金曜日, 7月 11, 2025
ホームつくば【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

蛯原千佳子さんの死

約20年間、県内の障害者施設に入所していた蛯原千佳子さん(60)が、今年1月に亡くなった。蛯原さんは生まれつき重度の運動障害と言語障害があり、首から下は自分で動かせなかった。しかし、いつか施設を出て、地域で暮らしたいと強く願い、5年前から障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保、川島映利奈代表)の支援を受けながら、一人暮らしに向けて準備を続けていた。

しかし、蛯原さんの体力面や介助者不足などで、ほにゃらの介助者と一緒に一人暮らしの練習をするのは月1回が限度で、介助者が蛯原さんの介助やコミュニケーションに慣れるのに時間がかかった。介助者さえ増やせれば一人暮らしを始められる状況までいったものの、その間に、新型コロナの蔓延により、施設でほにゃら職員との面会も制限されてしまった。会えない期間が続く中、蛯原さんは体調を崩し、亡くなった。

「もう一度、地域で生活したい」

生前、蛯原さんはほにゃらの機関誌の中で、それまでの人生を振り返り、なぜ地域で一人暮らしをしたいのか、文章につづっている。

蛯原さんは小学校から高校まで養護学校に通うため施設に入所していた。高校時代は学校で生徒会活動をしていたが、施設の中で生活していたため、親から「社会性が弱い」と言われた。その頃から、「障害者はもっと外に出ないと、健常者に理解してもらえない」と感じていたという。

高校在学中に施設を退所し、家族と暮らし始めた。地元の大学生が運営する、障害児と健常児の交流会に関わりはじめ、会長になった。「学生と話すことで、障害に対する考え方を変えたかった」と、機関誌の中で蛯原さんは振り返る。

当時は地域で暮らしたい障害者は東京に引っ越すことが多く、蛯原さんも友人から「東京に来ないか」と誘われたこともある。しかし「茨城で生まれたから、茨城から社会を変えなくてはならない」という使命感から、茨城で生きていくことを決めた。仲間と一緒に障害者団体をつくり、「親が高齢になるなど、家族が介助できなくなったあとも、障害者が地域で暮らせる場所をつくってほしい」と、行政に働き掛けたこともあった。

40歳の頃、母親が体調を崩し、蛯原さんの介助ができなくなったため、施設に入所した。施設の中では限られた人にしか会えず、外出の機会も制限される生活だった。

それまで活動的だった蛯原さんは、おとなしくしていることができず、「もう一度、地域で生活したい」と思った。障害の進行により、以前より体は動かなくなっていたが、なんとか頬の筋肉でパソコンを操作できるようになり、2015年12月、「施設から出て、一人暮らしをしたい」というメールをつくば自立生活センターほにゃらに送った。

「一人暮らしを始めたら、今までの経験を生かして、障害のある仲間を支援したり、地域の人たちに障害について伝える活動がしたい」と蛯原さんは機関誌に綴っている。

車いすで散歩する練習から

重度障害者が介助者の介助を受けながら、一人暮らしをする場合、障害者自身が「今、何をするか」「夕食は何を食べるか」を考え、介助者に何をしてほしいか伝える必要がある。毎日、決められた生活リズムや食事の献立がある入所施設とは異なる。多くの障害者の一人暮らしを支援してきた自立生活センターには、障害者が一人暮らしを始めるための支援方法が蓄積されている。

一人暮らしを始める準備として、まず、介助者とのコミュニケーション方法や、介助者に指示を出して料理をする方法など、一人暮らしを始めるために必要な知識や技術を、すでに一人暮らしをしている先輩障害者から学んでいくのが一般的だ。蛯原さんから相談を受けた、ほにゃら事務局長で自身にも重度運動障害がある斉藤新吾さん(46)は、施設に通い、半年かけて一人暮らしに必要な知識などを伝えた。

一通りの知識を伝え終わると、ほにゃらが借りているアパートで、介助者のサポートを受けながら数日過ごす「宿泊体験」を始めるのが一般的だ。しかし、蛯原さんの場合、施設ではほとんどベッドの上にいて、自分の車いすも持っていなかった。そのため、まずは車いすを借り、介助者と一緒に施設周辺を散歩したり、近所に買い物に行くことから始め、車いすに何時間乗っていられるかを試した。施設からほにゃら事務所まで車で移動しても、蛯原さんが体力的に耐えられると判断できたことから、2017年8月から宿泊体験を始めた。

平均3~5年

宿泊体験を何泊から始めるか、最初から何人の介助者が関わるかも、本人の障害の状態や必要な介助内容によって異なる。ほにゃら代表の川島さん(39)は、「蛯原さんの場合、自分では体をほとんど動かせず、介助者が蛯原さんの体を動かす場合も、注意しないと関節に痛みが生じるなど、介助で注意すべき点も多かった。蛯原さん自身の体力がどのくらいあるのかも分からなかったため、1泊2日の宿泊体験から始め、少しずつ宿泊体験の日数や関わる介助者を増やしていった」と振り返る。

蛯原さんは24時間、介助を必要としていた。宿泊体験中、介助者が慣れるまでは、事故防止のためもあり、日中は介助者2人で対応した。夜間は介助者1人で対応したが、介助者は他の利用者の介助にも行く必要がある。また、それまで外出の機会が制限されていた蛯原さんは、施設からほにゃらまで片道1時間かけて車で移動するだけでも体力を使った。ほにゃらの介助者の勤務調整の面でも、蛯原さんの体力の面でも、宿泊体験は多くても月1回が限度だった。

リフトを使い、一人で蛯原さんの介助をできないか試行錯誤する介助者ら

インフルエンザが流行する冬は、感染予防のため施設から外出することが難しく、また蛯原さん自身が体調不良で入院し、宿泊体験を中止せざるを得ないこともあった。それでも2年2か月かけて、14回の宿泊体験をおこなった。その間に、どうしたら介助者1人でも安全に介助できるか、様々な方法を試し、その都度、蛯原さんの感想を確認しながら考え、蛯原さんに合った介助方法を確立していった。

川島さんによると、施設に入所している障害者が地域で一人暮らしを始めるまで平均3~5年かかる。蛯原さんが入所していた施設はほにゃらから離れていて、宿泊体験以外では月に1回ほどしか施設に面会に行けず、一人暮らしに向けての具体的な話をなかなか進められなかったことも、一人暮らしを始めるのに時間がかかった理由だと、川島さんは話す。(川端舞)

続く

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

4 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

4 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

竹園高の学級増に向け県と対話《竹林亭日乗》30

【片岡英明】7月は受験生が高校入試を考える時期だ。夏休みの高校説明会では、3校は見学するよう中学校の指導がある。今回、私たちはその説明会に間に合うよう県立竹園高校(つくば市)の学級増を求めた。構造的な県立高不足のつくば市内で、「勉強をもっと頑張れ」ではなく、県立高の受験枠を広げよと活動している大人がいる―これが受験生への励ましである。 その意味で、つくば市議会による竹園高学級増の意見書採択(6月)は受験生への激励になった。今回は、竹園高学級増を求めた教育委員会との懇談(7月4日)でのやり取りを報告したい(7月5日付記事参照)。 私たち「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」は、市議会の「竹園高校2学級増」の意見書提出に際して、つくば市選出の県議4名とつくば市副市長などと一緒に、同趣旨の要望書を県教育委員会に提出した。庄司学校教育部長が受け取り「要望をしっかり検討します」と言って、退席した後は、県の行政的で乾いた言葉が続いた。 県関係者との懇談では、県議からは「改善に向けて工夫して欲しい」「具体的で絞った要望に前向きな回答を…」「機械的な応答でなく要望を受けとめた話を…」といった発言があった。 県担当者の「竹園高校の学級増の必要性が分からない。皆さんの説明をお聞きしたい」との問いに、県議からは市議会の意見書に対応するよう求める発言があり、市議会議長は地域住民から県立高不足の多くの声が届いていると指摘した。さらに、つくば市副市長が市も県に竹園高の学級増を求めていると述べた後、私たちは「高校進学を考える集い」(5月)での熱気を説明した。 皆さんの熱い思いはよく分かった 私たちは、県が2019年改革プランで2026年までにつくばエリアで2学級増やすと発表したのに、まだ未達成であり、生徒は増えているのにもかかわらず高校入学枠は増えていないと指摘。県の計画を達成するためにも、今年の高校説明会の前に竹園高2学級増を発表するよう要望した。さらに、つくば市の県立高通学支援策などを紹介すると、「県も報告を受けている」などと、うれしい応答もあった。 また、つくば市のPTA役員が、土浦一高の4学級化で発生した「受験生の津波」によって、高校受験を最後まで悩んだ息子のことを語るなど、参加者はつくば市内の県立高不足を解消するよう本音で訴えた。 最後に発言を求められた県の担当者は「皆さんの熱い思いはよく分かりました」と、教育の現場を知る「教師の笑顔」で語った。この温かい言葉に、参加者は「竹園高学級増の声が県の方々の心に届き、今回の意見書と要望書の提出で、改善に向けての対話が成立した」と感じた。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

つくば秀英 11安打で初戦突破【高校野球茨城’25】

第107回全国高校野球選手権茨城大会は4日目の10日、4会場で2回戦8試合が行われた。J:COMスタジアム土浦の第2試合ではつくば秀英が石岡商に4-1で勝利した。 10日 2回戦 第2試合 J:COMスタジアム土浦石 岡 商 000000100 1つくば秀英 20000200X 4 つくば秀英の先発投手は公式戦初登板の安光駿太。先頭打者に初球を中前へ運ばれ、いきなりピンチを背負うが、後続を送りバントと内野ゴロ2つで乗り切った。「初戦なので絶対勝たないとと思い緊張したが、全体的にコントロールよく打たせて取ることができ、チームのリズムをつくれた」と安光。 1回裏はつくば秀英が打者7人の猛攻。1番・芦谷響が内野安打で出塁、暴投と2番・吉田侑真の二ゴロで1死三塁とし、3番・知久燿の中前適時打で1点を先制。「確実に先制点を取りたいと思って、狙い球のまっすぐが来たので気持ちよく振り抜いた」と知久。その後、盗塁と四球で2死一・二塁とし、6番・石井清太郎の二遊間を抜く適時打で1点を追加した。「打ったのはややインコース寄りのまっすぐ。 自分が返すというより後ろへつなぐ意識で、少し詰まったが強い打球を打ちきれた」と石井。 2回以降のつくば秀英は、安光が相手打線に1安打を許すのみで6回までゼロに抑える。打線はチャンスはつくるものの、相手投手の粘りのピッチングになかなか追加点を奪えない。 すると6回裏2死一塁の場面、安光が自らのバットで自分を援護。「自分にできるのはつなぐことだと思い、来た球を強く打つ意識で振り抜いた」。これが右中間を抜く三塁打となり1点を追加。続く芦谷も右前への適時打で、この回4-0と突き放した。 だが7回表、石岡商は打線が積極性を取り戻し、安光に2安打を浴びせてマウンドから引きずり降ろす。無死一・三塁の場面で救援に向かったのはエース中郷泰臣。最初の打者を三ゴロに打ち取り三走を挟殺、2人目は二ゴロ、3人目は三振でこの回1失点。残る2回も2安打の無失点に抑えた。 「ピンチの場面での登板だったが、内野フライか悪くても一・三塁のゴロに打ち取ろうといつも通りの気持ちで投げた。うまく行ったと思う」と中郷。この日の直球は最速139キロ。「もっと行ける感覚はある。次も自分のピッチングをして勝利に導きたい」と頼もしい言葉を発した。 櫻井健監督は「1回表を守りきって、その裏に得点できた。初回をいい形で入れたのが勝因。安光はひたむきな努力が結実した。スタメンだけでは戦い抜けないことが昨夏の決勝で分かった。総力戦で一つでも多く勝ちたい」と話した。 常総コールド勝ち、土浦湖北は競り負け 10日の土浦、つくば地域の高校の試合結果は、ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合は常総学院が太田西山に10-1で7回コールド勝ち、第2試合は県西連合が鹿島に0-12で5回コールド負け。J:COMスタジアム土浦の第1試合は土浦湖北が藤代に2-3と競り負けた。(池田充雄) 10日第1試合、ノーブルホームスタジアム水戸常総学院 4300102   10太田西山 0010000   1 10日第1試合、J:COMスタジアム土浦土浦湖北 000001010 2藤  代 00120000X 3

茎崎、県西連合で19年ぶり出場【高校野球茨城’25】

第107回全国高校野球選手権茨城大会は4日目の10日から2回戦に入った。ノーブルホーム水戸では、19年ぶりの出場となる茎崎が県西連合(ほかに古河二、総和工、結城一、石下紫峰)に加わり鹿島と対戦、試合は5回コールド0ー12で破れた。茎崎は2006年以来の出場となり、梅山昊(2年)、菊地勝星(1年)、金子俐央(1年)の3選手が出場した。 10日 2回戦 第2試合 ノーブルホーム水戸県西連合 00000 0鹿  島 5142×  12 県西連合は初回に先発の臼井依風希(結城一)の制球が定まらず、2四球と死球で無死満塁から押し出しの四球を与え先制を許した。代わった2番手松井隼人(総和工)も2本のタイムリーヒットを打たれ、1回に打者11人の猛攻で5点をリードされた。 さらに2回に1点、3回に4点を奪われ、0ー10と大量リードを許す。県西連合は4回に石下紫峰からただ1人出場した代打沖山蒼右がセンターにチーム初ヒットを放ち反撃に出るが、後続が凡退。5回は2死から斎藤悠希(総和工)がヒットで出塁するも、続く小池颯人(古河二)がセンターフライに倒れ5回コールドで敗れた。 県西連合は土日のいずれかに全体練習と練習試合を行い、平日は各自が個人練習を続けて大会に挑んだ。 レフトでスタメン出場した茎崎の梅山昊は「見逃し三振とファーストゴロに終わり、打撃では自分の力が出せなかったのが悔しい。今までの練習試合とは違った空気、雰囲気を感じて、まだまだ打つ方では力を出せなかったのが悔しい」と述べた。中学校はバスケットボール部に所属し、本格的に野球を始めたのは高校に入ってから。「来年は最後の大会なのでこれまで練習してきたこと、教わってきたことを出し切って、監督、家族に自分の姿を見せたい」と話した。  同じ茎崎から出場し、ベンチから応援した菊地勝星は「先輩たちの打つ姿、守る姿を見て勉強になった。来年は言われたことをしっかり出来るように全力で頑張る」と雪辱を誓った。 県西連合の監督として指揮を執った結城一の加藤聡監督は「いい球場で選手が浮足立って、本来持てる力をほとんど出せなかった。沖山が初ヒットを打ってくれて流れを変えたかったが、ミスが出てしまって流れを持ってこれなかった。所々いいプレーも出来た。連合チームは3年生が少ない若いチームなので次につなげていきたい」と期待を寄せた。(高橋浩一)

7月から手持ち花火OKに つくば市の公園302カ所

つくば市内の市営公園302カ所で7月1日から、手持ち花火ができるようになった。これまで公園の管理に支障のある行為だとして市都市公園条例で禁止していたが、手持ち花火に限って期間や時間帯を限定し、公園管理に支障のある行為からはずした。 ただし現在、協議会を設置し管理・運営方法を検討中の洞峰公園(同市二の宮)と、開園時間が午後5時までのさくら交通公園(同市吾妻)の2カ所、緑地帯59カ所は引き続き花火ができない。 「多くの人に子どもの頃花火をやった楽しい思い出がある。あれもだめこれもだめではなく柔軟に検討した。市として、身近な場所で夏の思い出をつくってほしい」(五十嵐立青市長)と方針を変更した。県内では取手市などが公園での手持ち花火を認めている。 つくば市では7月から9月の3カ月間、午後6時~8時30分まで楽しめるようにする。1組10人程度までとし、18歳以上の大人が付き添うことが必要。ロケット花火や打ち上げ花火、爆竹などは近隣住民や他の利用者の迷惑になるため禁止する。消火用のバケツを持参し水をくんで用意する、花火が終わった後はごみを持ち帰ることが必要。大声で騒いだり飲酒をしたりすることは禁止する。ルールが守られない場合は見直すという。 市役所駐車場を開放 一方、手持ち花火をしたいけれど近くに楽しむ場所がない市民のために、市は8月14日、15日の2日間、市役所駐車場を開放する。駐車場を44区画に区切り、1グループ6人以内で、1日44組まで楽しむことができる。会場ではかき氷やアイスコーヒーなどを販売する。 つくばみらい市が市役所を開放して実施していることから、つくば市でも実施する。手持ち花火、ライターなどの着火器具、バケツは自分で用意する。 参加費は無料。参加は事前申込が必要で、7月11日から31日までいばらき電子申請・届出サービスから申し込む。先着順。(鈴木宏子)