金曜日, 1月 16, 2026
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土浦一高副校長で着任 インド出身のプラニクさん【キーパーソン】

茨城県の県立高校長公募で、県内きっての進学校である土浦第一高校・付属中学校(土浦市真鍋)の校長に、インド出身のプラニク・ヨゲンドラさんが選ばれた。今年度は副校長として勉強し、来年4月から校長になる。教育についての考え方は? 土浦一高・付属中はどう変わるのか? 旧常陽新聞のインタビューシリーズ「キーパーソン」をネット上に復活させ、その初回に登場してもらった。

名刺には姓(プラニク)名(ヨゲンドラ)のあとに「よぎ」と書かれている。名前を覚えてもらえるように、ヨゲンドラを日本風の愛称にしているという。

多様な国際社会には教育基盤が必要

一番聞きたかったのは、下の経歴にあるように、数学と経済を勉強し、金融・IT系企業で仕事をしてきた「多言語スキルを持ったテクノ・ビジネス・プロフェショナル」(経歴書)が、政治家(東京都江戸川区議→都議に挑戦)を経て、どうして教育の分野に転じたのか?

「自分は、大学、大学院、ビジネス校などで継続的に勉強してきた。仕事に就いてからも、語学を習得した(インドのヒンディー語・マラティー語のほか、英語・日本語は母国語並み、中国語は初級)。教育は自分が育つために必要なツール。多様な国際社会をつくるには教育の基盤が大事。日本もその方向を目指す必要がある」

「インドで3年働いたあと、日本に来て22年になる。仕事生活の90%は日本。そこで思ったのは、日本人は国際社会で自信を持って働けていない。国際感覚を持つ必要がある。企業勤めのあと、江戸川区議になり、都議選で落ちたあとも、都や区に、日本人・外国人半々の国際学校を設けるよう働きかけていた。そんなとき、茨城県が校長を公募していると聞き、応募した」

県の「クリアなメッセージ」3

次の仕事は教育と考えていたとき、公募を知ったというわけだ。公募要項や面接などで求められた校長の要件とは何だったのか?

「県のクリアなメッセージの第1は、学生の国際性を伸ばしたいということ。第2は、公募校長を充てるのは優秀校であり、外国に行ける生徒を育てたい、と。第3は、改革に臨める人を採りたい、だった」「ビジネス界では破壊的改革がもてはやされる。しかし私の考え方は、『壊す』ではなく、今ある基盤を活用して、いかにプラス・アルファを出すか」

留学奨学金制度の一覧表を作成

国際性育成、外国留学、改革志向。いずれも大井川知事の考え方と思うが、よぎさんのキャリアや教育への関心とうまく合ったようだ。土浦一高・付属中に着任してから半月。副校長として何をしているのか? 今考えていることは?

「今のところ、具体的なメッセージは県から来ていない。当面は、校長、先生方、生徒から意見を聴き、学校のことを勉強したい。『これを変えたい』という意見はもちろん」

「県のメッセージにもある留学については、内外あちこちの奨学金制度を調べ、その一覧を作りたい。生徒や保護者がもらいに行けるように。それは他校にも役に立ち、県全体の財産になる」「私の息子も中学2年のとき、奨学金を取って英国に留学させた。今、大学1年だが、国連で働きたいと言っている」

【Puranik・Yogendra1977年生まれ、インド西海岸の大都市ムンバイ郊外出身。インド西部プネ大卒(数学・経済)、同大学院修士取得(国際経済・労働経済)。2012年、日本に帰化。みずほ銀行国際事務部調査役、楽天銀行企画本部副本部長などを経て、江戸川区議(2019~21年)。都議選に出るも落選。母は江戸川区でインド料理店経営。近く土浦に移る。

【インタビュー後記】母校でもある土浦一高に、経営と政治の世界にいた44歳のインド人が来ると聞き、ビックリ。でも話を聞いたあと、面白くなりそうだと。旧帝大、医系大、有力私大への進学数を誇ってきた県立高が、数年後、それに英米有力校を加えることになる?  ものごとを柔軟に考える、型にはまらない生徒が育つことも期待。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

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江戸時代後期につくばで活躍した発明家、飯塚伊賀七(いいづか・いがしち)が建てた「五角堂」のかやぶき屋根を修理する材料にしようと、ススキが自生する近隣の原っぱで12日、カヤ刈りイベントが開催され、地元の親子連れなど小学生から70代まで約70人が、刈り取ったススキを集めて束にするなどの作業を体験した。 伊賀七は当時の谷田部新町村の名主で、からくりの和時計、測量器具、地図、農業機械の自動脱穀機などを発明した。五角堂は伊賀七の生家に建てられた。何のために建てたのか分かってないが、床面が正五角形と当時は建築が難しく、独自の構造で建てられている。1958年に県指定史跡になり、89年に解体修理されたが、かやぶき屋根の傷みがひどくなり、五角堂を管理する同市が昨年、屋根の一部を修理した。残りの部分を、今回刈り取ったススキで修理する予定だ。 カヤ刈りイベントは、石岡市を拠点にかやぶき屋根の保存活動に取り組む市民団体「やさと茅葺き屋根保存会」(萩原寿盈会長)とつくば市教育委員会が共催した。場所はつくばエクスプレス(TX)みどりの駅近くの市立みどりの義務教育学校に隣接する未利用の原っぱの一部約200平方メートルで、市民ボランティアを募って実施した。 学校脇の原っぱにススキが茂っていることを知った市内に住む同保存会事務局の仲村健さん(44)が同校と市教委などに働き掛け、昨年、同保存会が同所でカヤ刈りを実施し、石岡市内のかやぶき屋根を修理する材料にした。その後、地元に住む谷田部地区活性化協議会の牧野秀宣会長(70)から「地元のカヤで五角堂を屋根を修理してはどうか」と提案があり、イベント開催に至ったという。 12日は午前中に同保存会が仮払い機でススキを刈り、午後に親子連れ約70人が刈り取られたススキを拾い集めて、ひもで縛り、束にした。2時間ほどの作業で121束が出来上がった。 刈り取ったカヤは、同保存会の会員が自宅の風通しのよい場所で保存する。さらにワークショップを開催し、屋根で作業しやすいようカヤの長さをそろえて束にする「かやごしらえ」を実施する予定だ。 母親と参加した近くに住む小学3年の戸田結斗さんは「学校でちらしをもらって参加した。カヤの束を積み上げた上に座って楽しかった」と話し、家族で参加した近くの会社員、藤尾友彦さん(42)は「毎日犬の散歩で通るところなので、普段できない経験をしたいと参加した」と語り、長女で小学3年の晴香さんは「ススキを束ねてぎゅっと結ぶのが難しかった」と話していた。 同保存会の仲村さんは「カヤ刈りを通して身近な歴史や文化を知り、それが現在や未来につながるものだということを感じてもらえたらうれしい」と話し、同活性化協議会の牧野会長は「地元のものを地元の材料で修理すると、親しみができる。小学生も参加し、自分たちが取り組んだもので修理できれば地元の歴史にもっと親しみがわくと思う。すごくありがたいし、子供たちがいっぱい参加してくれてよかった」と語っていた。 市文化財課によると、刈り取ったカヤは同保存会に約1年間保存してもらい、2027年度に五角堂の残りのかやぶき屋根の修理を実施する予定という。(鈴木宏子)