火曜日, 12月 2, 2025
ホームスポーツ2回戦最終日 終盤に明暗の土浦勢【高校野球’21】

2回戦最終日 終盤に明暗の土浦勢【高校野球’21】

第103回全国高校野球選手権茨城大会は7日目の15日、3球場で6試合が行われ、2回戦突破の32チームが出そろった。土浦勢ではつくば国際大が水戸工との接戦を落とし、終盤追い上げた土浦三がシードの境に逆転勝ちした。大会は1日休み、17日から3回戦に入る。

つくば国際大 追い上げ届かず初戦で涙

つくば国際大は1点差で迎えた8回表、3点を奪い逆転に成功したが、その裏に3点を取り返された。9回にもチャンスは作ったが攻め切れなかった。「なかなか勝てないというのが実感。私の采配ミスが勝敗を分けた。選手たちは最後まであきらめず戦ってくれた」と山口幸彦監督は肩を落とした。

試合は初回に水戸工が3安打で2点を先制。つくば国際大が追い掛ける展開で、5回に同点とした。つくば国際大の先発・水口和優は2回以降立ち直り、6回まで1安打という好調ぶり。だが7回裏にヒット3本を許し1点を勝ち越された。

つくば国際大の先発・水口=同

8回表には逆転に成功。先頭の濱田の左前打、続く荒井翼と長谷川瑞輝の連続バントヒットで無死満塁とし、水口の内野ゴロで1点が入り1死一・三塁。長谷川瑠伊のスクイズは三走が挟殺されるが2死二・三塁、中山友貴の右前打で2者が還り、この回2点を勝ち越した。

8回裏には急展開。安打と四球で無死一・二塁とされ、代わりにマウンドに上がった濱田が最初の打者にいきなりの死球、次打者にも四球で押し出しの1点を与えてしまう。再び水口がマウンドに戻ったが、2安打でさらに2点を失い、再逆転された。

9回は、北澤敬と濱田の安打で1死一・三塁とし、長打が出れば一発逆転という場面をつくった。代打の村岡航成に託したが、ショートゴロからのダブルプレーで試合終了となった。

「1点を取り合うゲームで一時は逆転したが、気の緩みが出てしまった」と悔やむ濱田。8回裏の登板について「投げることは頭にあったが、一塁から直接マウンドに向かったため準備不足で、気持ちが逃げて弱気になってしまった」という。昨年の秋大会では先発を務めたが、水口の成長によりエースナンバーを譲っていた。いままでにも救援の機会はあったが、あらかじめブルペンで投げ込んでイニングの頭から行く形で、今回のようなスクランブル登板は未経験だった。

この日、スタンドでは竹山翼さんの遺影が両親とともに試合を見守っていた。今の3年生と同世代で、山口監督は将来の主軸を期待していたが、一昨年の11月に白血病と小児がんで亡くなった。遺影はいつもチームに帯同し、今日もベンチに入れたかったが許可が下りなかったそうだ。濱田は「竹山の分まで頑張ろうという思いで大会前から臨んでいた」と初戦で力尽きる結果に無念さをにじませた。(高橋浩一)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)