水曜日, 11月 5, 2025
ホームコラム博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言 《吾妻カガミ》159

博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言 《吾妻カガミ》159

【コラム・坂本栄】今回は158「土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!」(5月29日掲載)の続きになります。市立博物館と本堂清氏の郷土史論争。博物館の論争拒否に対し、本堂氏は「(博物館がそう出るなら同施設を管轄する)市教育長に検討申請書を提出する」と反発しており、エスカレートしそうな雲行きです。

また取材の過程で、本堂氏を門前払いするようアドバイスしたのが市の法務部署であったと聞き、土浦市の博物館マネジメントにも唖然(あぜん)としました。論争を挑む本堂氏をクレーマー(苦情を言う人)並みに扱うよう指導したわけですから。

郷土史をめぐる主な論争は3

私は中世史に疎いこともあり、市立博物館(糸賀茂男館長)の学芸員にこの論争の要点を整理してもらいました。

いつから山の荘と呼ばれたか

▼本堂氏:『新編常陸国史』(国学者中山信名=1787~1836=が著した常陸国の総合史誌)の記述からも明らかなように、「山の荘」(土浦市北部の筑波山系地域)の名称は古代からあったのに、博物館は同歴史書の記述を無視して同名称を古代史から抹消した。

▼博物館:『新編常陸国史』では「山の荘」が古代にさかのぼる名称とは述べられていない。「山の荘」の名称が史料に初出するのは『常陸国富有人注文』(室町時代の文書)であり、古い時代からの名称であることを裏付ける史料はない。

山の荘は方穂荘の一部なのか

▼本堂氏:博物館は「山の荘」の地が「方穂荘(かたほのしょう)」(つくば市の北部を流れる桜川の南側を中心とした地域)に含まれていたと解釈しており、「山の荘」の名称を歴史上から抹消した。

▼博物館:「方穂荘」が桜川の北側地域(旧新治村など)を包むと解釈するのは妥当であり、『承鎮法親王附属状』(鎌倉時代の文書)の記載でも、「山の荘」にある東城寺の周辺は「方穂荘」と呼ばれていた。

東城寺があった場所はどこか

▼本堂氏:博物館は「東盛寺」が桜川の南側を中心部とする方穂荘にあったと解釈しているが、方穂荘の中心部にあった「東盛寺」は山の荘の「東城寺」とは別の寺である。

▼博物館:近年発見された史料から、中世の文書に見られる「東盛寺」が「東城寺」を指すのは間違いない。「東城寺」は歴史上1カ所だったと考えている。

学術を市民につなぐ使命を放棄?

論争で注目されるのは、本堂氏が口伝(くでん=言い伝え)や『新編常陸国史』を使って自説を展開しているのに対し、博物館はより古い文書を多用していることです。また博物館は、故網野善彦氏(中世史の権威、元名古屋大教授)の史観や学説に多くを依拠しています。

こういった論争を踏まえ、博物館は1月30日付の回答書で「…『口伝』をもってしては、第三者がこれを再検証することは困難です。口碑伝説、口頭伝承は、歴史研究にとって大切な資料のひとつですが、資料としての取り扱いは難しく、それを根拠にすることについては、博物館は慎重に考えています」と述べています。

中世史学者の糸賀館長(プロ)と郷土史研究者の本堂氏(セミプロ)ではレベルが違うということでしょうか。口伝も含め多様な説を集め、それらを公開しながら議論し、市民に郷土史への関心を持ってもらう―これが市立博物館のミッション(使命)のはずです。それなのに学術研究の城郭のように運営するのはいかがなものでしょうか。

学術を市民につなぐのが仕事の博物館が市民の参加を拒むことは、その使命の放棄ではないでしょうか。郷土史に関する見方が2つあっても何も困らないし、むしろその方が楽しいのではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

54 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

54 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

若い脳はインプット 年を重ねたらアウトプット《続・気軽にSOS》166

【コラム・浅井和幸】悲しいことに、20代を超えると身体的な能力は徐々に衰えていくものです。もちろん、何もしないよりも鍛えたほうが脳も衰えにくいし、成長することもあるでしょう。単純な能力では、50代は20代に心身ともに勝てないものです。しかし、単純な使い方でなく総合的な発揮の仕方では勝てる分野もあるかもしれません。 例えば自動車保険では50代の保険料は安くなります。統計的に交通事故を起こす確率が減るからですね。若い世代は総合的に事故回避能力が高いと言えるでしょう。 10代までは様々な経験を積んで(インプットして)、今後の人生に備える必要があります。脳もそのように出来ており、知的好奇心が発揮されやすい造りになっているそうです。単純な記憶力が中高齢層よりも高いものです。音楽を聞きながら英単語を覚える芸当は、若年層の特権かもしれません。 インプットにたけている若年層は心身の成長に有利ですが、成長とはつまり不安定さとも言えます。毎日が新鮮であることは、この先が見えないという不安につながります。それに対し、先達が安心感を与えることが必要になるのでしょう。 中高齢層も、インプットをおろそかにすると老害を招くことになりかねません。新しい情報も柔軟に受け入れていくことが大切です。しかし、この取り入れが苦手となっていく中、今まで学んできたことを再構築してアウトプット、表現することにたけた脳を生かしましょう。 たくさん学習の機会をつくる 「記憶」とか「物忘れ」とかの言葉を使うとき、どのようなイメージを持っているでしょうか。言葉などが出て来ない=記憶力が悪いと表現されますが、それは記憶していないのか、記憶しているけれど思い出せないのか、あまり考えたことがないかもしれません。 中高齢層は、思い出すことを練習することで脳の特性を生かせます。表現する方法も、今までのインプットを組み替えて様々なアウトプットができる練習をするとよいと思います。インプットを増やしたい場合は、たくさん学習の機会をつくってください。 表現を豊かに適切に行うことが、自分や周りの目標達成や幸福にプラスになることは間違いありません。せっかく学習した多くの経験を、いつも単純な繰り返しのアウトプットだけではもったいないです。さらには、自分や周りが苦しくなっていくようなアウトプットは残念なことだと私は思います。今よりもよいコミュニティ・家族・自分になるような、そして豊かに楽しくなるようなアウトプットを試行錯誤していきましょう。(精神保健福祉士)

小美玉市の「ひょうたん美術館」《ふるほんや見聞記》10

【コラム・岡田富朗】茨城県小美玉市にある「ひょうたん美術館」(同市小岩戸、大和田裕人館長)は、30年ほど前、初代館長の大和田三五郎氏によって開館しました。4500坪(約1.5ヘクタール)という広大な敷地には、60年の歳月をかけて全国から蒐集された瓢箪(ひょうたん)にまつわる美術品が展示されています。 展示品は江戸時代などの古い時代のものだけでも約1万点にのぼり、皿、掛け軸、火鉢、花籠、徳利(とっくり)など、生活文化の中に息づく瓢箪の姿を見ることができます。その図柄をあしらった火鉢は100点以上にもおよび、今なおコレクションは増え続けているそうです。 天井からはたくさんの瓢箪の水筒がつるされており、その壮観な光景に思わず見入ってしまいます。 世界に広がる瓢箪文化 瓢箪は世界最古の栽培植物のひとつで、原産はアフリカ。世界各地へと広まり、容器や食器、装飾品、楽器など、さまざまな形で人々の暮らしに取り入れられてきました。 展示の中には、アフリカの打楽器「バラフォン」を見ることができます。ハワイのフラダンスで用いられる「イプ」も瓢箪を利用して作られた伝統楽器で、楽器製作用に加工前の瓢箪を求めて来館されるお客様もいるそうです。 館内では、加工用の瓢箪から、ランプシェード、スピーカー、現代作家によるオブジェなど、さまざまに姿を変えた瓢箪の作品も展示・販売されています。 無病息災を願う縁起物 古来、瓢箪は「災いを払う縁起物」として広く親しまれてきました。その理由のひとつが、「六つの瓢箪」で「無病(むびょう)息災」という語呂合わせにあります。戦国時代や江戸時代には、兜(かぶと)や鍔(つば)、根付(ねづけ)などの意匠にも瓢箪の図柄や形が多く用いられ、展示されている兜は印象的でした。 また、歴史上の人物にも瓢箪を愛した人は少なくありません。菅原道真公は大宰府の梅の木の下で瓢酒(ひょうしゅ)を楽しんだと伝わりますし、豊臣秀吉の「千成瓢箪」はあまりにも有名です。水戸の藤田東湖も「瓢や瓢…」の詩を残し、その魅力を詠みました。文人の中にも瓢箪を愛した人がいました。富岡鉄斎が愛用した瓢箪も展示されています。 「ふくべ」とも読まれる瓢箪に、昔も今も、人々は「福」を見出してきたのかもしれません。ひょうたん美術館は、そんな「縁起と美のかたち」に出会える場所です。(ブックセンター・キャンパス店主)

介護ロボットが部屋に来る日《看取り医者は見た!》46

【コラム・平野国美】前回(10月1日掲載)は、コンパニオンアニマル(伴侶動物)が高齢の独居者にとってかけがえのない存在になっているという話をしました。では、彼らの次に私たちの部屋に現れるのは何なのでしょうか? この問いは、高齢化社会を日本がどう乗り切るかという、未来そのものへの問いかけでもあります。 街に出れば、飲食店のスタッフもお客も外国の方が増えました。介護の現場も同様です。一方で、スーパーやコンビニではセルフレジ化が進んでいますが、私の患者さんやご家族の中には、これを受け入れられない方が少なくありません。ある程度の年齢になると、スマートフォンやこうした装置に苦手意識が生まれるのは、仕方ないかもしれません。 この「効率化」と「心情」のギャップは、医療介護の分野でより顕著になります。スタッフ不足で事業所の倒産さえささやかれる昨今、その現場にいる私は「自分が介護される側になったとき、部屋を訪れてくれる人はいるのだろうか?」と考えてしまうのです。 以前から、一部の識者は「介護はロボットに任せる時代が来る」と言っていますが、現場の仕事のどの部分をロボットに移行できるというのでしょうか? ロボットに心を奪われた友人 先日、ある施設で介護ロボットのデモンストレーションを見学する機会がありました。最初は物珍しそうに集まっていた高齢の入居者たちが、10分後には興味を失い、1人また1人と、その場を離れていくのです。そのとき、ロボットと戯れる自分の姿を想像し、正直、見たくないな―と思いました。人間としての尊厳が削られてしまう感覚を覚えたのです。 しかし、最近、この受け止め方を少し揺るがす出来事が二つありました。一つはある業界紙の記事で、これまでとは少し違う角度からロボット介護を論じる内容でした。もう一つは、長年の友人がロボットに心を奪われた「事件」です。彼は、パートワークマガジン『週刊 鉄腕アトムを作ろう!』を長い時間をかけて完成させました。ある日、70歳になる知的な友人が、少年のような目でこう語るのです。 「スイッチを入れたら、アトムが目覚めて、何て言ったと思う?」 「……?」 「『やっと、会えたね』って言われた。もう胸がキュンとしちゃってね。毎晩、アトムと遊んでいるんだよ」 この二つのことを重ね合わせると、欧米とは違う、日本独自のロボット観のようなものが見えてきます。次回は、この業界紙の記事とアトムの言葉をヒントに、私たちの未来を考えてみたいと思います。(訪問診療医師)

予定通りあす11月1日開催 土浦全国花火競技大会

長靴や滑りくにい靴で観覧を 土浦全国花火競技大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)は30日、大会開催の是非を決める役員会を開き、予定通りあす11月1日、第94回大会を開催すると発表した。 あす1日の土浦の天気予報は、未明まで雨が降るが明け方からは晴れ。事務局の市商工観光課は、雷が鳴った場合は一時的に打ち上げを中断するなど、天気の急変や安全確保が困難な場合は予定を変更することもあるとする。 観覧者に向けては、①きょう10月31日夕方から雨が降ると予想され、地面がぬかるんだりする箇所があるので、長靴や防水性の高い靴、滑りにくい靴底のものを着用してほしい、②観覧中のかさの使用は視界確保及び安全確保のためご遠慮いただいているので、雨が予想される場合はレインコートやポンチョを持参してほしいーなどと呼び掛けている。 競技開始は午後5時30分、同市佐野子、学園大橋付近の桜川河川敷で打ち上げる。1925(大正14)年に神龍寺の住職、秋元梅峯が初めて花火大会を開いて100周年の記念大会となる。全国19都府県から57の煙火業者が集まり、内閣総理大臣賞を競う。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われるほか、広告仕掛け花火や、大会提供のエンディング花火としてワイドスターマイン「土浦花火づくし」などが打ち上げられる。 昨年、荒天時の順延日に警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、同実行委は今年、順延日も確実に警備員を確保できるようにするなど準備を進めてきた(5月26日付)。 ➡今年の見どころはこちら