火曜日, 4月 7, 2026
ホームつくばつくば市から3人目のロータリー茨城代表、大野さん【キーパーソン】

つくば市から3人目のロータリー茨城代表、大野さん【キーパーソン】

茨城県にはロータリークラブ(RC)が55ある。つくば学園RCの大野治夫さんが、これらクラブを代表するガバナーに就任した。任期は7月から来年6月までの1年間。つくば市東光台で不動産管理業を営む大野さんはRC歴18年。業務区と住宅区から成る開発地域・東光台(合併前の豊里町と谷田部町の一部)の土地持ちでもある。ガバナーとしてやりたいこと、つくばの最新土地事情について聞いた。

つくば学園RC会員、目標100人超え

RCは地域の名士が参加する奉仕組織だが、週1回の例会を通じ、会員たちが親睦を図り、いろいろな情報を交換する場でもある。つくば学園RCの会員は現在89人。土浦市では最多の土浦南RC(85人)を上回り、つくば・土浦地区では一番の会員数になった。大野さんによると、来年6月までに100人超えを目指す。

つくば学園RCがガバナーを送り出すのは、約20年前の吉岡昭文さん(筑波山神社前の旅館「江戸屋」現会長)、約10年前の野堀喜作さん(東光台の不動産管理会社「ツクバ企画」現会長)に次いで、3人目になる。

10月末、つくば市内で茨城大会開催

ガバナー就任からひと月。これまでどんなことをしてきたのか? 任期中にどんなことをしたいのか?

「ガバナーの仕事は、県内55のRCをすべて訪問し、どんな活動をしているのか把握すること。この1カ月で10のクラブを回った」「会員が最も多いのが水戸RCの115人。会員3人の小所帯もある。奉仕には、活動する会員とおカネが必要で、各クラブとも苦労しながら活動している。頭が下がる思いだ」「10月29、30日には、ノバホール(つくば市吾妻)で茨城地区大会を開く。そのころにはクラブ訪問もほぼ終わり、その後は次の方への引き継ぎに入る」

「つくば市内には、つくばシティRC(54人)、つくばサンライズRC(11人)もあるが、私がガバナーの間に、つくば学園RCの会員をもっと増やしたい。青年会議所(JC)などで活動している、若い人にも声を掛けている」「茨城全体のRC会員は今1850人。こちらも、来年6月までの任期中に2000人以上に持っていきたい」

TX研究学園駅周辺、坪100万円超え

今日、衣料通販、ZOZOの大倉庫や製薬大手、エーザイの研究所などが立地する東光台の開発に、どう関わったのか? TX駅近くの地価が上がっていると聞くが、取り引きの現状は?

「40~50年前、私の父の時代に、旧豊里町と旧谷田部町の地権者5人が代表になって組合をつくり、民間で開発したのが今の東光台。父はその1人で、広いクリ畑などを提供した見返りに、東光台のあちこちに土地をもらった。私の会社『東光拓商事』はその土地やアパート・マンションなどを管理している」

「つくばの発展で大きいのは、TXが開通(2005年)し、東京への通勤圏になったこと。市内3地上駅―研究学園駅、万博記念公園駅、みどりの駅―周辺の住宅地はほぼ売り切れた」「半年前、坪(3.3平方メートル)13~15万円だった万博記念公園駅近くは(需要増加と供給不足により)、今では30万円。(研究学園駅から少し距離がある)東光台も、2~3年前、坪20万円以下だった住宅地が、今は30万円になっている」

「(ショッピング店舗、金融機関支店、自動車販売店などが建つ、市内で一番にぎわっている)研究学園駅の周辺は、坪100万円を出しても買えないほどだ」

【おおの・はるお】1952年、旧谷田部町面野井(おものい)生まれ。1975年、大東文化大経済学部卒、旧東陽相互銀行(旧つくば銀行を経て現筑波銀行)入行。父の死去により、2002年銀行を辞め、不動産管理会社「東光拓商事」を設立。現在まで社長。2004年、つくば学園RC入会。2016~2017年、同会長。茨城ガバナーの正式名は「国際ロータリー第2820地区ガバナー」。つくば市東光台在住。

【インタビュー後記】ロータリークラブ(例会は原則昼)と似たような集まりは、ほかにライオンズクラブ(同夜)や倫理法人会(同朝)がある。地域の事業者にとっては、いずれも情報交換の場。私も38年ぶりに土浦に戻ったとき、土浦RC(つくば学園RCの親クラブ)に入会。新聞社経営の助けになっただけでなく、地域の友だちゼロのワイフ(函館出身)にとっては、遊び仲間をつくる場になった。感謝。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

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「芥川龍之介記念館」来年夏に開館《ふるほんや見聞記》

【コラム・岡田富朗】芥川⿓之介は、東京帝国⼤学(現・東京⼤学)学⽣であった1914(⼤正3)年から亡くなる1927(昭和2)年まで、北区⽥端に暮らしました。その芥川の居住跡地に、「芥川龍之介記念館」(仮称)が、没後100年を迎える2027(令和9)年夏に開館する予定です。命日である7月24日は「河童忌」と呼ばれ、毎年芥川龍之介をしのぶ催しが行われています。 ⽥端には、明治から昭和期にかけて、1キロ四方の狭い地域に累計100人以上もの芸術家や文筆家らが暮らしていました。1889(明治22)年に東京美術学校(現・東京藝術⼤学)が上野に開校すると、上野への便がよい⽥端には、芸術を志す若者たちが住むようになりました。 そして1914(⼤正3)年に芥川⿓之介が転⼊し、その後、室⽣犀星、菊池寛、堀⾠雄、萩原朔太郎、⼟屋⽂明らも転⼊し、芸術家のみならず、多くの⽂⼠も住む地域となっていきました。 陶芸家の板谷波山も、1903(明治36)年から、当時、人家少なく故郷の筑波山を望むことのできる場所ということで、田端に居を構えていました。1945(昭和20)年、戦災により住居兼工房が全焼し、郷里に疎開しましたが、戦後再び戻り、終生田端で暮らしました。 芥川⿓之介の没後、⽥端の家にはご遺族が居住していましたが、1945年の空襲により焼失し、ご遺族は転居しました。その後、集合住宅1棟と個人住宅2棟が建ちましたが、2017(平成29)年、そのうち1棟が売却されることとなり、翌18年に北区はその⼟地を購⼊し、国内初となる「芥川⿓之介記念館」(仮称)を建設することを表明しました。これまで芥川⿓之介を単独で顕彰する記念館・⽂学館は設置されてきませんでした。 大正期の暮らしを体感できる場所 芥川龍之介が居住し、多くの作品を生み出したこの地において、記念館は大正期の暮らしや創作環境を体感できる場所となります。邸宅2階にあった書斎は、創作の場として再現され、芥川が実際に使用していた文机やインク入れ、ペンなども複製して配置されます。来場者は再現された書斎に実際に入ることができ、これらの複製品に触れることもできます。 また建物や内装、庭園に至るまで、当時の姿を参考にしながら空間の雰囲気を大切にし、庭の木々や石の配置についても、写真資料などを手掛かりに芥川が見ていた風景の面影を感じることができるよう、整備をする予定です。館内には展示スペースのほか、ミュージアムショップの設置も予定されています。 北区地域振興部文化施策推進課の飯塚さんは「今では、田端に住む人の中でも芥川龍之介が実際に田端に住んでいたことを知らない方が増えています。北区民、文学ファンの中でも「芥川といえば⽥端」ということを知らない人たちに、是非足を運んでいただき、芥川が数多の名作を生み出した書斎などを「体感(feel)」して、楽しんでもらいたい」と話してくれました。 芥川⿓之介の作品は40を越える国・地域でも翻訳され、現在も世界中で高く評価されています。開館に向けてクラウドファンディング(CF)も行われており、海外からの支援も寄せられているそうです。今後のCFは今年の夏ごろを予定しているそうです。(ブックセンター・キャンパス店主)

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里山に響く若者たちの声《宍塚の里山》134

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