【コラム・斉藤裕之】個展「平熱日記 in丸亀」の初日。11時のギャラリーオープンに合わせて、5時前に家を出た。麦秋の岡山。陽光降り注ぐ瀬戸内海を見下ろして瀬戸大橋を渡る。
既にギャラリーで待ってくれていたのは、小学生の頃からの旧友とその奥様。彼とはよく釣りに行った。中学高校と部活も同じ。今は水産会社を切り盛りしている。「徳山湾」という作品を気に入ってくれた。海上の舟から撮った徳山(現周南市)の写真をもとに描いたもので、今回展示しようか迷った絵だったが、彼に持ち帰ってもらう運命だったようだ。
入れ違いに、高松に住む高校の同級生が現れた。当時軽くツッパッていた彼が、なんと高松の裁判所で裁判官をしているというから驚いた。それから、彼を含めて6人もの同級生が集まってくれた。なんと44年ぶりの再会。何はともあれ、まずうれしかったのはみんなが私の絵をとても熱心に見てくれたこと。
それにしても、わざわざ大阪から東京から神奈川から…。その中に、大津から来たという女性がいた。
「誰だかわかる?」「小川さん!」。彼女はいわばマドンナ(古い!けど昭和なので)的存在で、3年生の時に同じクラスだった。シャイな斉藤少年は遠巻きに彼女を眺めながら、ほとんど喋ったことがなかった。しかし時を経て話をしてみると、マドンナは実に気さくで愉快なキャラクターだということが分かった。
勘八、竹寿、コルシカ、アチャコ …
夕方、高松に移動した。港の近くにある新しく整備された駅。大きく長いアーケードが印象的な街。
大阪在住の岡本君(今回彼は実にスマートな香川の旅をコーディネートしてくれた)が、なじみの店を予約していてくれた。そこに高松在住の同級生2人が合流。男性陣はいずれも立派なキャリアを積み上げていた。私が日銭を稼ぐのにヒイヒイしていた間に。話は高校時代の逸話から故郷の話題に。
日本中の地方都市がそうであったように、私の高校時代の故郷の繁華街は活気であふれていた。「青空公園の近くのソフトクリームがおいしかったのよ。それからアチャコね…」と話しているのは小川さん。アチャコ? かなりマニアックな飲食店の名前だが?
試しに、私が「寿司といえば?」と聞いたら、「勘八でしょ!」。まさかの意中の店名を言い当てられて驚いた。「あんた勘八を知っちょるん?」「あそこの大将の握るノリ巻きのノリの香りがねえ…」「それから金星、竹寿でしょ、それからコルシカ、ツジのステーキ…」。
彼女の口から次々と出る故郷の老舗名店の数々。回転寿司などない時代である。しかも、お子様向きではない名店。仕事柄、また食道楽でもあった父親の影響で私はその辺りの店を知っていたのだが、今まで私以外にこれほどまでに詳しい人に出会ったことがなかった。
ならば、いつか小川さんとお食事でも!と思っても、残念ながらかつての名店は今もうほとんど残っていない。
まぶしく新鮮な母校のセーラー服
山口の弟の家で一泊した翌朝、駅まで送ってもらった。ちょうど通学の高校生が駅の階段から降りてきた。こんなに真っ白だったっけ? 都会ではあまり見かけなくなった母校のセーラー服がまぶしいほど新鮮に感じられた。街は変わったが生徒たちは何も変わっていないと思った。新幹線は大津を通過。台風の影響で車窓は白く煙っていた。(画家)