水曜日, 8月 5, 2026
ホームコラム土浦の「春花火」2連発 ドッドーン 《見上げてごらん!》12

土浦の「春花火」2連発 ドッドーン 《見上げてごらん!》12

【コラム・小泉裕司】「ただいま霞ケ浦湖畔で打ち上げているのは、花火師研修のための花火です」。3月11日(土)午後6時30分を少し回ったころ、花火画像とともに、このメッセージが土浦市の公式SNSに流れた。

コロナ禍、花火大会の中止が相次ぐ中、花火業界は直接的な打撃を受け、未来を担う人材育成にも赤信号がともり始めるなど、世界最高峰と言われる日本の花火技術の継承が危惧される状況にあった。そこで土浦全国花火競技大会実行委員会では、国の支援制度を活用、昨年、「花火技術後継者育成事業」を起ち上げた。

内容は、後継者育成プログラムに、「花火道」を志す全国32業者95人の花火師が参加、実績豊富な花火師による花火製造と打ち上げ技術のオンライン講習を8月から計5回開催。その成果として、参加者それぞれが製作した4号(直径約12センチ)菊型花火7発、同牡丹花火7発を順次打ち上げ、できばえを確かめたもの。

本日、「振り返り」研修をもって事業は完了。昨年にも増して花火大会の再開が予定される今年、経営危機は脱しつつあるようだが、今回の研修成果が、未来に向けて、持続可能な花火産業構築のきっかけになることを願う。

防波堤2カ所からの対打ち(同時打ち上げ)による間断無き連打1300発は、とても斬新な光景、まさに、初春を彩る「菊」と「牡丹」の品評会のごとし。作品の出来具合はピンキリだったが、これもまた一興。見上げ続けること45分、万年肩こりが、また悪化した。

三浦春馬さんをしのぶHEART花火2023

正真正銘の美青年。品のあるストイックさと才能あふれる輝きで、多くの人を魅了した三浦春馬さんの突然の訃報から今年で3年。今でも、春馬さんに思いを寄せる多くのファンが、生誕の地・土浦を訪れるという。

HEART花火」プロジェクトは、こうした思いを共有する皆さんが、春馬さんをしのび、4月5日の誕生日を祝って、故郷土浦で花火を打ち上げるイベント。昨年に続き、第2回目の今年は、4月1日に土浦新港で開催する。

土浦市の花火マッチング事業がサポート役となり、山﨑煙火製造所(つくば市)が打ち上げを担当。かかる経費はクラウドファンディングで募集。300人を超える賛同者から寄せられた144万円の支援でまかなうという。春馬さんが土浦の花火に魅了され、故郷の誇りとして大切にされたことは「見上げてごらん!」4(2022年7月17日掲載)のとおり。

彼へのリスペクトを込めて、筆者も些少(さしょう)ながら、今回の募集に参加。当日午後6時、打ち上げに先立って行われるセレモニーで、土浦の花火や春馬さんへの思いを参加者に伝えしてほしいとのオファーが届いた。何時間あっても語り尽くせぬテーマを5分にまとめるなんて、至難の業。千思万考は、当日まで続く。

春真っ盛りの花火を見ながら、主催者の思いを共有しよう。「春馬さんへの思いを込めた花火が少しでも皆様の心を癒やし、さらには、大切な人に思いを巡らせ、平和を祈る…そんな機会にもなってほしい」。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

鹿島神宮を訪ねて《ふるほんや見聞記》19

【コラム・岡田富朗】今年は、12年に一度の午年(うまどし)に執り行われる鹿島神宮の「式年大祭 御船祭(みふねまつり)」が、9月1日から3日まで斎行されます。祭礼は、1日の勅使参向例祭(ちょくしさんこうれいさい)・神幸祭(じんこうさい)、2日の御船祭、3日の行宮祭(あんぐうさい)・還幸祭(かんこうさい)の3日間にわたって執り行われます。12年に一度、午年に斎行されるのは、十二支が一巡する節目であることに加え、午が方角では南、時刻では正午を表し、陽の気が最も盛んになると考えられているためです。この大祭には、「天下泰平」「諸願成就」「魔陣退散」の願いが込められています。 鹿島神宮では年間90を超える祭儀が執り行われ、祭頭祭(さいとうさい)や白馬祭(おうめさい)、流鏑馬(やぶさめ)など特色ある諸行事が数多く行われていますが、その中でも一番規模の大きな祭礼が御船祭であり、本邦内海で行われる御船祭としても最大の祭典です。開催期間中は多くの人出が見込まれるため、神宮周辺では交通規制が実施されるほか、シャトルバスが運行されます。 御船祭の起源は二千年以上前にさかのぼるとされ、平安時代より体系化され、世情に合わせその規模や形を変えることはあっても、現代まで脈々と受け継がれてきた祭礼です。 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)は鹿嶋の地域だけでなく、日本全国を守護する神として古くから信仰されてきました。その御神威を広く全国に届けるため、祭礼の舞台となるのが、かつて「香取の海」と呼ばれた広大な水域です。現在の霞ケ浦や北浦、水郷地帯一帯に広がっていたこの内海は、古代には東国最大級の水上交通の要衝でした。 現在の御船祭は1870(明治3)年に再興されたもので、御分霊をお遷(うつ)した御神輿に約2000人が供奉して北浦湖岸の大船津へ向かいます。大船津河岸の大船津鳥居(西の一之鳥居)に御船祭の時期のみ設置される船着き場で神事が執り行われます。そこから色鮮やかな五色の吹き流しや龍頭を飾りつけた「御座船」を先頭に、幟旗や大漁旗を飾り付けた約100隻の供奉船(ぐぶせん)が約11キロをわたって香取市加藤洲に向かって進み、香取神宮のお迎えを受けます。 武甕槌大神と経津主大神 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」と香取神宮の御祭神「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)は、ともに協力して日本の基礎を築き上げた神として神話で語られています。御船祭では、「今後も共に国の安寧のために力を尽くす」ことを確認することに重要な意義があるとされています。香取神宮では2026年4月に12年に一度の「式年神幸祭」を執り行い、「経津主大神」を鹿島神宮の神職がお迎えしています。 こうした歴史ある式年大祭を迎えるにあたり、2020年から5年7カ月にわたり、記念事業として境内の主要建造物を修繕する「令和の大改修」が進められてきました。6月には楼門改修工事の完了をもってすべての工事が終了し、修復を終えた楼門が参拝者を迎えます。楼門は1634(寛永11)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房によって奉納されたもので、日本三大楼門の一つに数えられ、国の重要文化財にも指定されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

筑波大、2年ぶりの皇后杯出場ならず 女子サッカー県予選 準優勝 

第32回茨城県女子サッカー選手権 兼 皇后杯JFA第48回全日本女子サッカー選手権関東予選茨城県予選は1日、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド)で決勝が行われ、筑波大学女子サッカー部とQOL IBARAKI MITO CIRUELA(シルエラ)が対戦、筑波大は0-1で敗れた。2年ぶりの皇后杯出場はならず、準優勝となった。 第32回茨城県女子サッカー選手権大会(8月1日、水戸ツインフィールド)筑波大0-1シルエラ前半0-0後半0-1 シルエラはかつてMITO EIKO FC茨城レディースとして活動していたチーム。2019年にFC水戸シルエラに改名し、22年に運営会社の移管に伴いFC QOL MITO CIRUELAに再改名し、この年関東女子サッカーリーグ2部に昇格した。25年には体制を一新、ゼネラルマネージャーに赤崎秀平さん(筑波大学、J1鹿島などでプレー)、アドバイザーに鈴木隆行さん(元日本代表、J1鹿島、J2水戸などでプレー)が就任し、監督には佐藤誠一郎さん(元水戸商高監督、前つくばFCレディース監督)を迎えた。 「前回対戦したときからスタッフも選手も替わっており、気を引き締めて臨んだ。前に足が速い選手がいて攻撃力があり、後ろの守備もしっかり固めている」と、筑波大の吉田拓矢監督は印象を語る。 試合では、前半は筑波大が圧倒的にボールを保持した。攻撃時は4-3-3、守備時は4-4-2のフォーメーションで、サイドからは左ウイングの戸塚環が両足を使ったステップやドリブルで敵陣を切り裂き、中央では大野羽愛から石原百華へのホットラインが機能していた。シルエラはパスの狙いは良いものの選手の動きと合わず、ボールをロストする場面が多く見られた。 前半の給水タイム以降はシルエラの動きが良くなり、筑波大のパスを巧みに刈り取る場面なども多く見られるようになった。後半に入ってもシルエラの勢いは続き、7分にはついにゴールを割られてしまう。左サイドのペナルティエリア横へ攻め込んだ相手選手を倒してしまい、直接フリーキックに。相手が中央で頭で合わせたボールを一度ははじき返したが、こぼれ球を押し込まれ、これが決勝点となった。「ファールを取られた位置も、はじき返した位置も悪かった。壁が壁として機能していない。最後の寄せをチームとして徹底しなくては」と、筑波大主将でDFの山崎琳の反省の弁。 筑波大の次の目標は、関東大学女子サッカーリーグ1部への復帰。2部リーグ優勝なら自動昇格、3位以内なら入れ替え戦の機会が与えられる。「いま5位で残り5試合。取りこぼしは許されない」と吉田監督。そのためには今日の敗北も糧にしたいところ。「1試合の中でチャンスはそう何度もない。決めるところを決めきることが大事。うまいから勝てるわけではない。勝ちきるメンタリティーも鍛えなくては」と、9月末からのリーグ戦再開に備える。(池田充雄)

バイシクル・ダイアリーズ ⑷《ことばのおはなし》95

【コラム・山口絹記】前回記事では、人生初の本格的なサイクリングがヒルクライムになりつつあるところまで書いた。 冷静に振り返ってみると、私がこんな無謀なコトに及んだのにはそれなりの理由があるように思う。つくば市に暮らし始めて10年以上たつのだが、実はつくばの中心部の街並みには坂がほとんどないことを意識せずに暮らしてきた。したがって、普段ロードバイクで走る分には坂道を経験したことがなかったのだ。平地に飼いならされていたと言ってもよいだろう。 そして、今回のライドにおける前半30分、約10キロが実はずっと下り坂だったことに私は気が付いていなかった。初心者の私でもしっかりペダルを踏み込めば時速40キロ以上出せることを、自分のバイクの性能ゆえと思い込んでいたのだ。ロードバイクってこんなに速いんだ! すごい! 端的に言って間抜けである。 平坦と思い込んでいた下り坂の爽快な記憶をひきずったまま、私はヒルクライムを開始した。何かつらいけど、まぁなんとかなるだろう、そう思った。実は、私が走っていた道は「八幡高原チャレンジコース」という名のコースの一部で、中上級者向けの山岳コースという位置づけになっているらしい。 走行開始から2時間30分、短い下りから突然の上り坂、獲得標高にして760メートルで両脚を激しくつった。下りで重くしていたギアのまま、上りに突入したのが原因だ。ショルダーバッグを投げ捨てたくなるのをこらえ、坂道に罵声を浴びせ、悲鳴をあげながらバイクをひいて歩いて登る。食料はない。持ってきたのは水500ミリリットルだけ。軽い遭難である。 走行距離42キロ、3時間40分 そこから45分かけて、もう一度短い下りを挟んだ上り坂を悲鳴と愚痴を吐き散らしながら標高1040メートルの八幡崎に登頂した。獲得標高959メートル。少し曇ってはいたが那須野が原の景色が広がっていた。なんてこった、ちょっと気持ちいい。 帰りはほぼ下り坂だ。延々と苦しんだ登りを15分で下ることができた。総走行距離は42.21キロ、約3時間40分のライドだった。 記憶領域の小さい私の脳みそに残ったのは、那須野が原の景色と下りの気持ちよさだったのだろう。帰ってきた3日後の5月6日深夜、偶然「ツール・ド・つくば2026」のエントリーページを見つけた私は、深く考えずにその場でエントリーした。ツール・ド・つくばのコースは全長約12キロ、高低差約500メートルだという。途中から歩いたとはいえ、すでに私は脚がつるまでに760メートル登り、距離にしたら40キロ以上走っているのだ。 翌日、過去のツール・ド・つくばの映像をYouTubeで見た私は凍り付いた。なんかみんなピチピチの服にサングラスをつけて走っている。こんな服持ってない。というか、思ったよりだいぶ本格的である。まずいかもしれない。大会の本番は5月31日。あと3週間である(言語研究者)

最期の1週間、家では何が起こるのか?《看取り医者は見た!》54

【コラム・平野国美】患者さんのご家族から受ける相談には、いくつか共通するものがあります。その代表が、この問いです。「先生、あとどれくらいなのでしょうか?」。その奥にあるのは、残された時間の長さへの関心だけではありません。「これから家で何が起こるのか、自分たちで看られるのか」という不安です。病名は理解していても、その先の日々に何が起こるかは、案外、誰も知らないのです。 私は23年にわたる訪問診療で、3400人ほどの患者さんの最期に立ち会ってきました。その経験から言えるのは、人生の最終盤の1週間には、多くの方に共通する「ゆるやかな道筋」があるということです。それを知っているかどうかで、ご家族の1週間はまったく違うものになります。 まず、食が細くなります。ご家族はここで一番動揺されます。「食べないから弱るのではないか」と。しかし順序は逆です。体が「店じまい」の支度を始めたから、食べなくなるのです。この時期の体は、栄養を受け取る力そのものを畳みつつあります。無理に食べさせることは、むしろ本人を苦しめることがあります。好きなものを一口、ふた口。それで十分なのです。 次に、眠る時間が長くなります。ウトウトと、1日の大半をまどろみの中で過ごすようになる。呼びかけへの返事が減ると、ご家族は「意識がなくなった」と悲しまれますが、耳は最期まで働いていると私たちは考えています。返事がなくても、声は届いています。 そして最後の数日、呼吸の仕方が変わります。喉の奥でゴロゴロと音がしたり、あごを上下させるような呼吸になったりします。初めて見るご家族には、苦しんでいるように見えます。夜中にこの呼吸が始まって、救急車を呼ぶべきか迷ったという話を、私は何度も聞いてきました。しかし、これは死前喘鳴(ぜんめい)、下顎(かがく)呼吸と呼ばれる、体が閉じていく自然な過程です。本人の意識はすでに深いところにあり、見た目ほどの苦痛はないとされています。 最期は医療でなく家族の出番 以前、看取らせていただいたある男性のご家族には、この道筋を初診の日を含め、何度かお伝えしてありました。最期の夜、例の呼吸が始まったとき、娘さんは慌てませんでした。「先生の話していた呼吸だ」と気づき、救急車ではなく、父親の手を握ることを選ばれました。翌朝、私が死亡診断に伺うと、娘さんは泣きながら、しかしどこか晴れやかに言われました。「最期まで家の音の中に居させてあげられました」 死の間際の変化は、知らなければ「異変」ですが、知っていれば「道筋」です。異変には救急車で応じるしかありませんが、道筋とわかれば、手を握って寄り添うことができます。最期の1週間に家で起こることの多くは、医療の出番ではなく、家族の出番なのです。 そして、その道筋を前もってご家族に手渡すこと。それが私たち訪問診療医の、処方より大事な仕事なのかもしれません。(訪問診療医師)