【コラム・田口哲郎】
前略
先日、新幹線で博多まで行ってきました。東京駅を出発して5時間で着きました。博多は航空機で行くのが主流のようですが、鉄道好きとしては、新幹線以外に選択肢はありませんでした。東京駅を山手線で通るたびに、東海道新幹線を見かけては、旅情に思いを馳(は)せていたものです。
東海道新幹線といえば、幼い頃に新大阪から上京するときによく乗せてもらいました。私世代にとって新幹線といえば、丸いボンネットの0系です。いまはN700系。ずいぶん進化しましたが、カラーは白にブルーと新幹線は新幹線です。
さて、今回は内田百閒先生のように、用事もなく特急電車に乗って大阪に行ってきた、ということではありませんでした。用事がしっかりあったので、先生のように優雅に鉄道だけを楽しむ旅ではなかったのです。
しかし、5時間も超高速鉄道に乗っていますと、先生のエッセイを読むだけでは感じられないことに気づいたりしました。百閒先生は当時の特急「はと」が電気機関車に牽(けん)引されていて、時速70キロ以上出ているのではないか、とその速さに言及されています。いま時速70キロというと、常磐線の営業最高速度が時速130キロ超なのを考えると、速くはないのですが、戦後すぐには最先端であったでしょう。
このまえ乗った新幹線の最高速度は時速285キロです。百閒先生のときの4倍ほどになります。新幹線の車両は実によくできていて、揺れも騒音もないのですが、280キロの速さは体感できます。車窓の景色の流れが速い。目を閉じてもその速さを実感できます。日本国に通された鉄の道をすごいスピードで走り抜けるのは爽快でした。
なにか、日ごろの疲れが吹きとぶような、おはらいのような感覚がありました。百閒先生も用もないのにわざわざ電車に乗るために大阪に行っていたのは、このスピードの爽快感を味わうためではないのか、と思いました。国土を猛烈に走り抜けるという、現代では当たり前の体験。しかし、これは人類が日々更新している、新しい体験でもあります。
車内チャイムにみる時代の流れ
そういえば、新幹線の車内チャイムはTOKIOのBe Ambitiousが7月20日、20年来の勤めを終えて、最後だったそうですが、最後に聞けてよかったです。
20年前にAMBITIOUS JAPANをキャッチコピーに新幹線が走り抜けていた東京を思い出します。バブル崩壊後、IT革命勃発、グローバリゼーションの波の到来と、日本が新しい激動の時代に向かって立ち向かおうとしていた時代です。野心的であれ。
新しいチャイムは、UAさんの「会いにゆこう」だそうです。新幹線が日本の野望を担う大動脈から、個人と個人を結ぶ赤い糸に自己認識を変えたのでしょうか。時代の変化を感じずにはいられません。新幹線よ、永遠に。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)