火曜日, 1月 13, 2026
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古民家改修終えお披露目 土浦 宍塚の自然と歴史の会

里山保全活動の拠点に

使われなくなった古民家を再生・活用する「百年亭再生プロジェクト」に取り組んできた認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」(森本信生代表)が7日、改修を終えた「百年亭」をお披露目した。土浦学園線沿いの土浦市宍塚に建つ。家屋は8畳2間の広さ62平方メートルで、キッチン、トイレ、シャワーが新設された。

プロジェクトは昨年3月にスタートした(2022年3月28日付)。クラウドファンディングを利用して寄付を募り、県内外の223人から目標金額を17万5000円上回る317万5000円が集まった。この日は雨が降る中、会のメンバーや支援者ら約30人が集まり、プロジェクトを請け負った建築家らの話に耳を傾けた。

お披露目された「百年亭」

「売りに出されていた古民家を、会の活動拠点に利用できないかと考えたのがプロジェクトの始まりだった」と、プロジェクトリーダーで同会顧問の佐々木哲美さん(70)が振り返る。同会は1989年の発足以来、宍塚大池と周囲に広がる約100ヘクタールの里山を保全するために、野鳥観察や田んぼ・畑作業などを通じて県内外から人を呼び込み幅広い活動をしてきた。

家屋は長年放置され雨が漏り、基礎は腐食し傾いていた。再生事業を担ったのは、土浦市在住の建築士、児玉理文さん(32)。プロジェクトへの支援を求める会の活動を知ったのがきっかけだった。児玉さんは学生時代、京都の宮大工に技術を学び、現在は県内の設計事務所で古民家再生に携わる。「『百年亭』を残すことは、里山を残すという会の趣旨と合致する」と考えた。プロジェクトには、児玉さんの学生時代からの友人で建築士の久保順司さん(31)と潤井駿司さん(32)が協力し、改修工事は、行方市で工務店を営む宮内久志さん(53)が請け負った。

プロジェクトメンバーの(左から)潤井駿司さん、児玉理文さん、佐々木哲美さん、宮内久志さん、久保順司さん=百年亭室内

児玉さんらが大切にしたのは、元の姿を尊重しつつ新しい技術を入れること。古民家の歴史的価値の保存だけでなく、実用性を重視した。欄間や付け書院などがある和室と縁側は、建設当時の姿に再生することを目指した。台所周辺の水回りは一新し、作業の後に汗を流せるようシャワーとトイレを新設して利便性を意識した。キッチンカウンターと床板には、隣接する里山からナラの木を切り出して使用した。児玉さんは「里山は人の暮らしと共にある。家屋も里山から切り出した木材を利用したと考えられる」と言い、その伝統を現代に応用した。壁下の地中には鉄筋コンクリートの基礎を設けて耐震性を確保した。

新設された真新しいキッチンには、里山から切り出された木材が使われている

「歴史を掘り起こし、読み解きながらじっくり時間をかけて仕事に向き合ったことは、今後につながる大切な経験」と、1年に及んだ仕事を児玉さんは振り返る。また児玉さんからの依頼で建築を請け負った宮内さんは「若い人たちが本当によく勉強していて、私も勉強になった」と笑みを浮かべた。

プロジェクトリーダーの佐々木さんは「丁寧な仕事に感謝している。私たちも彼らの思いを後押しできよかった」と話し、「文化事業に価値を見出し、さまざまな人が力を合わせられたことが一番の成果。みんなで実現させたプロジェクトを、里山全体の保全につなげたい」と期待を述べた。

「百年亭」の玄関

141年前に建築と判明

解体した玄関から木片が見つかり、「明治十四年 六月 佐野子 伊助作」の文字が墨で書かれていた。同会の森本代表(66)は「この家屋が建てられた年と、手がけた大工の名前。この家が、141年前に建てられたことがわかる」と言い、「この古民家が里山のほとりにあることに意味がある。若い人たちにも、里山がある暮らしを知ってもらうための拠点になればと考えている」と話し、「これまでにも、大学生などがボランティアに来てくれていたが、着替えをしたり、汗を流したりする場所がなかった。これからは、合宿、勉強会などに活用してもらうことで、環境保全の活動に取り組む若者の育成に繋げていきたい」と思いを語った。(柴田大輔)

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映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

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