【コラム・川端舞】来月、故郷の群馬で、とあるプレゼンテーション大会に登壇し、子ども時代のことを話す。多くの障害児が特別支援学校に通うなか、重度身体障害のある私は小学校から高校まで、障害のない同級生と同じ学校に通った。しかし、特に中学時代は、介助員からトイレ介助を拒否されるなど、つらいことが多かった。
私は中学時代の介助員や、介助員からの虐待に気づかなかった担任教員だけが悪いとは決して思っていない。
どんな障害があっても、健常児と同じ学校に通う権利があると国連は認めている。障害児を含めた全ての子どもが過ごしやすいように、環境を整えるのは学校全体の責任だ。それなのに、障害児には介助員さえ付けておけば、必要な支援はすべて介助員に任せておけばいいと思われていたことが、当時の介助員を孤立させ、虐待に追い込んだ。
学校全体に流れていた「重度障害児はこの学校にいるべきではない」という空気が、虐待に気づかないほど、担任教員の目を曇らせたのだろう。「どんな障害があっても、普通学校に通うのは権利で、それを保障するのは学校の責任だ」と教育全体が思わない限り、おそらく同じ悲劇は繰り返される。
自分のような経験は誰にもさせまいと今までも様々な場所で自分の経験を話してきた。
障害児が同じ教室にいるのは当たり前
しかし、子ども時代の自分を直接知る人も多い群馬で、自分の経験を話すことはないと思っていた。地元の普通学校で育った障害者が、受けてきた教育を否定しているとなれば、「だったら、特別支援学校に行けばよかったのに」と思われ、普通学校から障害児を一層追い出そうとするかもしれない。それが怖かった。
そんな私が子ども時代の経験を故郷で話すことになったのは、高校時代の友人が「川端に群馬で話してほしい」と言ってくれたからだ。私は彼に自分の過去を話した。その話をすると、多くの人は「そんなにつらいのに、なぜ普通学校に行ったのか」と私に問う。だが、友人は「なぜ大人が子どもを守らないのか」と反応した。
どうやら、高校3年間、障害のある私が同じ教室にいるのが日常だった彼にとっては、私が普通学校に通ったのは当たり前のようだ。障害児だった私を「普通の子ども」と捉え、その子が学校で傷つけられたことを、自分のことのように怒ってくれる。常に例外として扱われた私にとって、友人の反応は泣きたくなるほど心地よい。
友人が近くで聞いてくれるなら、群馬でも話せるかもしれない。どんな障害があっても普通学校に通うのが当たり前の社会になることを祈りながら、話してこよう。(障害当事者)