土曜日, 8月 31, 2024
ホームコラム1980年に開園した洞峰公園《ご近所スケッチ》11

1980年に開園した洞峰公園《ご近所スケッチ》11

【コラム・川浪せつ子】歩いて行ける大好きな公園「洞峰公園」。コラムを書くに当たっていろいろ調べました。上の絵の建物「新都市記念館」は1976年に完成したそうです。公園の完成と一緒と思っていましたが、公園は1980年に開園したそうです。それまでは整備された公園ではなかったということでしょうか?

そして、1985年には国際科学技術博覧会(通称 科学万博/つくば万博)がありました。私はその2年ほど前から市内に住んでいます。そのころはまだ、つくば市という市はなく、1987年に地域の町や村が合併して、つくば市が誕生しました。「本当に昔だなぁ~、懐かしいなぁ~」。

洞峰公園は今までに何度も描いています。ですが今回は、ちょっと視点を変えて描いてみました。これからも四季折々、たくさん描いていきたい。でも一つ問題が…。緑色ばかりで、どうやって木々の緑色の変化を表現するかです。

緑、水、人、花を描く

緑色は色の中でも緑だと人が認識する範囲は多く、色としては一番名前が多いそうです。緑色の信号を青信号と言ったり、新緑を青葉と言ったり、緑色ってどうなっているのだ!ですね。

この公園には洞峰沼があり、水を描く練習にも。人の往来があり、人物を描くことでその場所の雰囲気を演出できる。お花も咲いていて…。おまけに、ステキな建物も数点あり、絵かき人には絶好の場所なのです。(イラストレーター)

新都市記念館入り口付近

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