【コラム・田口哲郎】
前略
去る7月5日、つくば市で宇宙飛行士の野口聡一さんが東京五輪聖火リレー走者を務められました。あの笑顔を見て、私は6月23日に訃報が伝えられた評論家の立花隆さんを思い出していました。
立花さんの追悼番組で野口さんは、『宇宙からの帰還』というNASA(米航空宇宙局)の宇宙飛行士にインタビューした立花さんの本を読んで宇宙を目指したこと、立花さんから宇宙体験を社会の精神性に役立てるよう助言されたことを述べられました。宇宙開発と精神性の組み合わせが意外で、立花さん、野口さんの著作を読んでみました。
『宇宙からの帰還』では、宇宙飛行士たちが宇宙で神秘体験をし、宗教に目覚める話が紹介されています。お遍路で神秘体験をする人がいるように、宇宙でも当然起こりうるわけです。2006年の『中央公論』の立花さんとの対談で、野口さんは「ドラスティックな宗教的な目覚め」はなかったと言っています。でも、宇宙冒険による内面の変容体験はあったとも語っていて、追悼番組で宇宙体験を社会の精神性に役立てたいと述べていました。
どういうことだろうと思い、野口さんの学術論文を読んでみました。2014年の「宇宙空間における重力基準系の変化は人にどのような影響を与えるか:身体定位、認知、対人関係を中心に」は、ISS(国際宇宙ステーション)長期滞在の経験に基づくもので、地上では当然の重力(基準系)がほぼ無い宇宙で人間は安心を得られるのか?が検討されています。
宇宙では上下左右の固定がなくて不安だが、地上にあるようなシガラミもない。無重力状態は国家、民族を相対化し、宗教のような精神性までも相対化するだろうというのです。宇宙で「新しい視座を得て新しい価値観を築き上げ」、地上の人々にもそれを理解してもらうことが大切だと締めくくっています。
野口氏の語り方
米国は人口の8割弱が何らかの信仰有りと回答する宗教国家なので、宇宙飛行士も自らの体験を宗教と結びつけたのでしょう。野口さんは特定の信仰を持っていないようですし、科学者でもあるので、内面的な意識の変容の原因を無重力に求め、変容がなんなのか考えています。論文の冒頭に、人類の宇宙進出の理念と意義を人文・社会科学的立場から理解することが重要、とあります。宇宙開発は確実に科学技術による成果です。
でも、宇宙が前よりも身近になり、今後ますます宇宙旅行が普通になっていくのであれば、宇宙に行く意味を人文社会系の視点で語っていくことは必要になるでしょう。立花さんは科学技術を広く世の中に紹介しましたが、その視点は常に「人間が生きることの意味」にあったので、読者に単なる知識ではなく、哲学的な感動を与えたのです。
国家プロジェクトである宇宙開発について、その成果が強調されても、その意味が語られることはあまりないかもしれません。でも、科学技術が実現させる成果の裏にある「夢」を冒険家である野口さんには今後もっと語ってほしいですね。ごきげんよう。
草々(散歩好きの文明批評家)