土曜日, 3月 14, 2026
ホームつくば不登校とは何なのか 経験者5人が赤裸々に語り合う

不登校とは何なのか 経験者5人が赤裸々に語り合う

周囲の支援、イヤだったこと、良かったこと/自治体の支援は

専門学校職員(学校に来ない学生を支援する立場で)―先生からの言葉がけ。傷ついたこと、支えになったことは?

ざっきー 「みんな心配してるよ」はイヤですね。「みんなってだれ?」って思います。あと寄せ書きとか。良かったのは、先生が母に対して「息子さんは大丈夫です」と言ってくれたこと。そのことを母から聞いて安心した。でも、直接言ってくれれば良かったのになあ、とは思います。

まりりん 中1の担任が生徒をあだなで呼ぶ先生で、友達のように気遣ってくれたのがうれしい。かまってほしい面もあるので、放置されすぎても、困ってしまう。

しーちゃん 大人嫌いが強かったけど、まじめじゃない先生から「シーちゃんは大丈夫だから」と言われて心強かった。子どもじゃなく、友達として扱われていると感じた。着飾った言葉はいらない。気持ちを正直に伝えてもらえれば。

にっちー いやなこと…「文化祭出ろよ」とかかな。でも、先生の立場からすると言わざるを得ない面もあると思う。再び登校し始めた頃、周囲に知られないようひそひそ声で「保健室じゃなくていいの?」と声をかけてくれた先生が思い出深い。さりげない気遣いがありがたい。

しーちゃん それは人それぞれだよね。こそこそ言われたらイヤな人もいるだろうし。

まこちゃん 同級生からプリントを自宅に届けられるのがイヤだった。5人ぐらいでピンポン押して呼びに来る。そうすると母が怒る。今になって思えば、先生は同級生とかかわる機会をつくってあげようとしていたのかもしれない。居留守を使っていても、根気強く週1回、ちゃんと来てくれて置き手紙残してくれた先生がいた。これはありがたかった。「大丈夫」の一言は大きい。でも、「今はそんな時期じゃない」って反発されることもあるので、タイミングが難しい。

しーちゃん 「学校に行こう」とは誘わないけど、友人が毎日来てくれた。後で、友人が先生に「しーちゃんは大丈夫」と話していたと聞いて泣いた。根拠なくても「大丈夫」と言われるとありがたい。でも、感情は生もの。自分のフィーリングを大切にして言葉がけしてほしい。

まりりん 声をかけられた時は「イヤだ」と思っても後になると「ありがたかった」と思うこともある。

司会者 相手への思いやりと信頼感に裏打ちされた言葉をかけてあげることが大事だと思いました。

5人がつむぎ出す語りに、耳をそばだてる来場者。会場からは積極的に質問が飛んでいた

市議の男性―自治体に求める「対症療法的ではない」支援とは?

まこちゃん 子どもがいつもそこに行けば誰かに会えるような、大人と関われる場所をつくってほしい。

にっちー 理解してほしいのは、フリースクールは数値的な成果で測れるものではないってこと。人間の心の問題って薬を飲んですぐ解決できるような問題ではない。二歩引いて三歩進むようなゆっくりとした歩み。成果がすぐ出ないから予算つかないとなると難しい。

しーちゃん 行政の方がこの場に来てくれているのがうれしい。いまだに「怠けてる」「甘えている」と思っている大人は多い。子どもにとっての居場所が欠かせないことを理解する大人を増やすためにも、フリースクールを増やすことが必要。

ざっきー 予防的な考えでは、子どもが不登校になる前に、信頼できる大人といられるたまり場を地域に設置してほしいと思う。自分が支援に関わる自治体では2週間に1回ぐらいで開かれているが、頻度が十分ではないと感じる。まだ、こういう取り組みをする自治体は少ないと思う。例えば、児童館で受付をするだけじゃなく、ボードゲームをして一緒に遊んでくれるような大人が望ましい。

―最後に、過去の自分へメッセージを届けてください。

ざっきー 10数年前、カッターナイフを持って、自ら命を絶つべきか3時間悩んだ。でも結局、死ねなかった。だから「生きなきゃいけない」と思えた。いま自分が完全に幸せとは思わないが、まあ51%ぐらいの幸せは感じられる。だからあのとき、死ななかったことは後悔していないと伝えたい。

しーちゃん いま思えば、学校に行く行かないの問題ではなかった。こんなダメな自分を誰も受け入れてくれないと思い込んでいた時期はあったけど、意外と人は優しく、助けてくれた人も多かった。「だれか認めてくれる人は必ずいるよ」と声をかけたい。

にっちー 「今がダメでもいいじゃん」。こうして話をしても、「甘えてるだけでしょ」と考える大人はいると思う。でも、昔と今では、子どもの苦しみの質が違う。今の自分にも言い聞かせるけど、「自分に厳しくしすぎなくていい」って言いたい。

まこちゃん 「とりあえず大丈夫だよ」ってことかな。小中学生のころ、しんどいときに何度か死を思った。でも死なない。その経験値が積み重なると、死を選ばなかった自分を認めてあげられるようになる。生きていてファミレスでおいしいパフェを食べられたとか(笑)、ささいな喜びを増やしていった気がする。

「大人を見限らないでほしい」とも言いたい。人を見極める能力は、年齢と、出会った人数のかけ算で決まる。10代の自分に「『大人はダメ』って言えるほどいろんな大人に出会ってないでしょう」と諭したい。

まりりん 「このままの自分でいいのか?いやダメだろう」という負のループをずっと繰り返していた。いま思えば、それでいい。どん底まで悩まないと、どうにもならなかった。振り返ると、ガラスのようなプライドを守ろうとして精一杯頑張っていた。「人間なんて、そして自分なんてバカなんだよ。結局、あきらめずに生きていくんでしょ?」と問いかけたい。

終わり

(鹿野幹男)

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東日本大震災と福島第1原発事故から15年を迎えた3月11日、つくば駅前のつくばセンター広場(同市吾妻)で市民集会「さよなら原発 守ろう憲法 昼休み集会&パレード」(安倍9条改悪NO!市民アクションつくば連絡会、東海第二原発いらない首都圏ネットワークつくばなど主催)が開かれた。被災地からの避難者や市民団体の関係者らが登壇し、事故の記憶を語り継ぐことや原発政策、平和について考える必要性を訴えた。 集会の後、「原発再稼働反対」「東海第2原発の廃炉」「再生可能エネルギーへの転換」「いのちと暮らしを守る政治」などを求めるアピール文が参加団体により採択され、参加者ら70人余りがつくば駅周辺をパレードした。 「今も帰れない人たちがいる」 震災後、福島県双葉町から埼玉県加須市へ避難した鵜沼久江さんは、震災直後の混乱を語った。地震発生から2時間後に自主的に避難を始めると、その日のうちに福島第1原発事故による緊急事態宣言が発令され、原発から約3キロ圏内に避難指示が出た。12日早朝には半径10キロに拡大された。その日から15日にかけて、車中泊や避難所を転々とする生活が続き、その間に原発では3度の爆発が起きた。「何が起きているのか分からないまま避難していた」と振り返った。 避難後は埼玉県の高校などに身を寄せ、生活環境の違いから戸惑いも多かったという。双葉町に戻ったときにできることを考え、野菜づくりを学んだが、「15年経っても町に戻って昔のように生活することはできない」と語った。避難生活の中で夫を食道がんで亡くし、自身も昨年心筋梗塞を経験。「原発事故を二度と起こさないために何をすべきかを考えながら生きている」と話した。 また、東海第2原発が立地する東海村から参加した大名章文さんは、村での複雑な状況を語った。東海村は1997年の動燃火災爆発事故や1999年のJCO臨界事故を経験しており、「福島の事故を見て多くの住民が不安を抱えていた」と説明した。 一方で、昨年2月閣議決定された第7次エネルギー基本計画で政府が原発の最大限活用を掲げたことで村の雰囲気が変わったとし、「村民の多くが関連企業で働く中、反対の声を上げることが生活を脅かすかもしれないという恐れがある」と指摘。「言いたいことがあるのに言えない、不安はあるのに表に出せない沈黙の重さがある。だが沈黙は決して同意ではない」と述べ、避難計画など住民の安全確保への問題が解消されない再稼働を認めるわけにはいかないと、反対の立場を示した。 つくば市の市民団体「憲法9条の会つくば」共同代表の石上俊雄さんは、現在も4万2000人以上が自宅に戻れない状況にあることに触れ、「命を守る社会を考える上で、憲法の問題とも向き合う必要がある」とし、防衛費の増加や、ベネズエラやイランでの軍事衝突に言及し、「武力による平和はありえない。対立をもたらし、突発的な戦争の危険を高めるもの。外交や国際協力こそが本当の抑止力だ」と述べ、憲法9条の意義を強調した。 同じく憲法9条の会つくばの阿部眞庭さんは、「福島第1原発事故により今も帰還できない人が多くいる」とし、「被災地で困難な状況にある人がまだたくさんいるのに、政府は原発の再稼働や新増設を進めようとしている。原発は弱い人たちを犠牲にした国策。震災と原発事故を忘れないこと、そして一人一人が考え、行動することが大切だ」などと呼び掛けた。(柴田大輔)