日曜日, 3月 29, 2026
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「鎌倉殿の13人」の1人・八田知家と小田氏 《ひょうたんの眼》48

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館の特別展「八田知家(はった・ともいえ)と名門常陸小田氏」は、知家や初期の小田氏に関する資料が少ない中で、幅広く情報収集を行い、展示資料もすべて翻刻版を用意するなど、展示の工夫がみられ、博物館の努力は称賛すべきものです。5月8日までの特別展も終盤になりましたので、前回コラム「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」(4月20日掲載)で問題提起した私なりに、八田知家について、もう一度まとめておきたいと思います。

知家の父親は宇都宮座主(ざす)の八田宗綱(むねつな)で、領域南端の五行川と小貝川が合流する手前(筑西市)の「八田」に居館を置き、本拠地としていました。宗綱・友家親子は、保元(ほうげん)の乱で源義朝(みなもと・よしとも、源頼朝=よりとも=の父)に従軍し、知家は乱後も京で北面の武士を務め、小山政光の妻(寒河尼=さむかわのあま=知家の姉)は頼朝の乳母になっています。

宇都宮・八田(小田)一族と小山一族の結びつきは強く、1180年の頼朝の挙兵には、双方一族を挙げていち早く駆け付け、頼朝から信頼される御家人として、鎌倉時代を通して幕府を支えました。

頼朝は富士川の戦いに勝利すると、関東を抑えることを優先しました。当時、常陸国は平氏の知行国であり、大掾多気(だいじょうたけ)氏を本宗とする常陸平氏一族と那賀川以北を治める佐竹氏(源氏)は、頼朝追討の指示を受けており、反頼朝あるいは日和見の立場にありました。

頼朝は、常陸国の国府まで出向いて佐竹氏を降伏させ、鎌倉への帰途に「八田館」に立ち寄ります。吾妻鏡には「小栗重成(おぐり・しげなり)の小栗御厨(おぐりのみくりや)の八田の館」とありますが、御厨の荘官・小栗氏は自分の居館を持っているので、御厨エリアの中にある八田氏の舘を指していると考えます。源頼朝が立ち寄ったのは、より信頼できる八田氏の居館です。

頼朝は鎌倉に戻ると、八田氏領域の「茂木保」を知家に安堵(あんど)します。直前に佐竹氏から収公した領地を勲功者に配分していますが、隣接する八田・宇都宮領との境界の混乱を避ける意味があったのかもしれません。

筑後守、常陸介、紀伊守

1183年。常陸国信太(しだ)郡にいた頼朝の叔父・志田義広(しだ・よしひろ)の乱がおこり、小山一族が追い払い、八田知家も戦功を挙げます。志田義広の旧領のうち、知家は、信太荘,南野荘を与えられ、国府を挟んだ南郡の地は、下河辺氏に与えられます。知家は、南野荘西端に位置し、常陸国府と東山道や奥大道を結ぶ路線上にある小田に居館を構えて本拠とし、嫡子・朝重(ともしげ)から戦国時代末期まで「小田」を称します。

知家は平氏追討の後、常陸国守護職(しゅごしょく)となり、奥州攻めでは、東海道大将軍となり常陸の武士を率いて参戦しました。

鎌倉での知家は、大蔵御所(頼朝居館)の南御門前に屋敷を持ち、京からの要人接待にたびたび起用され、知家の京の所作に通じた見識は、頼朝に頼られたようです。頼朝が後白河法皇に会うため初上洛した際に、知家は遅参しましたが、頼朝は隊列構成などで相談したいと知家を待ち、全軍の鎌倉出発を数時間も遅らせ、知家の意見を取り入れてから出発したという話が吾妻鏡にあります。

常陸大掾本宗の多気義幹(たけ・よしもと)は、平氏追討や奥州征伐の後も、鎌倉政権へは距離を置いていたようでした。有名な曽我兄弟の仇討(あだうち)のとき、頼朝警護の動員がかかりますが、多気義幹はウソの動員と思い込んで参陣せず、謀反を疑われて没落しました。知家の陰謀とされていますが、仇討の日から逆算すると、策謀の日数はなく、義幹の失態と考えられます。

頼朝の死後、2代将軍・頼家を補佐する有力御家人を、尼将軍・政子(まさこ)が選びました。いわゆる「鎌倉殿の13人」で、八田知家はその1人です。また知家は、1203年ごろ「筑後守(ちくごのかみ)」に任官します。源氏嫡流以外の御家人が国守(こくしゅ)に任官するのは、北条時政の「駿河守」と並んで、一番早いのではないでしょうか。なお、嫡子・知重は「常陸介(ひたちのすけ)」、さらに「紀伊守(きいのかみ)」に任官しています。(地図と歴史好きの土浦人)

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塗装完了、ライトアップ再開 つくばエキスポセンター H2ロケット

40周年、エメラルドグリーンに つくば駅近くの科学館、つくばエキスポセンター(同市吾妻)のシンボルであるH2ロケット実物大模型の全面塗装工事が25日完了し、約4カ月間の工事を経て、一新された姿が披露された。同日夜にはライトアップも再開され、エメラルドグリーンの光が高さ約50メートルのロケットを照らし出した(25年12月11日付)。 今回の全面塗装は2014年以来、11年ぶり。昨年11月25日から足場の組み立て作業が始まった。1990年に同所にH2ロケット模型が設置されて以来、おおむね10年ごとに、基部から先端部分まで全面的に塗り替えが行われてきた。 ライトアップは工事完了に伴い、25日夜から再開された。今年エキスポセンターは、1986年4月の開館から40周年を迎えることから、ライトの色を、ロゴや看板、横断幕などに使用される40周年記念イメージカラーのエメラルドグリーンとした。これまでも、乳がん啓発月間にはピンク、世界糖尿病デーには青など、イベントに合わせてテーマカラーに変えながら常時、ライトアップを行ってきた。 館内では40周年を記念して、来場者用の記念スタンプや、館内限定で利用できる特設オンラインフォトフレームなどが用意されている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「つくばエキスポセンターのH2ロケットの再塗装が無事終了した。つくばのランドマークであるロケットをきれいな姿で皆様に披露できることをうれしく思っている。是非、新品のようになったロケットを見にきていただけたら」と語った。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットとして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもので、1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。(柴田大輔)

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