月曜日, 10月 12, 2026
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知事との対話の芽―高校が足りない 《竹林亭日乗》1

【コラム・片岡英明】毎日、竹林と筑波山を見ながら散歩している。天声人語を読むと、コラムとは少し離れた視点で書くようだ。世相と少し離れたところから日記を書いた永井荷風を参考に、コラムの名前をつけた。

片岡英明さん

私は「出会ったところで考える」「対話で耕し合意形成」を心掛けている。その構えの方が疲れず、楽しいからである。では、どんなことに出会っているか。

1月27日のNHK首都圏ニュースのTX沿線特集で、つくば市は高校が足りないことを扱った6分ほどの放送があった。私たちは、2021年5月に「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」を立ち上げ、学習・懇談・署名などの活動を行ってきたが、当事者の受験生がマスコミに登場したのは初めてである。

取材された学生の「つくば市は結構人口も増えたので、もう少し高校を建ててもいいと思います」との発言に、「大人がこれに応えなければ」と感じた。

人口・子ども増「第3の波」

つくば市には「第3の波」が到来している。4町村が合併した1987年ごろ、第2次ベビーブーム世代の中学生増が「第1の波」。1989年をピークにして減少に転じた引き波が「第2の波」。多くの都市では、出生率低下により減少が続くが、つくば市は違った。TXが開通した2005年を底にして、中学生は増加に転じた。

TX沿線開発に伴い、2015年以降、つくば市では人口・子どもが増加し、「第3の波」が到来した。この事態への理解が問題解決の最初の鍵だ。

総務省人口移動報告(1月30日発表)によると、茨城県の人口は2年連続して転入超過になった。東京圏からTX沿線に移る人が増えたからだ。県としては、「第3の波」が続いていることへの対応が求められている。

私たちは、子ども増への対応について、県知事や教育長と対話を始めた。森作教育長は県民の声を受けとめ、つくばエリアの県立高校定員について、昨年11月の県議会で「進路選択に影響が出ないように検討し、その計画を示す」と答弁した。

大井川知事も、12月8日の茨城県総合教育会議で「通学圏のなかで学級数が足りないというのであれば、クラスを増やすなど、対応できるように県として努力します」と答えた。これは県との対話の芽である。

既存高の学級増か高校新設か

既存高の学級増か高校新設か? 新設高校は県立か市立か? 二者択一を迫る声もあるが、昨年の教育長と知事の答弁を基点に、まず、学級増の検討を始めてほしい。

教育長が言う「中学生の進路選択に影響がない学級増」とは、つくばエリアの全日制県立高の入学枠を広げ、県の平均収容率に合わせる努力をする「宣言」と考える。県平均に合わせるには、まず現時点で何学級不足か、さらに今後何学級不足するか―明らかにする必要がある。

県と市が生徒数や目標のすり合わせ作業をし、まず必要学級数を検討する。次に、その学級をどう増やすかがテーマになる。そのとき、学級増か高校新設か、県立か市立か―の問いは解消するように思う。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。

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