周囲の支援、イヤだったこと、良かったこと/自治体の支援は
専門学校職員(学校に来ない学生を支援する立場で)―先生からの言葉がけ。傷ついたこと、支えになったことは?
ざっきー 「みんな心配してるよ」はイヤですね。「みんなってだれ?」って思います。あと寄せ書きとか。良かったのは、先生が母に対して「息子さんは大丈夫です」と言ってくれたこと。そのことを母から聞いて安心した。でも、直接言ってくれれば良かったのになあ、とは思います。
まりりん 中1の担任が生徒をあだなで呼ぶ先生で、友達のように気遣ってくれたのがうれしい。かまってほしい面もあるので、放置されすぎても、困ってしまう。
しーちゃん 大人嫌いが強かったけど、まじめじゃない先生から「シーちゃんは大丈夫だから」と言われて心強かった。子どもじゃなく、友達として扱われていると感じた。着飾った言葉はいらない。気持ちを正直に伝えてもらえれば。
にっちー いやなこと…「文化祭出ろよ」とかかな。でも、先生の立場からすると言わざるを得ない面もあると思う。再び登校し始めた頃、周囲に知られないようひそひそ声で「保健室じゃなくていいの?」と声をかけてくれた先生が思い出深い。さりげない気遣いがありがたい。
しーちゃん それは人それぞれだよね。こそこそ言われたらイヤな人もいるだろうし。
まこちゃん 同級生からプリントを自宅に届けられるのがイヤだった。5人ぐらいでピンポン押して呼びに来る。そうすると母が怒る。今になって思えば、先生は同級生とかかわる機会をつくってあげようとしていたのかもしれない。居留守を使っていても、根気強く週1回、ちゃんと来てくれて置き手紙残してくれた先生がいた。これはありがたかった。「大丈夫」の一言は大きい。でも、「今はそんな時期じゃない」って反発されることもあるので、タイミングが難しい。
しーちゃん 「学校に行こう」とは誘わないけど、友人が毎日来てくれた。後で、友人が先生に「しーちゃんは大丈夫」と話していたと聞いて泣いた。根拠なくても「大丈夫」と言われるとありがたい。でも、感情は生もの。自分のフィーリングを大切にして言葉がけしてほしい。
まりりん 声をかけられた時は「イヤだ」と思っても後になると「ありがたかった」と思うこともある。
司会者 相手への思いやりと信頼感に裏打ちされた言葉をかけてあげることが大事だと思いました。
市議の男性―自治体に求める「対症療法的ではない」支援とは?
まこちゃん 子どもがいつもそこに行けば誰かに会えるような、大人と関われる場所をつくってほしい。
にっちー 理解してほしいのは、フリースクールは数値的な成果で測れるものではないってこと。人間の心の問題って薬を飲んですぐ解決できるような問題ではない。二歩引いて三歩進むようなゆっくりとした歩み。成果がすぐ出ないから予算つかないとなると難しい。
しーちゃん 行政の方がこの場に来てくれているのがうれしい。いまだに「怠けてる」「甘えている」と思っている大人は多い。子どもにとっての居場所が欠かせないことを理解する大人を増やすためにも、フリースクールを増やすことが必要。
ざっきー 予防的な考えでは、子どもが不登校になる前に、信頼できる大人といられるたまり場を地域に設置してほしいと思う。自分が支援に関わる自治体では2週間に1回ぐらいで開かれているが、頻度が十分ではないと感じる。まだ、こういう取り組みをする自治体は少ないと思う。例えば、児童館で受付をするだけじゃなく、ボードゲームをして一緒に遊んでくれるような大人が望ましい。
―最後に、過去の自分へメッセージを届けてください。
ざっきー 10数年前、カッターナイフを持って、自ら命を絶つべきか3時間悩んだ。でも結局、死ねなかった。だから「生きなきゃいけない」と思えた。いま自分が完全に幸せとは思わないが、まあ51%ぐらいの幸せは感じられる。だからあのとき、死ななかったことは後悔していないと伝えたい。
しーちゃん いま思えば、学校に行く行かないの問題ではなかった。こんなダメな自分を誰も受け入れてくれないと思い込んでいた時期はあったけど、意外と人は優しく、助けてくれた人も多かった。「だれか認めてくれる人は必ずいるよ」と声をかけたい。
にっちー 「今がダメでもいいじゃん」。こうして話をしても、「甘えてるだけでしょ」と考える大人はいると思う。でも、昔と今では、子どもの苦しみの質が違う。今の自分にも言い聞かせるけど、「自分に厳しくしすぎなくていい」って言いたい。
まこちゃん 「とりあえず大丈夫だよ」ってことかな。小中学生のころ、しんどいときに何度か死を思った。でも死なない。その経験値が積み重なると、死を選ばなかった自分を認めてあげられるようになる。生きていてファミレスでおいしいパフェを食べられたとか(笑)、ささいな喜びを増やしていった気がする。
「大人を見限らないでほしい」とも言いたい。人を見極める能力は、年齢と、出会った人数のかけ算で決まる。10代の自分に「『大人はダメ』って言えるほどいろんな大人に出会ってないでしょう」と諭したい。
まりりん 「このままの自分でいいのか?いやダメだろう」という負のループをずっと繰り返していた。いま思えば、それでいい。どん底まで悩まないと、どうにもならなかった。振り返ると、ガラスのようなプライドを守ろうとして精一杯頑張っていた。「人間なんて、そして自分なんてバカなんだよ。結局、あきらめずに生きていくんでしょ?」と問いかけたい。
終わり
(鹿野幹男)