土曜日, 7月 12, 2025
ホームコラム美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

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道の駅 洞峰公園近くを取り止め つくば市 

筑波山麓1カ所で検討 つくば市内2カ所を候補地に道の駅の建設を検討していた(24年12月9日付)つくば市は11日、洞峰公園近くの上原・松野木地区での検討を取り止めると発表した。もう1カ所、筑波山麓の池田地区については建設に向け検討を続ける。 市立地推進課によると、予定地周辺住民を対象に6月にアンケート調査を行った結果、洞峰公園近くの上原・松野木地区は反対が52%、賛成が37%、どちらともいえないが11%と反対の声が多かった。さらに周辺住民などから反対署名が市に提出されたなどから、事業を続けることは難しいと総合的に判断したとしている。 アンケートでの反対理由は「交通渋滞」が最も多く、次いで「住宅地に近い」、「騒音」、「税金の無駄遣い」、「田園風景の喪失」など。反対意見は「通学路になっていて子供の交通事故が増える懸念がある」「西大通り沿いは渋滞が激化する懸念がある」「地域住民にとってのメリットが具体的に示されていない」「道の駅をつくる目的が理解できない」などが出された。 アンケートは、上原・松野木地区は予定地から半径800メートルの5227世帯、池田地区は半径3キロの5149世帯を対象に実施し、それぞれ44%、42%の回答があった。 一方、筑波山麓の池田地区のアンケート結果は、賛成が82%、反対が5%、どちらともいえないが13%と賛成が8割を超えた。賛成理由で多かったのは「にぎわいの創出」「利便性の向上」「雇用の創出」などだった。 大規模事業評価実施へ 今後について市は、池田地区1カ所を候補地に2026年度に基本構想を策定し、面積や施設の規模、完成後の運営主体や地域の意向などについて検討したいとする。10億円を超える事業規模と見込まれることから、その後、事業の必要性や有効性、経済性など6項目について評価する大規模事業評価を実施することになるとし、着工時期などは現時点で未定としている。 集客45万人、売り上げ4.5億円 道の駅建設をめぐっては、2024年度に上原・松野木地区、池田地区のほか、菅間地区、島名地区の市内4カ所を候補地に検討し、上原・松野木地区と池田地区の2カ所が高評価だったことから、2カ所に絞って検討し、周辺住民のアンケート調査を実施していた。 今回取り止めが決まった上原・松野木地区の予定地は、筑波研究学園都市の都市公園 洞峰公園や、気象研究所、産業技術総合研究所つくば西事業所などに近接し、西大通りに面することから、五十嵐立青市長は昨年12月、研究学園都市の研究所や大学と連携する新たなコンセプトの道の駅を検討したいなどと表明していた。 検討が続けられる池田地区は、山麓から筑波山を見渡せる開けた水田地帯にある。市がコンサルタント会社に委託して2024年10月に作成した簡易経営診断業務最終報告資料によると、池田地区に建設した場合の経済効果は、対面交通量からの予測として集客が年間約42万~64万人、売り上げは年間4億2000万~6億4000万円、商圏人口からの予測として集客が年間約45万人、売り上げは年間約4億5000万円になり、観光消費金額に換算した経済効果は毎年約23億円になるとしている。さらに需要予測通りに売り上げを達成するためには①出荷者の確保及び調整②観光を意識した名物単品・サービスの開発③体系的なマーケティング戦略ーの3点の施策が必要で、施策を充実させるためには庁内プロジェクトの組成、専門家のアドバイスを踏まえた計画策定の必要性が高いなどと進言している。(鈴木宏子)

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