金曜日, 11月 21, 2025
ホームつくば【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

蛯原千佳子さんの死

約20年間、県内の障害者施設に入所していた蛯原千佳子さん(60)が、今年1月に亡くなった。蛯原さんは生まれつき重度の運動障害と言語障害があり、首から下は自分で動かせなかった。しかし、いつか施設を出て、地域で暮らしたいと強く願い、5年前から障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保、川島映利奈代表)の支援を受けながら、一人暮らしに向けて準備を続けていた。

しかし、蛯原さんの体力面や介助者不足などで、ほにゃらの介助者と一緒に一人暮らしの練習をするのは月1回が限度で、介助者が蛯原さんの介助やコミュニケーションに慣れるのに時間がかかった。介助者さえ増やせれば一人暮らしを始められる状況までいったものの、その間に、新型コロナの蔓延により、施設でほにゃら職員との面会も制限されてしまった。会えない期間が続く中、蛯原さんは体調を崩し、亡くなった。

「もう一度、地域で生活したい」

生前、蛯原さんはほにゃらの機関誌の中で、それまでの人生を振り返り、なぜ地域で一人暮らしをしたいのか、文章につづっている。

蛯原さんは小学校から高校まで養護学校に通うため施設に入所していた。高校時代は学校で生徒会活動をしていたが、施設の中で生活していたため、親から「社会性が弱い」と言われた。その頃から、「障害者はもっと外に出ないと、健常者に理解してもらえない」と感じていたという。

高校在学中に施設を退所し、家族と暮らし始めた。地元の大学生が運営する、障害児と健常児の交流会に関わりはじめ、会長になった。「学生と話すことで、障害に対する考え方を変えたかった」と、機関誌の中で蛯原さんは振り返る。

当時は地域で暮らしたい障害者は東京に引っ越すことが多く、蛯原さんも友人から「東京に来ないか」と誘われたこともある。しかし「茨城で生まれたから、茨城から社会を変えなくてはならない」という使命感から、茨城で生きていくことを決めた。仲間と一緒に障害者団体をつくり、「親が高齢になるなど、家族が介助できなくなったあとも、障害者が地域で暮らせる場所をつくってほしい」と、行政に働き掛けたこともあった。

40歳の頃、母親が体調を崩し、蛯原さんの介助ができなくなったため、施設に入所した。施設の中では限られた人にしか会えず、外出の機会も制限される生活だった。

それまで活動的だった蛯原さんは、おとなしくしていることができず、「もう一度、地域で生活したい」と思った。障害の進行により、以前より体は動かなくなっていたが、なんとか頬の筋肉でパソコンを操作できるようになり、2015年12月、「施設から出て、一人暮らしをしたい」というメールをつくば自立生活センターほにゃらに送った。

「一人暮らしを始めたら、今までの経験を生かして、障害のある仲間を支援したり、地域の人たちに障害について伝える活動がしたい」と蛯原さんは機関誌に綴っている。

車いすで散歩する練習から

重度障害者が介助者の介助を受けながら、一人暮らしをする場合、障害者自身が「今、何をするか」「夕食は何を食べるか」を考え、介助者に何をしてほしいか伝える必要がある。毎日、決められた生活リズムや食事の献立がある入所施設とは異なる。多くの障害者の一人暮らしを支援してきた自立生活センターには、障害者が一人暮らしを始めるための支援方法が蓄積されている。

一人暮らしを始める準備として、まず、介助者とのコミュニケーション方法や、介助者に指示を出して料理をする方法など、一人暮らしを始めるために必要な知識や技術を、すでに一人暮らしをしている先輩障害者から学んでいくのが一般的だ。蛯原さんから相談を受けた、ほにゃら事務局長で自身にも重度運動障害がある斉藤新吾さん(46)は、施設に通い、半年かけて一人暮らしに必要な知識などを伝えた。

一通りの知識を伝え終わると、ほにゃらが借りているアパートで、介助者のサポートを受けながら数日過ごす「宿泊体験」を始めるのが一般的だ。しかし、蛯原さんの場合、施設ではほとんどベッドの上にいて、自分の車いすも持っていなかった。そのため、まずは車いすを借り、介助者と一緒に施設周辺を散歩したり、近所に買い物に行くことから始め、車いすに何時間乗っていられるかを試した。施設からほにゃら事務所まで車で移動しても、蛯原さんが体力的に耐えられると判断できたことから、2017年8月から宿泊体験を始めた。

平均3~5年

宿泊体験を何泊から始めるか、最初から何人の介助者が関わるかも、本人の障害の状態や必要な介助内容によって異なる。ほにゃら代表の川島さん(39)は、「蛯原さんの場合、自分では体をほとんど動かせず、介助者が蛯原さんの体を動かす場合も、注意しないと関節に痛みが生じるなど、介助で注意すべき点も多かった。蛯原さん自身の体力がどのくらいあるのかも分からなかったため、1泊2日の宿泊体験から始め、少しずつ宿泊体験の日数や関わる介助者を増やしていった」と振り返る。

蛯原さんは24時間、介助を必要としていた。宿泊体験中、介助者が慣れるまでは、事故防止のためもあり、日中は介助者2人で対応した。夜間は介助者1人で対応したが、介助者は他の利用者の介助にも行く必要がある。また、それまで外出の機会が制限されていた蛯原さんは、施設からほにゃらまで片道1時間かけて車で移動するだけでも体力を使った。ほにゃらの介助者の勤務調整の面でも、蛯原さんの体力の面でも、宿泊体験は多くても月1回が限度だった。

リフトを使い、一人で蛯原さんの介助をできないか試行錯誤する介助者ら

インフルエンザが流行する冬は、感染予防のため施設から外出することが難しく、また蛯原さん自身が体調不良で入院し、宿泊体験を中止せざるを得ないこともあった。それでも2年2か月かけて、14回の宿泊体験をおこなった。その間に、どうしたら介助者1人でも安全に介助できるか、様々な方法を試し、その都度、蛯原さんの感想を確認しながら考え、蛯原さんに合った介助方法を確立していった。

川島さんによると、施設に入所している障害者が地域で一人暮らしを始めるまで平均3~5年かかる。蛯原さんが入所していた施設はほにゃらから離れていて、宿泊体験以外では月に1回ほどしか施設に面会に行けず、一人暮らしに向けての具体的な話をなかなか進められなかったことも、一人暮らしを始めるのに時間がかかった理由だと、川島さんは話す。(川端舞)

続く

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

4 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

4 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

高所作業車から2人が転落 つくば市並木大橋

アームが車線はみだし大型トラックと接触 20日午後0時5分ごろ、つくば市並木4丁目、学園東大通りに架かる並木大橋で、作業員2人が高所作業車のアームの先端に設置されたゴンドラに乗って作業中、アームが隣の車線にはみ出し、走行してきた大型トラックの荷台に接触、ゴンドラに乗っていた20代と30代の男性作業員2人が4~5メートル下に転落した。2人は救急車で病院に運ばれたが、30代男性は重体、20代男性は重傷を負った。2人共、意識はあるという。 つくば市道路整備課によると、工事は同市が発注した橋梁長寿命化補修工事。この日は、東大通りの片側2車線の道路のうち、荒川沖方面に向かう、並木地区の住宅街側の1車線を通行止めにしていた。作業員2人はアームの先端のゴンドラに乗って、橋の底部のコンクリートひび割れの補修作業を実施、ひび割れ箇所に注射器のような注入器具を取り付けて薬剤を注入し、取り付けた注入器具を回収する作業をしていた際、注入器具を回収するためアームを隣の車線の上に動かしたところ、走行してきた大型トラックの荷台にアームが接触した。 転落した作業員2人はいずれも下請け会社の作業員だった。 同課によると、本来、アームを隣の車線の上に動かす際は、隣の車線も一時通行止めにすべきだったが、規制しなかったという。市によると、なぜ車線を規制しないままアームを動かしたかなどの原因は現時点で不明としている。 この事故で、アームが動かなくなり高所作業者の撤収に時間がかかったなどから、荒川沖方面に向かう片側2車線がいずれも、同日午後6時15分まで約6時間にわたり通行止めになった。路線バスと高速バスのバス停3カ所も利用できなくなった。 並木大橋の橋梁補修工事は6月3日に始まり、来年1月30日まで実施される予定。再発防止策として市は同日、元請け業者に対し、工事現場の規制方法の再確認や交通誘導員及び現場作業員に対する安全対策の再教育を指示した。さらに現在、市の工事を受注している全事業者に対し、安全対策に関する指導を徹底するとしている。

地元企業から社協へ 福祉活動への寄付金を贈呈

つくば市に本社を置く関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)の「セキショウふれあい基金」から20日、同市社会福祉協議会(会長・松本玲子副市長)に50万円の寄付金が贈呈された。20日、つくば市役所で贈呈式が催され、市社協会長の松本玲子副市長は「幅広く、地域福祉への貢献のために有効に活用することで、さらにつくばへ貢献していきたい」と語った。 セキショウふれあい基金は、地域の社会福祉貢献活動を支援することを目的に1999年に創設された。会社と職員のほか、同社の顧客から募った寄付金をもとに、県内外で福祉貢献活動をする団体や自治体に寄付活動を行っている。今年で26年目を迎え、東日本大震災の際には茨城県と福島県いわき市に、2019年の台風19号、23年の台風13号の際には被災した自治体に義援金を寄付した。22年に守谷、常総、坂東、つくばみらいの4市が連携しウクライナ避難民を受け入れた際には、生活支援金として200万円を寄付している。 関彰商事によると、県内に44あるすべての社会福祉協議会に対して、9年かけて寄付を行っていくとし、今年はつくば市をはじめ、阿見町、美浦村、河内町、牛久市に50万円ずつ寄付する。 寄贈式のあいさつで、関彰商事の葉章二常務取締役は「高齢者や障害者、子どもたちなど、地域で支援を必要とされる方々へ幅広く活用されることを希望している。つくば市社会福祉協議会が推進しているさまざまな活動に役立てていただければ」とし、「今後も地域とのつながりを大切にし、地域貢献の一環として社会福祉活動を支援していきたい」と語った。(柴田大輔)

民有地の建物内にセアカゴケグモ 土浦市が注意呼び掛け

土浦市は18日、同市東中貫町、民有地の建物内で、特定外来生物のセアカゴケグモのメス1匹と、卵が詰まった卵のう4個が発見されたと発表した。クモはすでに駆除され、かまれた人や健康被害を訴える人はいない。 セアカゴケグモのメスは毒をもち、かまれると重症化することがある。素手で触るとかまれることがあるため、同市は、見掛けても絶対に素手で触らないよう注意を呼び掛けている。 市環境衛生課によると、17日、建物内にクモが1匹いるのが発見され、セアカゴケグモだと分かり、発見者がクモと卵のうを駆除した。発見者は同日午後5時30分ごろ、市ホームページの問い合わせフォームから市に連絡した。 翌18日午前9時ごろ、連絡を受けた市職員が現地を訪問し、駆除されたセアカゴケグモ1匹と卵のうを確認。県生物多様性センターが同日、セアカゴケグモであることを確認した。 駆除されたメスは体長1センチ弱、卵のうは袋状で、一つの直径が5ミリ程度。クモがどこから侵入したかなどは不明という。 同市内では今年8月、民有地でセアカゴケグモの死骸が発見された。生きた状態で見つかったのは今回が初めて。県内では2013年に神栖市で発見されて以降、各地で目撃されている。 市は、セアカゴケグモを見つけた場合、素手で触らず、家庭用殺虫剤か熱湯、靴などで踏みつぶして駆除し、市環境衛生課(電話029-826-1111内線2459)に連絡してほしいと呼び掛けている。

30年にわたり筑波山を撮影 会沢淳さんが写真展 ダイナミックな自然、見るものを圧倒

18日から 県つくば美術館 30年間にわたり筑波山を撮り続けているつくば市在住の写真家、会沢淳さん(70)の筑波山写真展が18日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれている。筑波山の姿のほか、ダイナミックな自然の動きや人々の暮らしを巧みな構図で撮影した70点が展示され、見るものを圧倒する。30年間にわたって撮影した年代、季節、地域など多岐にわたる作品が並べられている。 山頂付近のブナを撮った「白きブナたちの森」は、積雪した筑波山に登り撮影した。「燧ケ池(ひうちがいけ)の榎(えのき)」に写る榎は、今は伐採されたためもう見ることができない貴重な写真だ。「火の神山の神」は、山麓の小田地区で催される伝統行事、どんど焼きを撮った。 ほかに、筑波山神社の祭礼、御座替祭(おざがわりさい)で女体山頂付近で撮った「天近きところで」、山麓の田植えの様子を写した「命を植える手」などが展示されている。 会沢さんは筑波山の写真集を出版している唯一の写真家。1955年北海道三笠市で生まれ、新潟県で育った。千代田写真専門学校卒業後はスペインやモロッコを放浪。帰国し1981年、撮影会社の竹見アートフォトスに入社。84年に独立し、95年に「2億4千万年の神々―会沢淳筑波山写真集」を出版。筑波山の写真展は2008年に東京・秋葉原のつくばエクスプレスプラザで初めて開催して以来、2回目。 つくば市に住み、筑波山に徐々に魅了され、素晴らしさに気づいたと話す。「標高877メートルの低山だが、百名山の一つ。関東平野にそびえる目立つ存在で、万葉集には25首の句が詠まれた。しかし、あまりにも当たり前にそこにある」。 ある時会沢さんは「自分が筑波山を見ているのではなく、筑波山が自分を見ている」という感覚になり、「筑波山に通うしかない」と思ったという。 「撮影中に、凍った地面で転落しそうになったり、中腹の白滝神社の前でシャッターが切れなくなったりなど、危ない目や、不思議な現象にたくさん遭った。やはり神々の山なのだと思い、それから筑波山神社でお参りするようになった。筑波山と対峙すると、山が意思を持っていると感じられる」と話す。 市内から来館した60代男性は「筑波山の写真がたくさん並べてあって楽しい。配列にも工夫があって、とても見やすい。全体として構図が素晴らしくさすがにプロの写真家」と話していた。(榎田智司) ◆同展は11月18日(火)から24日(月)まで、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。問い合わせは会沢淳さん(電話029-838-2786、メールfffaizawa@yahoo.co.jp)。