【コラム・平野国美】今、週刊誌の表紙を見ると、「飲んではいけない薬」とか「老後の問題」といった医療介護関係の話題が必ず出ています。特に、毎週月曜日に発売される2つの週刊誌はこれらが必須の記事になっています。昭和や平成のころは、こういった記事はほとんどなく、「新橋の居酒屋情報」とか「買ってはいけないマンション」といった記事が多かったのですが…。
私も、『看取りの医者』(2009年、小学館)を出版した後、よくそういった内容の記事依頼を受けました。あるとき、「こんなに毎週、病気や死ぬ話ばかり出していて、いいの?」と編集者に尋ねたことがあります。
答えは「読者層が昭和、平成から変わらないようで、60~70代がメーンなのです。彼らが現役のときは、飲み屋や旅行、家や車の購入方法が関心事でしたが、今の最大の関心は病気や死ですから、そういった話を盛り込まないと売れません。グラビアも、現代の女優やアイドルではだめで、昭和のスターを出さないと…」でした。
「顔に白い布」を見ていた日常
今は「多死社会」と言われる時代ですが、この分野は誰にも未知の世界です。それゆえに、恐怖を感じるのでしょう。
親との同居が当たり前だった大家族時代には、祖父や祖母、もっと言えば曽祖父が同居しており、腰が曲がり、寝たきりとなり、顔に白い布がかかる日を日常の生活で見ていました。その過程に家族として寄り添うことで、現実として受け止めていました。しかし、核家族化の今の時代、病人や高齢者が同居しておらず、リアリティが消失しているのです。
今年の春は気象予報が立てにくく、桜の開花予想が大きく外れました。桜の名所で満開を期待してきた外国人旅行客が「満開かと思ってきたら、もう葉もなく、枯れ枝ではないか」と話していました。そこの桜はまだ蕾さえ小さく、開花前なのですが、日本の桜を見慣れていない彼らには、花どころか葉さえ散ったように見えたのでしょう。
ドラマの中の死だけでは現実味がなく、心に痛みが伴わぬものです。普段から現実を見ることが大切だと思います。昔の地域共同体では共同で葬式を出していました。近所の家での看取りを通し、死を感じることができた時代でした。死は私にも恐怖ですが、仕事ですから私には日常です。自分の親の死に際にしても、周囲に鈍感と思われるほど淡々としていました。自分の人格を疑われるのではないかと思ったほどです。(訪問診療医師)