【コラム・田口哲郎】
前略
クリスマスが近づき、街はクリスマス一色…ともこのごろは言えないようです。私が子供のころ、クリスマスはまさに冬の一大イベントでした。でも、いまやクリスマスはハロウィンに食われ気味ですね。ブラックフライデーなるものもアマゾンのおかげで一般的になりつつあり、アメリカの感謝祭がそのうち普及するのではないかという勢いです。そのおかげでクリスマスのイベントとしての地位もずいぶん落ちた感じがします。
クリスマスもハロウィンも感謝祭も、もともと宗教行事だったのが、消費社会の進展で、お祭りになったもので、とくに日本に輸入されると宗教性は脱色されるのはよく言われていることですね。
クリスマスはクリスト・マス、キリストのミサという意味で、キリスト=救世主がこの世に誕生したことを祝う祭儀ということです。キリスト教の開祖イエスは、いまのパレスチナあたりで生まれました。意外と知られていないのは、イエスがユダヤ教徒だったことです。イエスの母マリアも父ヨセフもユダヤ教徒でしたから、イエスも当然ユダヤ教を信仰していました。
しかし、青年になるとイエスは正統派のユダヤ教とは異なるいわば革新的なユダヤ教の教えを唱え始めます。この革新的な教えがキリスト教の教義の核になっているのですが、当時のユダヤ教指導者層には危険に映ったのでしょう。イエスは無実の罪で十字架にかけられ処刑されます。
しかし、3日目に復活し、弟子たちの前に現れ、天に昇ります。イエスの誕生、教え、死、そして復活を「信じる」ことは、イエスをキリスト=救世主と「信じること」です。パレスチナのいち民族の宗教だったユダヤ教徒から独立するかたちで、キリスト教は信者を全世界に増やし、今や信徒数は23億人を越える大きな宗教に発展しました。
ひと味違うお祝いができる
このキリスト教の始まり、イエス=キリストの誕生を祝おうというクリスマス。日本のキリスト教の信徒数は200万人弱で総人口の1パーセントにすぎません。クリスマスがキリスト降誕を祝う目的だけのお祝いならば、日本でこんなにクリスマスがもてはやされるわけはありません。だからといって、いまさら、宗教的意義のないクリスマスは無意味だと言うつもりはありません。
ただし、クリスマスの本来の意味を意識しないで「メリークリスマス!」と乾杯するよりは、その意義を知ってお祝いするほうが良いのではないかとは思います。キリスト教では、イエス=キリストは十字架の上で、人類の身代わりとして死んで罪を引き受けた。そして、死を打ち破り、復活して、生き物が避けられない死をも乗り越える希望を人類に与えたと教えます。
こうした、いわば英雄の誕生日だと思えば、乾杯もより楽しくなるのではないでしょうか。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)