【コラム・冠木新市】「歌は国境を超える」とは分かっているつもりだったが、7月1日に開催する『第1回 世界のつくばで子守唄/海のシルクロード・ツアー 2023』の準備を進めるなかで、改めて再認識させられた。
ミャンマーの歌い手は、戦後2度ヒットした『この歌が終わる前に』が今回の企画まではミャンマーの歌だと信じていた。中国の歌い手は、大ヒットした『祈り』は中国の歌だと思っていたが、実は1970年代に台湾のTVドラマ『愛の旋風』の主題歌が海を渡り広がったものだと教えてくれた。
ところが、この2つの元歌は、なんと日本の『竹田の子守唄』なのである。日本では差別を意味する歌としてあまり歌われなくなったが、歌詞や意味が変わり、他国で歌われている。しかも、自国の歌のように。
『サウンド・オブ・ミュ一ジック』
昔、学校の映画鑑賞会で米国映画『サウンド・オブ・ミュ一ジック』(1965)を劇場に見に行った。3時間近い作品を夢中になった記憶がある。鑑賞会後の同級生の熱狂ぶりはすさまじかった。何度も劇場に通ったり、レコードを購入し、ジュリ一・アンドリュースの歌を披露していた姿を覚えている。
私が気になったのは、ミュ一ジックナンバーよりも、トラップ一家がナチス・ドイツから逃れ、山を越えスイスに向かうラストシーンであった。トラップ一家はその後どうなったのかが気になった。当時は情報も少なく、ブロードウェイの舞台を映画化したものとしか分からなかった。
何十年も過ぎ、ビデオ店で西独映画『菩提樹』(1956)を見つけ納得がいく。原作は、オ一ストリア・ザルツブルクのマリア・フォン・トラップの自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』(1949)を映画化したものである。第1作公開の2年後に製作された『続・菩提樹』(1958)では、米国に渡ったトラップ一家の経済的苦労やシヨ一ビジネス界との葛藤が描かれていた。『サウンド・オブ・ミュ一ジック』は、この作品の前篇のリメイクだった。
空前の大ヒットになったのに、この映画の続篇が作られなかったのが謎だった。しかし『続・菩提樹』を見て理解できた。オ一ストリア篇の華やかな世界に比較すると、米国篇は世帯じみたお話になって地味だからだ。今にして思えば、『サウンド・オブ・ミュ一ジック』は、裕福なトラップ一家が難民になる話を描いていたわけである。
『世界のつくばで子守唄』
5月13日、『世界のつくばで子守唄』実行委員会を開いた。バングラデシュ、インドネシア、中国の歌い手も参加して、次々にアイデアが出る。今回の目的は「子守唄で世界の人々との交流する場をつくる」ことにある。コンサートに向けて実行委員と歌い手、さらに参加者との交流を大事にしている。
同じ日と14日、『つくばフェスティバル』がセンター広場で開かれていた。初日は雨、翌日は曇り~晴れとなった。『世界のつくばで子守歌』に出演する歌い手が出店したり、ステージに関係していた。故郷の食べ物を懸命に作って売り、昔と今の民族音楽や舞踊を披露する姿を見て、『サウンド・オブ・ミュ一ジック』の続篇に近い世界がつくばにあると思った。
「歌が国境を超える」のではなく、「人が国境を超え、歌を伝える」のだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)