【コラム・斉藤裕之】大きな裁ちばさみで、シャキ、シャキと新聞の記事を切り取ることがある。とても気持ちよく切れる。古道具屋で買った、柄が黒く塗ってある大きな裁ちばさみ。それからあとは、洗って乾燥させた牛乳パックを半分に切るときに使う。
半分に切った牛乳パックには2通りの使い方がある。ひとつは、まな板の上に置いて肉や魚を切るのに使う。もうひとつの使い方は、絵を描くときのパレット。朝のコーヒーは牛乳を多めにして2杯飲むから、だいたい1週間でひとパックのペース。
確かなことは覚えていないが、多分小さな絵を描き始めてから自然と、牛乳パックを使い始めたのだと思う。今まで相当な数の牛乳パックをパレットに使ってきたが、試しに今年の初めから捨てずにいた。というのも、使い終わったパレットは案外美しくもあり、抽象画のようでもあるから。
笠間の日動美術館には有名な画家のパレットのコレクションが展示してある。当たり前だが、パレットは一つの道具なので、その人の目的に合った道具としてのカタチをしている。そのパレットから作品を想像するのも面白いし、逆に作品からパレットを見るとなるほどと思う。そういう意味でいえば、私の絵は牛乳パックのパレットで充分だ。
5月の終わりから丸亀市で個展
新聞の記事を切り抜くことは本当にたまにしかない。1年間に数枚ほど。例えば、絵を描いている人の言葉が気になることはあまりないのだが、面白いことに数学者や物理学者、詩人たちの言葉にはドキッとすることがある。
偶然目にした彼らの言葉を、私は大きな裁ちばさみで切り取って日記兼雑記帳のノートにスクラップする。でも多くの場合、その切り取った記事を読み返すことはない。内容を覚えていることもほとんどないが、頭の隅に切り取った記憶だけはあって、数年を経て「そういえば…」と、探して見返すことがある。
5月の終わりから、香川県の丸亀市にある「あーとらんどギャラリー」で個展が始まる。ゴールデンウィークの前に、ほぼ作品を描き終えて梱包(こんぽう)した。ふと気になって、使い終わって積み重なっていた牛乳パックのパレットを数えてみたら、20数枚あった。1カ月に約6枚を使っている計算だ。
今年前半は個展やグループ展が続いたから、ちょっと頑張り過ぎたかもしれない。しかし、どのパレットにも数色の同じ色が大体同じ所に出してあって、つまりそれは私の身の回りのものごとの色彩を表しているのでもあって、何とも地味な色合いである。
ある朝新聞を開くと、ある詩人の言葉が目に留まった。大きな裁ちばさみでシャキ、シャキと記事を切り取った。その日は、牛乳を買い忘れてストレートのコーヒーを飲んだ。それから、牛乳パックに同じ色の絵の具を同じ場所に出して絵を描いた。(画家)