水曜日, 1月 15, 2025
ホームつくばやりがい感じ、まずはやってみよう【里親1000人へ】㊤

やりがい感じ、まずはやってみよう【里親1000人へ】㊤

親の病気や経済的理由、虐待などで実の親と暮らせない子どもを一般家庭で育てる「里親」を増やす取り組みが、茨城県でも進められている。子どもが育つ上で、特定の大人との安定した関係の中での養育が必要だとして、国は里親への委託を増やすことを方針として掲げている。より多くの人に里親制度に参加してもらおうと、県から委託を受けた事業所らが「里親登録1000人」を目標に活動している。(全3回)

大人のためではなく子どものため

5月、龍ケ崎市在住の恵さん(44)=仮名=の家に子ども用のタンスが届いた。間もなくやってくる里子のためだ。夫婦に子どもはいない。2人の暮らしが少しずつ変化していく。

恵さんの自宅に子ども用のタンスが届いた

恵さんは2年前、里親制度説明会の案内が載っていた行政の広報誌を偶然目にして、里親になることに関心をもった。20代のころに聞いた里親経験者や施設で育った知人からの話が心に残っていた。

里親制度説明会の会場となるのはつくば市高崎の「さくらの森乳児院」だ。社会福祉法人同仁会(塩沢幸一理事長)が運営し、県から委託を受けて里親制度の普及促進とリクルート活動を進めている。

「自分たちに子どもはいないが、虐待など子どもに関するニュースに触れるたびに何かできないかと考えていた」と恵さん。夫婦共に40代を迎え「里親になるのもいいかもしれない」と思っていた。一方で「とても大きな責任が伴うこと。うまくいかなかったからといって、簡単に『止めます』というわけにはいかない。本当に自分たちにできるだろうか?」と不安があった。「まずは話を聞くだけ、行ってみようと思った」と話す。

気軽な気持ちで参加した説明会で最も心に残ったのは、里親支援機関である乳児院の職員が強調した「里親制度は子どもが欲しい大人のための制度ではなく、子どものための制度」ということだった。同時に、里子になる子には虐待を受けて心に傷を負っている子が多く、里親に馴染むのに時間がかかるという話もあった。「覚悟がいるなと思った」と振り返る一方で、里親を支える仕組みがあることに勇気づけられた。

里親支える仕組みがある

里親が子どもの養育に悩んだとき、里親支援専門相談員という職員にいつでも相談することができるとの説明もあった。一時的に、他の里親に子どもを預けるレスパイトといった制度もある。定期的に開かれる里親サロンでは、里親同志の交流も生まれている。子どもを委託される前には、地元自治体の担当課や地域の福祉事業所、学校、保育所など、子どもに関わる人たちと顔合わせをする里親応援ミーティングも開かれる。手当ての支給もあり、経済的な負担も少ないことがわかった。「子どもにまつわる問題をチームで養育に当たるのが里親の養育」という話も、恵さんの背中を押した。

「問題を抱える子どもや思春期の子どもへの対応や、これまでの生活がどう変化するのか予想がつかず不安もあったが、それ以上にやりがいも感じた。でも、まずはやってみよう」と夫と話し合い、座学や児童養護施設などで6回の研修を経て、里親として登録をしたのが昨年10月のことだった。

恵さんの部屋には、施設でのマッチングのために夫婦で用意したエプロンがある

その後、児童相談所から恵さん夫妻に里子の委託に向けた連絡があり、今年3月から里子を受け入れるために子どもが暮らす施設を週に2、3度訪ね、一定の時間を共に過ごしながら子どもとの関係を作るためのマッチングを進めている。

その間、施設職員から受けるサポートに「子育て経験がない中で、とても安心して子どもに向き合うことができた」と話す。順調に進めば、7月中に里子を委託される予定だ。「まだ不安も大きいが、楽しみもある。他の里親さんからのアドバイスもとても貴重でした。周囲に頼りながら子どもと向き合っていきたい」と話す。

続く

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

松代公園の雪景色《ご近所散歩》14

【コラム・川浪せつ子】松代公園(つくば市松代)の雪景色は2年前の1月にも掲載したのですが(23年1月20日掲載)、今回は反対側の児童館が見える方向で描いてみました。この公園は家からも近く、四季折々の移り変わりがステキな公園です。ですが、雪を写しながらのお散歩は1時間。とても寒く、連れ合いに連絡し、車で迎えに来てもらいました。 かつて、バスツアーで1人、飛騨高山、五箇山に雪の取材に行きました。その年は雪が少なく、とても残念でしたが…。今年の豪雪を思うと、雪の恐ろしさ、大変さ、お見舞い申し上げます。 話は変わりますが、つくば市周辺のことをもっと知りたいと思い、昨春から「X」を始めました。Facebookは以前からやっていますが、サイト内に「大好き!つくば」「つちうらが好き!」「各地から見える筑波山」などがあり、頻繁に見るようにしています。 つくば市周辺の食べ物店や風景を描くにあたって、自助努力だけではモーラできないと感じています。lnstagramも地域のアップはあるのですが、私の欲しい情報が少ないと感じています。ステキな風景画像はたくさんありますが、私が行けそうな場所がなかなかありません。 つくば市に住んで40数年 「X」の場合、近場の野菜青空市で安く買えた、近くにレストランがあったとか、取材できそうなネタがあります。しかし、つくば周辺の知らない風景、絵になる風景はあまりありません。 なぜか?「X」は登録している方が割と若い。また、つくばに引っ越してきた世代の方々は、仕事や育児などで忙しく、風景にまでたどり着いていないのかなぁ~と。でも若い世代の人が転居して来るって、うれしい! 周辺にはステキな公園があるので、楽しんで欲しいです。 つくば市の人口は26万人を超えました。そして、将来の天皇陛下候補様もつくば市に。茨城県、つくば市周辺の良さ、皆さんに知って欲しいなぁ。きっと、その良さを感じていただけると思います。誰も知った人がいなかった私が、40数年住んで言うのですもの。 そのためにも、この地の良さを発信すべく、これからも絵を描いていきたいと思います。(イラストレーター)

「足りてないこと数字で示したい」県試算につくば市長 県立高校不足問題

児童生徒数が増加しているつくば市で県立高校が不足している問題で、県教育庁が昨年10月「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」と題する資料を示し、「つくばエリア」(つくば、つくばみらい、守谷、常総市など)について「現時点では定員増が必要との判断に至ってない」とする方針を明らかにしたことについて(24年10月24日付、25年1月12日付)、つくば市の五十嵐立青市長は14日の定例記者会見で「(県立高校が)足りてないことを(県に対し)数字で示したい」と述べ、市としてつくば市やつくばエリアの県立高校の学級増を引き続き県に要望し協議を続けていく姿勢を示した。 五十嵐市長が昨年12月23日、つくば市の県立高校の学級増などを求めている市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)と懇談したことに関し、記者の質問に答えて、改めて市の姿勢を示した。 同市の県立高校不足問題について五十嵐市長はこれまで、昨年9月に実施した2025年度の県予算編成にあたっての要望活動の際、大井川和彦知事に対し、市内にある県立竹園高校の定員を1学年2学級80人分、3学年で6学級分増やすための校舎増築費用4~5億円を市が負担すると提案したとしているほか、翌10月に実施された市長選で、市建設費負担による竹園高校の学級増を公約に掲げた。 14日の会見で五十嵐市長は、昨年10月の県試算資料で記されたつくばエリアの状況分析について「実際にそもそも1時間というものが(通学時間の)基準として定められているが、(生徒の)通学時間をまず正確に把握し、正確なデータをもとに議論をすることが必要だと思っているので、それを市民団体と連携しながら進めていきたい」と話した。 その上で「(竹園高校の学級増という)私の公約は(増築校舎の)建設を県に提案したということだが、県としては『足りている』という認識が急に(昨年10月に)出てきたので、それに対し、足りていないということを数字できちんと示すことは大事だろうと思っている。これから実際の数字について(県と)お話をしていきたいと思っている」とした。 さらに「併せて県として今、定員割れしているところ(つくばサイエンス高と筑波高)は増員を進めているという話があったので、それについては今年の出願状況等をみてまた議論しましょうと知事と話をしているので、そういったことを継続して行っていきたい」と述べた。 この問題で市民団体は近く、県教育庁と懇談を予定している。(鈴木宏子) ➡昨年10月の県資料「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」はこちら

雨情とチャップリンとロッキー《映画探偵団》84

【コラム・冠木新市】チョビひげと旅する人生の姿が重なる茨城県出身の詩人・野口雨情と映画監督チャ一リ一・チャップリンは、ほぼ同時代に活躍した芸術家である。日本公開年度は少しずれるが、チャップリンの『黄金狂時代』(1925)、『街の灯』(1931)、『モダンタイムス』(1936)、『独裁者』(1940)が作られたころ、雨情は全国を旅して新民謡を作っていた(映画探偵団31)。 『街の灯』では、放浪紳士が目の見えない花売り娘のために奮闘し、ボクシングの試合に挑む姿などが描かれる。ラストでは、貧しい放浪紳士と手術で目が見えるようになった花屋経営者の女性との再会が描かれる。貧富の差を逆手にとった皮肉の利いたハッピ一エンドが胸をうつ。 50年ほど前、無名ボクサーが世界チャンピオンに挑戦する姿を描いた、低予算で作られた映画『ロッキー』(1976)を見た。脚本・主演を務めたシルベスター・スタローンは、実際のボクシング試合を見て物語を発想したそうだが、私はこの作品の元ネタは『街の灯』だと思った。 ロッキーがペットショップの店員エイドリアンにほれて、世界チャンピオンとの戦いに最後までリングに立ち続ける話で、誰もが共感できるリアルな作品に仕上がっていた。ロッキーとエイドリアンがリング場で抱き合うラストは、テ一マ曲と相まって素直に感動したものである。 その後、『ロッキー2』(1979)、『ロッキー3』(1982)、『ロッキー4/炎の友情』(1985)、『ロッキー5/最後のドラマ』(1990)、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)が作られた。50年近くたった今、ロッキー・シリーズを振り返ると、エキサイティングなボクシングシ一ンよりもロッキーの人間的な描写の方が印象強い。 チャンピオンの妻として強くなったエイドリアンの変貌ぶりにとまどうロッキー、試合に負けたロッキーが最期まで勝利を信じて亡くなるコーチを見送る場面、最愛の弟子に裏切られショックを受けるロッキー、親の七光りに悩む息子とそれを受け止めきれず親として悶々とするロッキーなどの方が思い浮かぶ。 シリーズ物の面白さはそこにある。時代の変化で印象が変わるのだ。私は青春映画の延長として見てきたが、現在の観客だと年を取った男がボクシングにこだわる物語にしか見えないのではなかろうか。そこが映画とともに歩んできた観客と後から見る客との違いではなかろうか。 茨城県の唄シリーズ 私はこれまで雨情さんの唄を独立した作品として、『筑波節』(1930)、『磯原節』(1932)、『水戸歩兵第二連隊歌』(1934)、『土浦小学校校歌』(1935)を見てきた。だが、雨情さんは、故郷に深い思い入れがあった人だ。これらの作品を茨城県の唄シリーズとして見たらどうなるだろうか。印象が変わらないだろうか。関連があるのではなかろうか。 『戦争は唄にはなりゃせんよ』と言っていた雨情さんが、なぜ『水戸歩兵第二連隊歌』を作ったのか。当然、軍歌にジャンル分けされるわけだが、ようやくその謎が解明できそうだ。なんとか1月25日のイベントに間にあった。私の中で、雨情とチャップリンとロッキーがつながった。 思わぬ発見をし、喜んでいる。雨情ファンよ、1月25日の「雨情からのメッセージⅢ 詩劇コンサート 」(山水亭)にご期待ください。サイコドン  ハ  トコヤンサノセ。(脚本家)

アメリカから福島原発事故を考える《邑から日本を見る》175

【コラム・先﨑千尋】昨年12月16日、茨城大学図書館で見出しのテーマの講演会と読書会が開かれた。主催は同大人文社会学部市民共創教育センターで、市民と学生ら約50人が参加した。 第1部は、平野克弥『原発と民主主義―「放射能汚染」そして「国策」と闘う人たち』(解放出版社)の読書会。著者の平野さんはひたちなか市出身で、現在は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の歴史学教授。 1999年に東海村の核燃料施設JCOで臨界事故が起き、2011年には東京電力福島第1原発が大事故を起こした。平野さんはこの2つの事故から、平穏な日常を一瞬にして奪われた人々の声や言葉を拾い上げ、後世に伝えることを思いついた。そして「放射能や原発事故に向き合ってきた人たちが、日本の『民主主義』『地方自治』『故郷』『豊かさ』をどのように考えているのかを聞き出し、言葉にして『思想』として読者に伝えたい」と、本書を編んだ。 話者は、村上達也、小出裕章、武藤類子、鎌仲ひとみ、鈴木祐一、長谷川健一、馬場有、小林友子、崎山比早子、里見喜生の各氏。大部分は福島原発の近くに住んでいる人たちだ。それぞれが平野さんと、原発と地方自治、原発廃絶の闘い、絶望と冷静な怒り、住民なき復興など、経験、体験をもとに語っている。 本書を読んで分かったことは、「原子力エネルギー政策は民主主義の原則と根本的に相いれない。国策の最大の犠牲者は常に子ども、女性。原子力政策は、都市部の巨大消費を支えるために地方を犠牲にする構造をもつ。私たちはライフスタイルの転換が必要」など。 読書会では、原発に関心を持つ市民活動家の谷田部裕子さんや村上志保東海村議など、ひたちなか市や東海村などで活動する住民や議員が同書を分担して読み込み、重要だと思ったところ、みんなで議論したいことなどを報告し、参加者と話し合った。 原爆と原発は命に関わる問題 第2部は、平野さんの「アメリカから福島原発事故を考える」と題する講演会。 平野さんは「原発は、第2次世界大戦後の世界の覇権をめぐる資本主義国と共産主義国の競争と対立から生まれた。アメリカとソ連の冷戦時代には、度重なる核実験によりアメリカや太平洋諸島の先住民たちが被曝し、人体実験の対象にされた。戦争は『国策』、核エネルギー政策も『国策』だ。『国策』とは、国民の同意や審議という民主的な手続きを経ることなく、国家が『国益』という大義名分により主体となって行う政策を言う」と語った。 さらに「日本の原発政策は、広島・長崎の記憶を払拭(ふっしょく)させ、核を新たなエネルギーとして産み出し、利益を得ることを狙いとして考え、位置づけられた。原爆や原発により犠牲を強いられてきた人たちは被害者であり、一方で文明社会を謳歌(おうか)してきた点で加害者でもある。戦争(原爆)やエネルギー政策(原発)は人と自然の命の問題であり、市民である私たちは暮らしを守り、命を守り、人権を主張する。そのことによって本当の幸せが得られる」などと述べた。 日頃あまり考えてこなかった原発と民主主義の関係について、学ぶことが多い集まりだった。(元瓜連町長)