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年越し売り出し中 そば焼酎「土浦小町」【人と仕事の回顧録’21】5

土浦市農業公社企画 明利酒類の製造販売

主原料に土浦産常陸秋そばを全量使用したそば焼酎「土浦小町」は、土浦市農業公社(同市永井)が企画し、明利酒類(水戸市)に製造と販売を委託。11月1日の発売以来、売れ行きは好調で、製造元の明利酒類では歳暮需要期を待たずして12月中旬に早くも出荷終了。残るは各小売店の店舗在庫のみとなっている。

常陸秋そば原料に

商品名の「土浦小町」は、土浦市新治地区に残る平安時代の歌人・小野小町の伝説にちなむ。お披露目が予定されていた土浦の花火大会(11月6日)の開催中止で、当初の思惑は外れたが、商品自体の話題性と品質の高さから滑り出しの売れ行きは上々。問屋筋からも「ぜひ来年もまたお願いしたい」と要望が相次いでいるという。

「土浦小町」(左)取り扱いの小町の館・阿部百合子さん。そば粉や外殻をむいた「丸抜き」のそばの実も販売する(土浦市小野)

原料の常陸秋そばは、全国のそば店やそば通に支持される一方、生産量は全国シェアのわずか6%という希少性から高いブランド力を誇る。県の奨励品種であり、主産地の一つ新治地区では、11軒の農家が100ヘクタール弱の作付面積で約100トンを生産。そのうち30トンを市農業公社が買い上げ、玄そばやそば粉にして販売する。顧客にはそば打ち職人グループなどが名を連ねる。

公社主任の露久保浩さんは「手前味噌になるが全国のそばの中で、味わいの豊かさや鼻に抜ける香りが一番高い。最もそばらしいそば」と話す。コロナ禍による余剰在庫を活用し、そば焼酎にして飲んでもらうことで、土浦産常陸秋そばの知名度アップにつなげようと企画した。

製造を依頼した明利酒類は清酒「副将軍」や県内各地の地域産物を使った焼酎・リキュール類で実績豊富。酒類販売部の川口幹夫さんは「良い農産物が揃っている茨城の中でも最高の食材を使い、良い酒を造って地産地消や地域PRのお手伝いをしたい」と引き受けた。

今回は600キロのそばから720ミリリットル詰の焼酎約2200本が造られた。常陸秋そばは実が大きく粒揃いが良いことも特徴で、そのせいか歩留まりも良く醸造は順調に進んだ。白麹(こうじ)仕込みにより素材の持ち味を生かし、抽出には減圧蒸留方式を採用。沸点が低くなるため雑味が抑えられ、クリアで軽快な味わいになるという。

家庭でも楽しめるそば湯割り

出来ばえについては「さわやかでキレがよく、すっきりとした味わいのある焼酎。そば特有の華やかな香りと、口当たりのやわらかさが特に感じられる」と川口さん。飲み方は、キリッとした飲み口を楽しむならロックやソーダ割り、まろやかで優しい味わいにするならそば湯割りが適するという。

11月に土浦駅ビル内の「IBARAKI佐藤酒店プレイアトレ土浦店」で試飲販売会が行われた際は、市内おおつ野のそば店「筑山亭かすみの里」がそば湯を提供した。「当店ではほとんどの方がそば湯割り。焼酎のカドをまるめておいしく飲める」と店主の長峰淳さん。そば湯は濃いめの方が合うそうで、そば本来の甘みと香りが増幅され、料理の味も引き立ててくれる。

「そば焼酎には一番のお薦め」というイカの塩辛を添えて=筑山亭かすみの里(土浦市おおつ野)

そば湯割りは、そば店ならではの飲み方と思われがちだが家庭でも簡単だ。水100ミリリットルにそば粉小さじ1程度を溶いて火にかけ、沸騰してとろみがついたら、軽く温めておいた焼酎と合わせて熱々のところをいただく。割り方はお好みで、ちなみに試飲会では焼酎6に対しそば湯4で提供した。

「土浦小町は地域の名を冠した『おらが焼酎』として多くの方に興味を持たれ、喜んでいただくことができた。今後も製造を続け、県内外に周知を図り、新たな土浦ブランドとして成長させていきたい」と露久保さん。来年度の仕込みへの期待も高く、詳細はこれから協議するが、度数の高いプレミアム焼酎などの方向性も検討したいという。(池田充雄)

◆本格そば焼酎「土浦小町」 720ミリリットル入り1500円(税込み)。取り扱いは県内の大型店、酒販店、土浦市庁舎1階の「きらら館」、同市小野の「小町の館」など約40店。東京では中央区銀座にある県のアンテナショップ「イバラキセンス」など。市のふるさと納税の返礼品にもなっている。通信販売は市農業公社ホームページ

[おわり]良い年をお迎えください。

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