日曜日, 3月 15, 2026
ホームつくばパイオニアは元養護教員【北条宿でコーヒーブレイク】1

パイオニアは元養護教員【北条宿でコーヒーブレイク】1

つくば市内にいくつもある喫茶店は、老舗から新鋭まで様々な展開を見せている。古民家を活用した店もあり、研究学園地区の外側に店を構える例も増えている。

その中で、行政のくくりでいう筑波地区の「北条宿」(宿=しゅく=は街道の拠点となったところ。本稿ではあえてこの呼称を使う)には、この手の業種が存在しなかった。

補足するなら過去には存在しなかったといった方が適当だ。少なくとも地域の人々は「スナックはあったかもしれないが、喫茶店は聞いたことがない」「そもそもお茶は家で飲むもんだ」と答える。

2022年、現実には3件の喫茶店が存在する。喫茶店やカフェという業種が、いつの間にか北条の町なかに定着したことは、実は新鮮な風景なのだ。北条宿においてコーヒーを飲むことのできる喫茶店を訪ね歩く。

サイフォン式に憧れて

北条カフェのパイオニアでもある「茶房 佳風」

初回に訪ねる「茶房 佳風(さぼう かふう)」は、国道125号の北条歩道橋交差点から南に入った一軒家の店舗。ガソリンスタンドが国道側に所在するため目立たないたたずまいだが、この店こそが北条の地にコーヒーブレイクのスポットを開拓したパイオニアだ。

店主の横山ひろ子さん(71)は、元は養護学校の教員だった。家族の介護のために50歳で職場を辞する。コーヒー豆の焙煎(ばいせん)や淹(い)れ方に触れたのは、教員時代に余暇の楽しみとして参加した公開講座だったそうだ。

「サイフォンで淹れるコーヒーの透き通ったワインのような色がとても素敵で、いつか自分でやってみたいと感じました。教員を辞め、その後家族の介護からも解放されたとき、まだ追いかけられる夢として、コーヒーがあったんです」

当時、公開講座を開いていたのは、利根町などで「コーヒーハウスとむとむ」を経営する小池康隆社長。再び喫茶店のいろはを学ぶために門を叩き、店舗の立地条件や客足の季節毎の変動など、とむとむのノウハウを伝授してもらった。2006年9月に開店した。

コーヒーはサイフォン式で提供される

クラブハウスサンドは逸品

なぜ北条だったのか?

「自宅から通えるところで人の集まる町が北条でした。小池社長からは、役所と学校の近くは意外に客は入らないよと言われましたね。開店の頃はすごい人だかりで1カ月ほどはてんやわんやでした。でも言われたとおり、年が明けるとお客さんが来なくなった。まさしくお茶は家で飲むもの。そういった風習との戦いというか、じっと待つ毎日でした。その間、絶やさなかったことはいつでも笑顔でいること。それも小池社長の教えです」

店が軌道に乗ったのは3年ほど経過してからだという。客層は喫茶店になじんだ団塊世代が中心となり、午後7時で閉店するところを「8時までやってよ」と要望されたという。

横山さんのコーヒーは蒸気圧でお湯をフラスコからロートへ移しながらコーヒー粉に浸すサイフォン式。カップ2杯分が提供される。サイフォンによるコーヒー抽出は強めの苦みと濃い味わいになるといわれているが、佳風のコーヒーは横山さんが憧れた透き通ったワイン色を醸し出すため、ソフトブレンドのようにあっさりとしている。

看板メニューのクラブハウスサンド

手伝いを頼むこともあるが、大半の仕事は横山さんが1人で行う。想像以上にメニューの内容も充実している。お勧めを聞くと「クラブハウスサンド。学生の頃、浜松町の世界貿易センタービル最上階のレストランでホールスタッフのアルバイトをしていました。そのときのメニューでとてもおいしそうだったことと、厨房の人たちの手際を思い出しながら、これは喫茶店でもできるかな、と」

横山アレンジが施されてはいるが、佳風のクラブハウスサンドは、今は貿易センタービル改築のために閉店してしまった浜松町東京會舘仕込みの一品だった。(鴨志田隆之)

続く

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