制度設計は都道府県レベルでは異例だ。その背景には外国人住民の急増がある。全国の在留外国人数は、2025年6月末で395万人に達し、この10年で約1.7倍に膨らんだ。茨城県の在留外国人数も5.8万人から10.6万人とほぼ倍増している。農業・建設・サービス業を中心に、外国人なしでは成り立たない産業構造が広がる一方、外国人居住者と日常的に隣り合わせになるという現実は、多くの県民にとって初めての経験だ。 県が「適正化」を強めるのであれば、市町村には「地域で暮らす外国人住民をどう支え、社会参加につなげるのか」という別の役割が問われる。水戸市やつくば市は、増加する外国人住民にどう向き合っているのだろうか?水戸50人に1人:つくば20人に1人 水戸市の在留外国人数は4772人。人口比では1.8%だが、県都としては無視できない規模だ。その対応策の相当部分は、外郭団体の水戸市国際交流協会が担っている。2022年に公表された市政モニターからの政策提言への回答では、同協会が運営する国際交流センターは、外国人市民の実態やエスニックコミュニティの状況をこれまで調査しておらず、具体的な課題をあまり把握できていないと認めている。 つくば市の在留外国人数は1万4650人と県内最多で、住民の20人に1人が外国人になっている。この10年で約5000人も増加しており、研究者や留学生に加え、就労目的の外国人が増えているとみられる。こうした変化を受け、市は2023年3月「第2次つくば市グローバル化基本指針」を策定、「すべての人にとって住みやすいグローバル都市」をゴールに掲げ、日本語学習支援を「都市インフラ」と定義した。 ただ、この指針の根拠となる「つくば市外国人市民意識調査」は、ウェブ方式で実施されており、情報アクセスが限られている層の声や実態が十分拾えていない可能性がある。これに対し大阪府豊中市の「外国人市民アンケート」(2023年3月)では、住民基本台帳から無作為抽出した対象者に、多言語の調査票を直接郵送する方式で行われ、孤立感・定住意向・子どもの教育環境まで可視化できている。解像度が異なれば、そこから導かれる施策も変わってくるはずだ。「見えない声」を拾う調査が必要 外国人居住者が安心して社会参画できる環境を設計することは、人手不足に苦しむ産業の持続可能性への回答であると同時に、人権上の要請でもある。その出発点は、泥臭く「見えない声」を拾い上げる実態調査にあるのではないだろうか。私たちは、隣人についてもっとよく知り、理解する必要がある。(元水戸市みとの魅力発信課長)