金曜日, 4月 4, 2025
ホームつくば平家物語を語り奏でる琵琶演奏会 29日つくば ウクライナ出身のチェロ奏者 推し

平家物語を語り奏でる琵琶演奏会 29日つくば ウクライナ出身のチェロ奏者 推し

琵琶の演奏会「琵琶へのいざない~平家物語の無常観と哀れ」が29日、つくば市遠東、老人福祉センターとよさとで開かれる。大子町在住の琵琶奏者、谷田部晃功あきのりさん(47)が平家物語の演目「敦盛」と「能登殿最期・壇ノ浦」を披露する。つくば市在住の物理学者でオペラ演出家の大須賀ケネス鬨雄ときおさんによる講演も催される。

それほど感動したなら

音楽を通して世界の国と人々への関心を深めようと、つくばでさまざまな国の音楽講義や演奏会を開催しているボランティア団体「世界音楽の旅つくば発」(石井由美子代表)が主催する。

今回、琵琶の演奏会を発案したのは、代表の石井さん(63)が支援しているウクライナ出身のチェロ演奏家、トルマチョヴ・グリェブさんから琵琶奏者の谷田部さんについて聞いたことがきっかけ。グリェブさんはつくば市に住む妻の姉を頼り、昨年つくば市に避難してきた。来日後、谷田部さんの演奏を聞いて感動。石井さんに思いを伝えた。

石井さんは「考えてみると学校では西洋の音楽ばかり習ってきて、日本の音楽を知らないと気が付いた。グリェブさんがそれほど感動したのなら演奏会を開催したいと思い、谷田部さんにお願いした」と話す。石井さんも谷田部さんの演奏から琵琶の魅力を知り、日本の音楽について勉強している。

演奏会のちらし(同)

アニメ映画のレコーディングに参加

谷田部さんは2016年から正派薩摩琵琶の後藤幸浩さんに師事している。後藤さんは22年に米ゴールデン・グローブ賞にノミネートされたアニメ映画「犬王」や、テレビアニメ「平家物語」の琵琶監修、演奏を担当しており、谷田部さんも「犬王」のレコーディングに参加している。

都内で活動するエレクトリックベースの奏者だった谷田部さん。ロック、ジャズ、ソウルなどさまざまな音楽を聞いていた。特にアフリカにルーツを持つブラックミュージックに傾倒していく中で、「音楽の中にプレーする人のエネルギーやパワーを感じ、日本人としてのルーツは何か考えるようになった」と言う。日本人の精神を元につくられる音を奏でたいと現在、琵琶奏者として活動している。

平家の怨霊を鎮魂

鎌倉時代に成立した軍記物語「平家物語」は、盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らし語り伝えられてきた。この語りの演奏様式は一説には12世紀末頃から始まったとされる。谷田部さんは、琵琶には死者の意をくみ、冥界とつながる力があると話す。「平家物語は武勇伝のようなものだと思いがちだが、そうではなく非業の死をとげた平家の怨霊への鎮魂の意味合いがあるとされている。慈悲と優しさの物語だからこれまで語り継がれてきた。一生懸命生きた人々に思いをはせながら演奏したい」と演目への思いを話す。

「世界音楽の旅つくば発」は、石井さんが2020年にがんを患ったことや世の中がコロナ禍に見舞われたことから、閉塞感を打ち砕きたいと、同年12月、世界の音楽についての講義を企画し、オンライン配信を始めた。インドネシア、ベネズエラ、ブータン、フィリピン、パプアニューギニアの音楽など、普段あまり耳にすることのない音楽について解説する配信が好評を博し、昨年からは外にも活動の場を広げて、市内の小中学校やまつりつくばなどで年10回ほど演奏会を開催している。(田中めぐみ)

NEWSつくばを見た中高生は500円

◆「和楽器の世界 琵琶へのいざない~平家物語の無常観と哀れ~」は6月29日(土)、つくば市遠東639-1、老人福祉センターとよさとで開催。第1回は午後1時から2時15分、第2回は午後3時から午後4時15分。受付は30分前から。入場料は中学生以上1000円。NEWSつくばを見た中高生は500円。申し込みはこちら。問い合わせは同会のメールまたは電話080-5089-0617(石井さん)へ。

当日は能登半島地震義援金募金箱を設置する。寄付金が1000円以上の人は花の苗を、2000円以上の人は花の苗と谷田部さんが特別栽培した奥久慈大子産「立神米」をプレゼントする。集まった寄付金はつくば市社会福祉協議会を通じて寄付する。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

「人格の完成を目指せ」 日本国際学園大つくばキャンパスで入学式

2期生87人が入学 昨年4月に開学した日本国際学園大学(橋本綱夫学長)の入学式が4日、同大つくばキャンパス(つくば市吾妻)で催され、第2期生87人が入学した。旧筑波学院大学から大学名を変更し2回目の入学式となった。 総代として、白い民族衣装をまとったスリランカ出身のサンタナ・デワゲ・ハルシ・ナワォデヤ・デウミニ・シルバさんが橋本学長から入学許可書を受け取った。新入生87人のうち44人は留学生で、中国、スリランカ、ベトナム出身者などが多いという。 橋本学長は式辞で「本学を支えている考え方は、大学で幅広い教養や知識を習得するだけではなく、問題解決能力や創造力といった、人格の形成を目指している。実社会に出たら必要なものはコミュニケーション力であり、本当に役に立つ人間を目指してほしい」とメッセージを送った。 新入生を代表して茂木翔太さんは「恵まれた環境で学ぶことができることはとてもうれしい。それぞれの目標に向かって勉強するのはもちろんのこと、物事を多くの視点から見られるよう、学び、社会に貢献していきたい」と述べた。 在校生を代表して経営情報学部ビジネスデザイン学科の寺門光穂さんは「この大学の特徴は、先生と距離が近く何でも親身になって相談できるところ。学生生活を送るにあたって、時間をかけて待つだけではいけない。自ら進んで行動することが大事」だと新入生に向けてエールを送った。 当日は3日間続いた雨も止み、桜が咲く中での入学式となった。中国出身の新入生で留学生の森拓也さん(18)は「まずは日本語の会話がちゃんと出来るようにしたい。これからは情報が大事だと思うので、AIなど学べれば良い」などと話した。 同大は1990年、東京家政学院大の筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学になり、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する仙台市の東北外語観光専門学校に新たに日本国際学園大学の仙台キャンパスを設置した。(榎田智司)

家族行事のおはなし《ことばのおはなし》80

【コラム・山口絹記】久しぶりに家族でいちご狩りに行った。我が家ではこの10年、いちご狩りはほぼ毎年の家族行事のようなものになっているのだが、昨年は私がバタバタして行けなかったのだ(知らないうちに私抜きで行った可能性はある)。 つくばに暮らすようになって最初の数年は、いちご狩りができるところをいろいろと巡っていたのだが、ある時からふとしたご縁で同じ農場に通うようになった。毎年同じところを家族で訪れる、同じことをする、というのは、案外悪くないものである。 この10年ほどを思い返してみると、張り切って遠方に旅行したりするよりも、ただなんとなく毎年やっていることの方が記憶に根付いていたりすることに気が付いた。別に記憶に留めておきたくてやっているわけではないのだが、結果的にそうなった、という感じなのだ。 娘のおひな様を出したり片付けたりするのを忘れる程度の人間なので、あまり偉そうなことは言えないのだが、本来の家族行事もそういった意味もあるのかもしれない。 ただなんとなくいちご狩りに いちごでおなかがいっぱいになってしまったので、妻と一緒にベンチに腰掛けた。また寒い日が続いているが、温室の中は暖かくて居心地がよい。油断すると満腹なのも手伝って気を失いそうになる。 息子はいちご狩りに飽きたのか、ヘタを入れる紙コップと食べかけのいちごを私に手渡すと、有り余る体力を消耗するためだけに駆けだす。それを追って娘も、いちごの間を駆けていく。息子の食べかけのいちごを食べながら、駆け回るこどもたちをぼんやり眺めていた。来年もまた、ただなんとなくいちご狩りに来られたらいいと思う。(言語研究者)

児童、生徒の増加に対応 新 桜給食センターが開所 つくば

10日から6600食を提供 つくば市天王台に桜学校給食センターが開所し、3日、同センターで開所式が開かれた。つくば市では近年の児童・生徒数の増加と、既存施設の老朽化に対応するため新しい学校給食センターの設置が急がれていた。 2020年3月に閉鎖された旧・桜学校給食センターの跡地に新設された。建物は、鉄骨造2階建、建築面積3350平方メートル、延べ床面積3948平方メートル、総工費は約37億円、従業員は約70人。4月10日から市内の幼稚園4園、小学校9校、中学校3校へ約6600食の給食提供が始まる。同センターではアレルギーに対応した給食を含む、1日あたり最大で7000食の調理が可能だ。 環境に配慮した持続可能な給食センターを目指すとし、施設内での排熱利用や発電システムを設置した。都市ガスを使って発電するガスコージェネレーションシステムでは、発電した電気を施設内の照明等に使用し、発電時に発生した熱はお湯などの熱源に利用する。排熱の回収量は年間約3万600キロワットアワー、発電量は年間6万7200キロワットアワーとなる計画で、停電時の電力としても利用される。屋上には太陽熱給油システム用の発電パネル36枚を設置し、食器洗浄用に使われるお湯に必要な熱量の90%をつくり出す。学校から戻ってきた残飯は粉砕し水切りし、3分の1から5分の1程度に減量して、調理過程で出る野菜くずとともに生ごみ処理機で分解される。建物2階には、1階の作業を見学できる見学室や展示スペースが用意され、食育にも力を注ぐという。 式典のあいさつで五十嵐立青市長は「次の世代に胸を張れる施設をつくろうと取り組んできた。この場所からつくばの新しい給食の形が始まると思っている」と話し、森田充教育長は「給食の時間は友情を深める大切な時間。給食は生きた教材、学びができる時間でもある。工夫をしたセンターを知ることも大事ですし、地元から調達される食材もあるので、食材についても学んでほしい。生産者との交流も学校を通じてしてほしい。食を通じて子供たちの豊かな感性、しっかりした心身が育っていけたら」と述べた。 4月から桜学校給食センターの運営を受託した東洋食品(東京都台東区)の荻久保瑞穂専務は「市内の人口増加、学校新設に伴い新設されたセンターへの市民の皆さんの期待の大きさを感じている。これまで58年間、食中毒ゼロでやってきた私たちの経験をもとに、子どもたちに毎日の給食を楽しみにしてもらえるよう、地元の食材を使用したものなどいろいろな献立に対応していきたい。気持ちを込めて調理した給食をしっかり食べてもらい、心も体も健やかに成長してもらえたら」と語った。 つくば市では、筑波学校給食センター(つくば市神郡)が開所から20年、茎崎学校給食センター(同市小茎)が40年以上経過し施設が老朽化するなどしている。市内では2014年につくばすこやか給食センター豊里(同市高野)、20年にはつくばほがらか給食センター谷田部(同市藤本)が、それぞれ開所した。茎崎学校給食センターは今年3月で閉鎖し、4月からは新しく開所した桜学校給食センターを含む4施設で学校給食を提供する。つくば市の給食提供の総数は1日あたり約2万6000食。4つの給食センターで最大約3万食を提供できる。(柴田大輔)

さよなら牛乳瓶《くずかごの唄》148

【コラム・奥井登美子】配達の牛乳屋さんから、「牛乳瓶が無くなって、ポリ瓶になります」という通知。森永乳業系は昨年から、明治乳業系は4月から瓶が消える。牛乳瓶を手でなでながら、なぜか涙が出てしまった。 東京の新富町で生まれて育った私の父は、近所にあった芥川龍之介の実家の牛乳屋へ、毎日、瓶の牛乳を買いに行ったという。近藤信行さんが山梨文学館の館長のとき、芥川龍之介展に誘われて行ってみたら、龍之介の小学生時代の手書きポスターに「牛乳を飲みましょう」というのがあって、皆で大笑いした。 102年前の関東大震災で家が焼け、我が家は新富町から郊外の荻窪に引っ越した。当時の荻窪は、震災で焼け出された人達にとって、とてもよい住宅地だった。 子供好きの父は、慶應の学生時代から近所の子供たちを集め、絵本を読んだり、水泳をしたりしていたらしい。母は震災の中、芝公園で兄を出産し、震災ノイローゼ。母の実家も焼け、6人の弟(斎藤茂吉の家に書生として入りアララギ派に貢献した小暮政次も弟の1人)たちを残して母親が亡くなり、精神的にも不安定で、なかなか子供が出来なかったらしい。 10年目に私が生まれてホッとしたらしく、次に妹、次に弟(加藤尚武元京都大学教授=環境倫理学)と、立て続けに出産している。私は1歳のとき、ジフテリアにかかって緊急入院。命は何とか取り留めたものの、ジフテリアの後遺症で喉が弱く、痛くて何も食べられないとき、父が作った牛乳ごはん(堅く炊いたご飯に牛乳を入れたおかゆ)が唯一の食べ物だった。 牛乳ごはんが私の常食 荻窪の家の隣にはノラクロ漫画の田河水泡氏のアトリエがあったが、父は、同じ荻窪区域内で、私を助けてくれた小児科勤務医の飯島先生の隣に引っ越してしまった。 夜中、私が40度近くの熱を出すと、父は私を抱いてタクシーを呼ぶ。飯島先生も乗って新宿の淀橋病院に行く。2~3日入院して、熱が下がったら帰る。その繰り返しだった。家に帰って来てからも喉が痛く、牛乳ごはんが私の常食だった。 土浦に嫁いで来て、私を救ってくれた飯島先生が牛久の飯島家出身ということを知り、びっくりした。龍之介の実家以来、牛乳瓶は私の食のシンボルだったのである。(随筆家、薬剤師)