【コラム・奥井登美子】手元にある「薬用植物大事典」をぱらぱらと開けてみる。シとセの所だけでも、シャリンバイ、オオショーガ、ベニショーガ、センキュー、センダン…などの植物名の後ろに、MAKINOとある。皆、牧野富太郎先生が命名した薬用植物たちである。
植物名の判定は、国際的にも、学問的にも、いろいろな判定基準があって難しい。先生が最初に植物学の知識を学んだのは明治13年(1880)。「本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)」(1803 – 1805年刊、小野蘭山著)という薬用植物の本であったらしい。
牧野冨太郎が大事典を発刊するまで、日本には植物図鑑に相当するような本がなかった。明治時代は、この本が植物名の検索に欠かせないものだったのであろう。
私の学生時代、牧野先生の家に行ったとき、どこが玄関か入口なのかわからないくらい、雑草と雑木が生い茂っていて、どこから入って行けばいいのか困ってしまった。
「雑草と言ってはいけません」。先生にとって、雑草こそが大事な大事な「恋人」の一部だったのだ。
野の草は無駄を一切排除している
私もささやかな家庭菜園をつくって、昆虫の観察と、野菜らしくない野菜の栽培を楽しんでいる。小さな畑ながら、目的もの以外は抜くしかない。
「ごめんね。抜くしかないけれど、あなたヒメジオン? ハルジオン? どちらなの? 花びらの幅が広いのと狭いのと、どちらがお姫様だったっけ?」
抜きながらお姫様に語りかけて、形を鑑賞する。小さな花なのに、花粉の形や花びらの位置が完璧なまでに見事に完成している。
雑草と呼ばれている野の草は、どの草も子孫を残して生き延びるための知恵として、無駄なものを一切排除しているから美しいのだ。
野の草の美学。牧野富太郎先生は草のデザイナーとしてすごい才能を持っていたと思う。牧野植物図鑑に描かれた絵の緻密で無駄のない美しさは、雑草の美学なのだ。(随筆家、薬剤師)