【コラム・高橋恵一】コンビニの建物越しに見える富士山が撮影スポットとして話題になっています。富士山は日本が誇る山で、どこから見るのが魅力的かにも関心が持たれ続けています。
十国峠、伊豆の大瀬崎、三保の松原、山梨県の三つ峠、富士五湖の逆さ富士、夜叉神峠、南アルプスの北岳、諏訪湖畔の遠景、東京スカイツリー、和歌山県の大台ケ原、福島県の某所…。それぞれが、地元自慢の見学場所です。
富士山が見えるということから自治体名にしている、富士見市、ふじみ野市、富士見町、(旧)富士見村もあります。地元のシンボル的な山を富士山になぞらえている山もあります。利尻富士、蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、伯耆富士(大山)、薩摩富士(開聞岳)…。
眺める位置ごとに多様な姿
地元高校の校歌で「沃野(よくや)一望数百里 関八州の重鎮(しずめ)とて…」と歌われる筑波山も、シンボリックな山です。その山容は、二つの峰のかかわり具合から、眺める位置ごとに多様な姿を見せます。
霞ケ浦の高浜入り、玉造の桃浦からの眺めが定番でしたが、霞ケ浦大橋からの眺め、研究学園都市からの眺め、結城や下妻からの眺めも地元の自慢です。写真家からは、ダイヤモンド筑波も人気があります。江戸時代の歌川広重の江戸百景では、関東平野の向こうに筑波山の遠景が描かれています。
筑波山は、山容だけでなく、和歌や物語を伴う山でもあります。古代の常陸の国風土記には「常世の国」とはこの地であろうと書かれ、国府庁や国分寺の背景に筑波山があり、霞ケ浦を臨む常陸野で人々が仕事や生活を喜ぶ様子が描かれています。
万葉集には、筑波山の歌垣(かがい)の歌が紹介されています。多くの男女が集まって、愛の歌を交わし合うおおらかな交流の場でした。中世の鎌倉・室町時代には、約400年にわたって小田氏の勢力下にあり、経済面でも文化面でも繁栄したようです。
以前、旧明野町(現筑西市)で、町民の皆さんに明野の魅力の話をしたとき、地面から立ち上がる筑波山の雄姿が二番目によい眺めだ―と褒めました。話が終ってから、一番はどこかと聞かれ、「それは私が住んでいる街から」と答えました。筑波山も、それぞれの人が愛着を持って、自分の風景にしている山だと思います。
故郷の山は嫌な思いをリセット
おらが国の山、ふるさとの山の凛々(りり)しい風景を眺めるとき、嫌な思いからリセットされる感覚を覚えます。
人々の幸せと国の繁栄を志したはずの政治家が、裏金をごまかすために能力を使い果たしたり、世界に誇る大企業が、製品の安全基準をごまかしたりしている情報を聞くと、その曲がった魂の人には、ふるさとの山の朝の清々しい姿や、すべてを深く吸い込んで暮れて行く夕景を眺めることをお薦めします。(地理と歴史が好きな土浦人)