火曜日, 12月 2, 2025
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エレキの神様・寺内タケシに感化 土浦出身の映画監督 ご当地で製作発表

昨年6月に82歳で亡くなった土浦出身のギタリスト、寺内タケシさんを偲ぶ映画「俺たちの長い旅~エレキの神様に捧ぐ」が2023年夏の公開を目指し、製作される。映画監督で脚本を書いた鈴木純一さん(63)が1日、土浦市内で出演者らと製作発表に臨み、来春予定のクランクインでは、同市はじめ茨城県内オールロケでの撮影になることが明かされた。

勇気と希望と絆の青春ドラマ

映画「俺たちの長い旅」製作委員会(大石真裕委員長)による製作発表は、寺内さんの生家が営む映画館、土浦セントラルシネマズ(同市川口)の特設会場で行われた。鈴木監督のほか、出演が予定される緒形幹太さん、宮崎さやさんが出席した。

製作発表に臨む(左から)宮崎さやさん、鈴木監督、緒形幹太さん=製作委員会提供

鈴木監督と宮崎さんは同市出身。「夢のキセキ~里山の少女からもらった一粒の光~」(2017年)などの作品がある鈴木監督は、寺内さんと同じ土浦旧市内の生まれで、父親の茂さんは地元の楽団でギターを弾く音楽好きだった。幼いころ、寺内さんのコンサートに連れていってもらい、以来「大ファン」になったという。

60年代にエレキギターやバンドが非行の温床だとして学校で禁止されるようになる中、寺内さんは母校の県立土浦三高を皮切りに、数十年かけて全国1500百校近くの高校で演奏した。「ハイスクールコンサート」と呼ばれる活動。音楽を通じ、学校や保護者、地域社会の理解を得る取り組みで注目された。軽音楽好きの鈴木監督は、同じ時代を過ごした。

しかし近年、特に若者の間では「寺内タケシって誰?」となるほど存在感が薄れてしまい、映画化の思いを募らせたそう。ここ数年ミュージシャンの伝記映画がさかんだが、「寺内さんはあまりに偉大過ぎて、演じられる俳優がいない。今の時代の高校生の中に投影して、青春ドラマとして描き直すのはどうだろう」と企画した。折からのコロナ禍、修学旅行も運動会も成人式まで出来ずにいる若者の閉塞感を重ね合わせて脚本を書いた。

茨城の高校生たちでつくる軽音楽部。それぞれが抱える悩みや苦しみと葛藤する中、指導の教師から地元に「エレキの神様」と呼ばれた人がいたと聞かされる。過去にエレキ禁止令というものがあり、子供たちの音楽の自由が奪われていたこと、それをエレキの神様が救ってくれたことを知り、新たに上を向き歩み進んでいく-、勇気と希望と絆の物語に仕立てた。

一昨年には横浜にある寺内さんの自宅を訪ね、脚本を見せると「分かった、任せる」と映画化に快諾を得た。コンサート以外で初めて、対面で会う機会だった。

県内オールロケ、エキストラも県内募集へ

ところが昨年6月18日、寺内さんが他界。「同じ6月の6日に母親を亡くし、自分も参っているところへの訃報だった。母の享年も寺内さんと同じ82歳、前に進まなければならないと思った」そう。

脚本に手を加え、製作委員会を立ち上げ、キャスティングを開始。1日の製作発表に漕ぎつけた。筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に寺内さんを顕彰し遺品などを集める「寺内タケシ記念館」が開館したのが10月31日で、土浦のファンから「なんで筑西なんだ」との嘆きが聞かれるタイミングでの発表になった。

クランクインは来年3月、順調なら夏には公開の予定。寺内さんの演奏する記録映像を織り込みながら、全編を土浦を含む県内ロケで描きたい意向だ。舞台となる土浦三高には特にこだわりたいとし、「三高の桜並木のある坂道で現地ロケをしたいし、三高の名前も使いたい」と鈴木監督。

クランクインまでの間に、県内高校の軽音楽部などを通じエキストラを募集する一方、出演以外にも一般の協力を幅広く呼び掛けていくという。(相澤冬樹)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

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