水曜日, 9月 10, 2025
ホームコラムつくば市長の宿痾 総合運動公園問題 《吾妻カガミ》137

つくば市長の宿痾 総合運動公園問題 《吾妻カガミ》137

【コラム・坂本栄】元研究者たちによる五十嵐つくば市長リコール署名運動(7月11日~8月10日)が進行中です。解任の理由は多岐にわたりますが、一番は「議会の議決を取らず公有地を売り払うような市長は辞めさせよ」ということです。このコラムでも何度か、総合運動公園用地売却の手順のおかしさを取り上げてきました。この際、改めて整理しておきます。

リコール運動は「変節」市長への怒り

135「運動公園用地売却…の不思議」(6月20日付)では、▽前市長がUR都市整備から用地を買ったとき、名義上の取得者は市土地開発公社だった ▽しかし、借金した用地代金の返済について、議会から「市が債務を保証する」旨の議決を得ている ▽借金の元利返済も、その予算について議会の承認を得ている ▽それなのに、売るときには議会の議決は要らないという理屈は何か変だ―と指摘しました。

129「公有地売却…『逃げ』の…市長」(3月21日付)では、「市が行ったパブリックコメント(意見募集)では、(コメントを寄せた)77人のうち売却に賛成は2人、残りは反対か対案提示か分類不可でした。2択方式(賛成か反対)で分けると、賛成はたった3パーセントです」と書きました。

125「公有地売却…市の牽強付会」(1月31日付)では、「少ないサンプルで市民の声を計るのは正しくありません。そこで提案です。市民の声を聴くため、市長発意による住民投票(総合運動公園の是非で実施)か、サンプル数が多い無作為抽出調査(土浦市との合併の是非で実施)をやったらどうでしょうか?」と提案しました。

前市長が執行部主導であったことを批判、その否定の上に発足した五十嵐市政のセールスポイントは、議会にきちんと相談する、市民の声をきちんと把握する―でした。ところが、上記3つのパラグラフで引用したように、自ら定めた市政運営の基本を捨て去り、議会と市民の意見を聴かずに市政を進めるようになりました。リコール運動はこういった「変節」に対する怒りではないでしょうか。

議会や市民を軽視し、公有地を売却

五十嵐市長にとって、運動公園問題は「1丁目1番地」のテーマです。最初の選挙で掲げた目玉公約は「総合運動公園問題の完全解決」でした。具体的には、選挙前の住民運動で破棄に追い込んだ運動公園計画の用地をURに返還する、同計画にも入っていた陸上競技場を市内のどこかに整備する―この2つです。

しかし、用地返還は失敗に終わり、跡地をどう処分するかが市政の懸案になりました。そこで捻出されたのが、一部を防災用に借り上げる条件で一括売却する処分策です。なぜ防災施設なのか分かりませんが、一括売却色を薄めたかったのでしょう。市長としては、運動公園問題という宿痾(しゅくあ=長期間にわたって解決できない困難)から、何が何でも逃げたかったようです。

ところが処分を焦るあまり、(議会と市民の声が大事という)民主主義の基本中の基本を軽んじ、市政運営の「金看板」を自ら降ろすという過ちを犯しました。

五十嵐さんは最初の選挙で、運動公園用地売買契約書に「URは市の返還要求を拒める」旨の条項があるのに、目玉公約に「用地返還」を掲げました。つまり、返還が事実上無理であるのに、よく調べないで主要公約に仕立てました。この「フェイク(虚偽)公約」が災いとなり、この6年間、運動公園問題を抱えて迷走。今度はリコール運動を呼び込むに至りました。(経済ジャーナリスト)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

101 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

101 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

防災月間に原発震災を考える《ハチドリ暮らし》53

【コラム・山口京子】9月は防災月間ですが、1923年9月1日に起きた関東大震災に由来し、1960年に政府によって9月1日が「防災の日」と定められました。 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、その頃から日本列島が地震の活動期に入ったのではないかと指摘する専門家の話を耳にするようになりました。確かに、新潟県中越地震(2004年)、同中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)、2024年能登半島地震(2024年)、鹿児島県十島村悪石島地震(2025年)と続きます。 地震は自然現象、震災は地震災害。自然現象は防げないけれど、震災は防災や減災に取り組むことで抑えられます。でも地震と津波と噴火が連動して起きたらどうなるのでしょう。そのとき、原子力発電所はどうなっているのでしょう。心配性で臆病な私は怖くてなりません。 原発震災という言葉を本で知りました。地震による災害に加えて、地震に伴う原子力発電所の事故で大量の放射性物質が外部に放出され、被害を増幅させる破局的な災害のことです。大地震と原発の過酷事故が起きないかもしれません。万が一、原発の過酷事故が起きたら、どうなってしまうのか…。 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を体験したことで、不安はぬぐえません。事故は収束していませんし、「原子力緊急事態宣言」は解除されていません。原子核反応と生物は共存できないように思うのです。 机上の定めと現実の隔たり 能登半島地震のあと、能登半島には北陸電力志賀原子力発電所があるということを知りました。また、この震源地の近くの場所に、関西電力、中部電力、北陸電力による珠洲原子力発電所の設置計画があったことも。それが地元住民と全国の反対運動によって、2003年に撤回されたことも知りました。 実際に原発震災に遭遇したらどうすればよいのか、自分事として考えたことはありませんでした。怖すぎて思考停止です。自治体の「地域防災計画(原子力災害対策編)」では、原発から半径5キロ圏内は30キロ圏外へ避難、その外側から30キロ圏内では屋内退避を基本―としています。 能登半島地震では、多くの道路が壊れて通行不能になったり、住宅が壊れれば屋内退避は無理だったり…。机上の定めと現実の隔たりも怖いことです。(消費生活アドバイザー)

茗渓学園、学校移転を中止 TX研究学園駅南側

TX研究学園駅の南側に移転する計画だった茗渓学園中学校高等学校(つくば市稲荷前1-1)は9日、ホームページ上で、新学園の建設費用が当初想定を上回る見込みになったため、校舎・グラウンド・学生寮から成る学園の移転を断念するに至ったと発表した。これまでの計画では、学園創立50周年に当たる2029年春、TX駅南側の大規模開発地の一角に移転することになっていた。 宮崎淳校長は発表の中で、①教育環境の充実、施設の更新、アクセス向上を目的に、移転計画を進めてきた、②しかし建設費高騰や社会経済情勢の変化により、当初想定を大幅に上回る費用が見込まれる状況になった、③その結果、現条件下では、学びの場にふさわしい環境を十分に実現するのは困難と判断、本計画を断念した―と述べている。 大規模開発の目玉に「穴」 茗渓学園が移転を計画していたのは、大和ハウス工業(本社・大阪市)が研究学園駅の南側隣接地(つくば市学園南2丁目)で進めている大規模複合開発用地(総面積15.5ヘクタール)の駅に近い区画。大和ハウスはここに4.3ヘクタールの区画を用意、研究学園都市の複合開発事業の目玉として、茗渓学園を誘致する計画を進めていた。 宮崎校長も「私学の良否を決めるのは、クオリティ(学校の質)、コスト(授業の経費)、アクセス(通学の利便性)の3つだが、新学園は駅から徒歩5分のところに位置し、アクセスは申し分ない。移転情報がすでに広く伝わり、これまで1500人で推移してきた学生数が最近では1600人に増えた。学内の設備も大学並みに整えたい」(2025年4月2日の開発安全祈願祭後の記者会見)と、移転に強い意欲を見せていた。 現校地の教育環境を段階整備 移転断念後の計画について茗渓学園は「移転を予定した2029年を一つのマイルストーン(節目)と位置づけ、現校地における教育環境の整備計画を段階的に検討・推進していく。具体的には、寮・食堂などの生活環境の向上、理科・芸術棟の整備などを視野に入れている」としている。 違う法人誘致を検討 大和ハウス 茗渓学園の移転断念を受け、大和ハウスの関係者は「ほぼ決まっていた移転について、断念の申し入れがあったのは事実。茗渓学園のために用意した敷地は1万1000坪(3.63ヘクタール)と広く、駅からも近い。この一等地に興味を示している法人は複数ある。違う法人を誘致することを検討している」と述べるにとどまり、具体的な業種名や法人名などに言及することは避けた。(坂本栄) ➡過去記事はこちら(2023年11月6日付、25年4月2日付)

筑波大運動部学生とアスリート社員らが交流会 関彰商事社長「一緒に地域貢献を」

野球・ソフトボール室内練習施設完成機に 最先端のスポーツ科学を生かした運動分析とコーチングを提供する筑波大学(つくば市天王台)の野球・ソフトボール室内練習施設「インヴィクタス・アスリート・パフォーマンス・センター(ITC)」(関彰商事が整備・運営)が1日、大学構内の南地区(同市天久保)に完成し仮オープンしたのを機に、今後、同施設などを利用する運動部学生らと、関彰商事の同大出身アスリート社員との「筑波大学・関彰商事 部活動生交流会」が9日、つくば駅前のホテル日航つくばで催された。関彰商事の関正樹社長は「スポーツを通じて地域に貢献することを一緒にしていただきたい」などと呼び掛けた。同室内練習施設は22日、正式オープンする。 交流会に参加したのは、同室内練習施設のほか人工芝のサッカー場「セキショウフィールド」を利用する同大の女子ソフトボール部(関東学生女子ソフトボールリーグ2部所属)、硬式野球部(首都大学リーグ1部)、蹴球部(関東大学サッカーリーグ1部)、アメリカンフットボール部(関東学生アメリカンフットボールリーグ2部)、男子ラクロス部(関東学生ラクロスリーグ2部)、女子ラクロス部(同リーグ3部)の主将、選手、監督や顧問ら。関彰商事からは同大卒のアスリート社員らが出席し、交流を深めた。 あいさつした関彰商事の関社長は「20~30年前から筑波大学との交流が始まり、2016年に(土のグラウンドの)第2サッカー場を(人工芝の)セキショウフィールドにして寄贈させていただいたことが大きな節目になった。始めの1、2年は大学との距離が近くなったが、その後、距離を置いてしまった。今日新たに室内練習施設を寄付し、関係者の皆さんにお集まりいただいた。新しい一歩として、一緒に地域貢献に取り組んでいただければ」などと話した。 同大体育スポーツ局の高木英樹局長、体育専門学群の木塚朝博学群長らも参加し、高木局長は「新しい室内練習場はPPP(官民連携)方式で進め、両者の長所を生かした。筑波大学が培った先端のスポーツ科学の知見を社会に貢献していく中核となる施設で、世界的に注目される施設になるに違いない。世界中のトップアスリートも運動分析を受けて、パフォーマンスを上げていく施設になると確信している。この施設を利用して最大のパフォーマンスを発揮し人間的にも成長することが(関彰商事に対する)最大の恩返しになる」などと話した。 続いて同大出身の関彰商事アスリート社員で、パリ五輪陸上男子100メートルに出場した東田旺洋選手と、東京パラリンピックで銅メダルを獲ったゴールボール日本代表の高橋利恵子選手がそれぞれ、大学や大学院で何を考え、どのように過ごし、成長できたかなどを講演。参加した運動部員から「試合前にテンションが上がって眠れなくなる。メンタルをどうセットして大会に臨むのか」などの質問が出て、高橋選手は「私も緊張して上がってしまう。東京パラリンピックに出て緊張していた時、後輩から『高橋さんらしくない』とLINEが来て、はっとした」と経験談を話し「日頃のルーティーンを変えないことも一つ。寝る前に、これをして、あれをして、寝るということを体に染み込ませるなど、ルーティーンをつくることも一つ」などと答えていた。 同室内練習施設は関彰商事が費用を負担して施設を整備し、完成後は同大に引き渡された。完成後15年間は関彰商事が施設を管理運営し、事業収入を得て、整備費用などを回収する。投球や打撃の動作や弾道などを測定し分析する最新の機器を備え、スポーツの動作分析とコーチングを研究する同大の研究成果や知見を生かして、様々な選手に最新のスポーツ科学を基にした運動分析やコーチングを提供する。平日昼間は大学の授業や部活動で使用し、平日夜間と休日は、一般向けにスクールや運動分析プログラムの提供などをする(24年10月18日付、25年5月16日付)。=鈴木宏子

「危険な場所から改修を」片倉一美さん【鬼怒川水害10年】㊤ 

「水害は天災だと思っていた。しかしこれは国交省の河川管理責任による人災。責任は国にある」。鬼怒川水害から10年、被災の責任を国に問う国賠訴訟の上告審を前に、住民原告団共同代表の片倉一美さん(72)が語る。 2015年9月10日、記録的な豪雨により鬼怒川が越水、堤防が決壊し、常総市一帯は大規模な水害に見舞われた。同市では災害関連死を含めて15人が犠牲になり、全壊・半壊した建物は5000棟以上に及んだ。 水害で、常総市の住民が甚大な被害に遭ったのは国交省の河川管理に落ち度があったためだなどとして、一、二審ともに、越水による水害被害を受けた若宮戸地区に関する住民の主張は認められた。自然堤防の役目を果たしていた砂丘林を、太陽光パネル設置のために民間事業者が採掘した結果、堤防の機能が失われた。国が同地域を「河川区域」に指定し、開発を制限すべきだったとし、国に賠償が命じられた。 一方で、越水し堤防が決壊した同市上三坂地区の被害については一、二審ともに住民側の訴えは退けられた。住民は「同地区は堤防の高さが低く、他の地域に優先して改修すべきだったのに、国が対応を怠ったことが水害につながった」などと主張した。控訴審で中村裁判長は「国の改修計画は不合理とは言えない」として国の責任を否定した。 二審判決を不服とした住民15人(法人1社を含む)が11日、最高裁に上告した。 みんな安心しきっていた 「まさか、ここが水没するなんて、だれも考えていなかったです」 水海道駅から程近い、常総市の旧水海道地区中心部に片倉さんの自宅がある。両親の代まで続いた老舗の製菓店を営んでいた。和菓子のほかパンやケーキも扱い、正月には赤飯、祝いごとには鯛の砂糖菓子を作っていた。片倉さんは大学卒業後、機械メーカーへ就職。関東、四国、大阪、東京と全国を転勤し、東京本社で定年を迎えた。水害発生当時は東京に単身赴任していた。 両親と妻が暮らす自宅は床上浸水し、3台の車はすべて水没した。市内に住む長男一家の自宅にも2階近くまで水が迫った。取り残された長男の妻と子ども2人が自衛隊のボートで救出された。片倉さんが初めて帰宅できたのは10日後だった。 「小貝川が切れることはあったが、鬼怒川が切れるなんて考えたこともなかった。みんな安心しきっていた」と振り返る。 「人災ではないか」 後日、市内で開かれた「被害者の会」の集会に参加した。当初は「天災だから仕方がない」と思っていたが、国の河川管理の不備が指摘されるのを聞き、疑念を抱くようになった。翌年1月には参加者とともに政府交渉に臨んだ。国の対応に怒りを覚えたという。 「国交省の担当者は、水害があったことは認めると言いながら、こちら側が何をいっても『私たちに責任はない』の一点張り。被害に遭った私たちをどう思っているのかと感じた」 その後、裁判の原告募集に応じ、2018年、水戸地裁下妻支部に提訴した。 裁判を通じて見えた「国の逃げ道」 裁判の焦点は「堤防改修計画の適否」だ。過去の最高裁判例では、改修計画に重大な欠陥がない限り、未改修部分からの氾濫に国の責任は問えないとされてきた。 片倉さんらは、堤防改修の優先順位を問題視する。決壊した上三坂地区の堤防は、高さや幅が不十分であったにもかかわらず、改修が後回しにされていたことが決壊につながったと主張する。 「危険度が最も高い場所から改修すべきなのに、放置された上三坂地区から決壊した。わかっていて放置したのは国の責任。当たり前のことが認められないのはおかしい」と憤る。 さらに片倉さんが強調するのは「堤防が決壊する原因の9割は、越流(水があふれること)」ということだ。堤防を超えた水が反対側の堤防斜面を削り、決壊を招くのだ。上三坂地区では10日午前11時ごろに越水が始まり、午後12時50分に堤防が決壊した。わずか2時間あまりのことだった。 「越流だけなら、水の流れは早くないから家が流されることはない。しかし決壊すれば、ものすごい速さで水が流れ込む。人も家もひとたまりもない。一番怖いのは堤防が決壊すること」だとし、「決壊させないためには越流を防ぐこと。常識的に考えれば堤防で問題になるのは幅より高さだ。低いところから改修するというのは、単純明快」と主張する。 水害対策の常識を問う 片倉さんは、この裁判を「日本の水害対策の常識を問う闘い」だと位置づける。「当たり前のことが当たり前に認められない現状を変えたいのです」と言う。 「全国の河川流域には同様の危険地帯が数多く存在する。低い堤防から優先的に治す。それだけで水害は防げるのに、国はそれをしない。今は毎年のように水害が起きている。日本全国の河川の周りにいる人が、その危険性を背負って生きている。だから、一生懸命訴えて国に変わって欲しい。私だけじゃない。日本全国で変われば、わたしたちみたいな被害者は減るのだから」そう言うと、改めて強調した。 「越水して決壊する危険な場所を、優先的に直さなければならない。当たり前のことです」(柴田大輔)