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ホームつくば「孤立の風景」筑波大大学院生 野一色優美さんが個展 つくば スタジオ‘S

「孤立の風景」筑波大大学院生 野一色優美さんが個展 つくば スタジオ‘S

筑波大学で日本画を研究する大学院生、野一色(のいしき)優美さん(25)の個展「孤立の風景」が17日から26日まで、つくば市二の宮のギャラリー、スタジオ‘S(関彰商事つくば本社内)で開催されている。日本画で伝統的に使用される麻紙(まし)の表現の可能性を模索しながら、人の記憶や感情の揺らぎを主題にした作品など6点が展示されている。

会場中央に展示されている作品「孤立の風景」は、麻紙を割いたり、もみ込んだり、糸で縫い合わせたり、一部を炎で焦がすなどした後、墨をにじませ、岩絵具やアルミ泥などで仕上げた。作品は縦約3メートル、横約2メートルで、床面から50センチほど浮かんだように展示され、周囲の床には、自身や友人らが実体験した言葉が印字されたトレーシングペーパー300枚ほどが散らばっている。

野一色さんは「経験などを通して得た思いや印象などの記憶が、時間経過により希薄になっていき、経験した本人と記憶が分断され、ただ想いだけが取り残された感覚を表現している」とし「自らが死に直面するような出来事や体験があったとしても、 そのときに感じた不安や葛藤は、後々にはどこか他人事のように思えてくるようなことがある。トラウマだけが残りながら記憶がだんだんと孤立していく様子を、浮遊していくような一つの風景として表現した」と語る。

約1カ月間、スタジオ‘Sに滞在しながら制作し設営して、作品の世界観を作り上げた。会場入り口には、自身が棺(ひつぎ)に入った姿を表現した作品「エピローグ」を展示している。

野一色さんは大阪市出身。美術系の高校で岩絵の具や金箔、銀箔に触れたことが日本画を専攻するきっかけになった。滋賀県内の美術大学を経て現在、筑波大大学院人間総合科学学術院の博士課程に在学し、麻紙や岩絵具などを使用しながら、作品の形にとらわれない不定形の基底材での表現を研究している。

「今までは人物画を中心に制作を続けていたが、人物を描く過程で、人物そのものを描きたいのではなく、人の持つ思いの揺らぎや記憶を日本画で表現したいと思うようになり、様々な作品形態を追求している」という。

2021年には個展「その気に触れて」をギャラリーキューブ(滋賀県)で、2022年は「颯」を高島屋大阪店と横浜店で、2023年は「藍より青し」を総本山三井寺(滋賀)などで開催している。

今後の活動について野一色さんは「今までの日本画に制限されない作品を作っていきたい」と述べる。(榎田智司)

◆野一色優美個展「孤立の風景」は5月17日(金)~26日(日)、つくば市二の宮1-23-6、関彰商事つくば本社敷地内、スタジオ’Sで開催。開館時間は午前11時~午後5時。入場無料。詳しくはスタジオ‘Sのホームページへ。

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