土浦市の高台、下高津にある霞ケ浦医療センターは築53年になる。10数年前、勤務医が激減、それに伴い利用者が減り、廃院を取り沙汰されたこともあった。しかし、行政や大学を巻き込んだ病院改革が進み、医師の数は元に戻り、利用者も増えている。鈴木祥司院長に、どんな方法で危機を脱したのか?建て替えプランは?などについて聞いた。
霞ケ浦医療センターは「霞ケ浦海軍病院」に始まり、戦後まもなく「国立霞ケ浦病院」として出発。土浦市や近隣の人たちから「コクリツ」と呼ばれ、県南地域の医療を担ってきた。そして2004年に独立行政法人となり、「国立病院機構霞ケ浦医療センター」という長~い名の病院として再出発した。
存亡の危機→土浦市と筑波大の支援で再生
「存亡の危機に陥った」のは、「(国の)臨床研修制度の変更」(2004年)が主因。大学病院自体の研修医が減ったことから、それまで大学の病院から国立病院に派遣されていた医師が引き揚げられ、「50人近くいた医師が18人、内科はたった1人」に激減。総合病院の体を成さない、ほぼ産婦人科だけの病院となった。運営上は2008~2010年ごろが一番大変だったそうだ。
ここで土浦市が動く。2011年に市代表、県代表、機構代表、筑波大学代表などから成る「将来構想委員会」が発足。翌12年、「(当時の)中川市長と市議会の英断で」実現した寄付講座がテコとなり、病院内に「筑波大学付属病院・土浦市地域臨床教育ステーション」を設置。大学病院から教官3人が派遣され、筑波大の地域拠点病院になるとともに、地域医療の教育機関としての役割を担うこととなった。
現在、筑波大からの教官派遣は5人に増え、県内8カ所の地域臨床教育センター(当初の「ステーション」を改称)の1つとして、診療・教育・研究を行っている。これに伴い、筑波大から次々と医師が集まり、医師数は48人(2022年現在、筑波大出身がほとんど)に戻った。一時は減少した病院利用者も増え、「ずっと赤字だった収支は2017年から黒字となった」
建て替え、病院機構本部の優先順位は高い
黒字化に伴い、古くなった病院の建て替えも検討されたという。ところが、国の診療報酬引き下げにより、全国140病院を統括する病院機構本部の「経営」が悪化。赤字に転落したことから、全国すべての国立病院で、新規の病院建て替えなどの大型設備投資が凍結された。この投資ストップは今も続いている。
病院にとって大事なのは、患者を診る職員と医療機器であり、入れ物(建物)ではない。しかし、新しい建物は職員の志気を高め、利用者の病院への信頼も高める。鈴木さんは「建て替えには、機構本部の収支好転が必要。そして地域の信頼が最も大事。当センターは古いこともあり、建て替えの優先順位は高い」と読んでいる。
当面は、コロナ禍の経験も踏まえ、感染症対応など外来機能を強化する施設の改修を急ぐ。加えて、古くなった病棟(現在250病床)の改修に向け、約12万平方メートルの病院敷地の一部を老人介護施設などに貸し、その賃料を病院経営に回すことも検討している。
【すずき・しょうじ】1990年秋田大学医学部卒。同年、筑波大学臨床医学系内科・循環器内科レジデント。民間病院を経て、2000年国立循環器病センター・心臓血管内科スタッフ。2005年米シーダーズ・サイナイ メディカルセンター(加州)リサーチフェロー。2007年茨城県立病院・循環器内科部長。2011年霞ケ浦医療センター副院長。2013年から院長。ほかに、筑波大臨床教授、茨城県医師会副会長、日本循環器学会専門医など。千葉県生まれ、58歳。つくば市在住。
【インタビュー後記】霞ケ浦医療センターは、土浦市・筑波大と連携し、医師の教育・研究を支援しながら、地域医療を担う「市民病院」となった。鈴木さんは、病院医療、在宅医療、老人介護をつなげ、「土浦を医療・福祉のモデル地域に」と語る。行政と大学のコラボによる再生物語は新築病院で完結するわけでなく、その先も続く。(経済ジャーナリスト・坂本栄)