土曜日, 11月 15, 2025
ホームスポーツ「不足していた糧が満ちてきた」土浦日大 小菅監督【高校野球'21】

「不足していた糧が満ちてきた」土浦日大 小菅監督【高校野球’21】

土浦日大はこの夏をどう迎えるのか。秋はまさかの県大会初戦で敗退、春は準優勝の常磐大高に準々決勝でタイブレークの末に惜しくも敗退した。小菅勲監督(54)に大会への意気込みやコロナ禍がチームづくりにどう影響したかなどを語ってもらった。

厳しいゾーン、身が引き締まる

ー組み合わせですが、常総学院ゾーンに入り、霞ケ浦も同じゾーンになりました。そのほかに好投手を擁する多賀や水戸葵陵などの中堅私学が入っています。まず、このゾーンに入った所感をお聞かせ願います。

小菅 厳しいゾーンです。非常に身の引き締まる思いがします。私は毎年、何回戦でどこと当たるといったことはほとんど見ないで大会に臨みます。勝ち上がりの予測が外れることも少なくありません。初戦、もし多賀高校さんが勝ち上がってきますと、神永耀生投手(3年)と対決することになります。去年常総学院に投げ勝った良いピッチャーです。そのほかに川井虹投手(3年)も良いボールを放っています。

ー右の好投手2枚に対して何か対策は考えていますか。

小菅 県内の好投手の情報は、年間を通してチーム内で共有し、対策を練っています。当然その中に神永君も入っていました。それを確認し直したいと思います。昨今はカット系、チェンジアップなどの特殊球を多投する投手が多いので、練習試合の中で対応してきました。選手はそういうピッチャーに対応しなければ勝てないということはよく分かっていますので、それをもう一回おさらいし、再認識するということだと思います。

負けに不思議の負けなし

ー秋の県大会初戦の敗戦から冬場はどのように過ごしてきましたか。

小菅 秋に初戦で負けたことは絶対にその原因がある。“負けに不思議の負けなし”で、時間をかけて修正をしてきました。ようやくこの春になって、こちらが感じている以上に自分を「重くして」しまう選手が多くて、逆境の時に見せる姿が分かるようになってきました。逆境をはね除ける糧が、昨年からのコロナ禍で足りないと思っています。これまで、去年1年の真剣勝負の積み重ねが欠落していました。春の大会の戦績は満足できるものではありませんでしたが、ようやくここに来て不足していた糧が満ちてきた感があります。チームにもまとまりが出てきました。全員で、大会の時ももっと良い声掛け、あるいは結束が出来ると思っています。チーム力としては、十分に優勝の可能性があると信じています。特に野手は能力の高い選手がいます。“大会を通して成長を果たしていく”のが優勝チームだと思います。1イニング1イニング、一戦一戦で成長していきたいです。その姿を見ることが楽しみです。

エース左腕の小谷野=J:COMスタジアム土浦

エースは小谷野、3人で回す想定

ー戦力について伺います。夏はどのような布陣になりそうでしょうか。

小菅 昨秋にベンチ入りしていなかった小谷野奨大(3年)がエースナンバーを着けます。2番手、3番手の山田奏太と河野智輝は2年生です。秋からはレギュラーが2~3名入れ替わり、背番号二桁の選手も秋から4~5名入れ替わりました。チーム全体で「切磋琢磨」ができました。

ー小谷野投手はどんなタイプの投手ですか。

小菅 左投げで180センチです。大柄な割に制球力がよくて,ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップを満遍なく操れるピッチャーです。

ー秋に1番をつけていた山田投手はどんな調子でしょうか。

小菅 ここ3カ月くらいでかなり成長してきました。彼もボールの勢いで勝負するタイプではなく、コントロールや試合をつくる能力と、強気なピッチャーなのでピンチでも向かっていける要素を持っています。ベストな状態で臨めると思います。身長も伸びて170センチ後半になったと思います。以前は少しぽっちゃり系だったのですが、この3カ月くらいで体脂肪もコントロール出来てきて、その分ボールのキレも増したように思います。

ー河野投手はどのようなタイプの投手ですか。

小菅 右サイドスローです。落ち着いていて淡々としたピッチャーです。大体この3人で回す想定ですが、4人目には、この数週間でいちばん調子の良いピッチャーを入れたいと思います。

ー秋はたくさん下級生がベンチ入りしていましたが、夏は3年生が入ってくるのでしょうか。

小菅 やはり3年生が巻き返し、夏は3年生が増えました。20人中15~16人くらいが3年生になるのではないでしょうか。

キャプテンの芹澤。昨年の独自大会=ノーブルホームスタジアム水戸

去年秋は衝突、産みの苦しみを経験

ー野手陣について伺います。下級生の時から中心選手であった菅野と芹澤、1年夏からスタメンを張っている吉次悠真が春の大会では2番、3番、4番と上位を打っていました。3選手が特に注目を浴びていますが、各選手の状態を具体的な数字などを交えて教えてください。

小菅 正確な本数を把握していませんが、菅野と芹澤は通算本塁打が20本弱で同じくらいの数字だと思います。吉次は一桁台です。トーナメントで求められるのは“勝負強さ”です。“一球入魂”の精神です。あまり本塁打数などは求めていません。本人の励みにしてもらう程度です。まずけがなくここまで来ているというのが良い材料です。菅野と芹澤の2人でチームを引っ張っています。去年の秋にはお互いに衝突したり、冬の間は口論したりと産みの苦しみを経験しました。それだけ2人でチーム作りを真剣にやっているという証拠です。今は同じ方向に向かっています。非常に頭の良い子たちなので、2人でしっかりと考えてチーム作りをやってきたと感じています。後は責任を背負いすぎないようにして欲しいなと思います。今のところは心身ともに充実していると思います。

ー菅野は何球団かスカウトがチェックしに来たという話があります。

小菅 巨人と楽天、中日が来ました。菅野は183センチで90キロと恵まれた体格でありながら100メートル走を12秒切るスピードがあります。そういうデータを知っているので追っているのでしょう。現状では大学経由などワンクッション置いた方がいいでしょうとスカウトも言っていますし、私もそう思います。本人もその辺は理解しています。補強ポイントとして見に来るチームもいるということです。

プロが注目する菅野。昨年の独自大会=ノーブルホームスタジアムk水戸

ー春の大会で1番を打っていた武田優輝と5番の荻原康誠はどのような選手ですか。

小菅 武田は非常にガッツマンでチームのリードオフマンにふさわしい人間です。2年生ですけれども、よく声が出て元気がある。芹澤と二遊間でコンビを組んでいますが、いい「化学反応」を起こしています。時には芹澤が武田に引っ張られながらやっている感じもあります。荻原は学習成績もトップクラスで、練習も一番やる模範中の模範の選手です。自分の真面目さを貫き通して自己を確立してきました。この3カ月くらい試合でも打っていますし、荻原が打って助かった、救世主となった試合が数多くあります。

ーそれでは5番は荻原で決まりですか。

小菅 候補の一人ではありますが固定はしません。警戒される芹澤・菅野の後を打つ重要な役割でありますから、候補は何人かいます。ケースバイケースで決めます。

ーほかに調子が上向きの選手はいますか。

小菅 去年から出場していましたが、中村陸人(3年)です。足も速いです。紆余曲折あって自己が確立できていない時期もありましたが、最近ようやく夏の大会に勝つんだという気持ちが見えるようになってきました。後は高内大翔(3年)ですね。この選手も気持ちの浮き沈みがありました。自分の路線、役割、あるべき姿を確立するのに時間がかかったのですが、ここ2週間ほど非常に良い状態でして期待しています。また大島優太朗(3年)という選手も調子が上がってきました。うちの選手はみんな真面目なんですが、彼は大らかなタイプです。チームの中に一人や二人、考えすぎないような選手がいると良いスパイスになるので期待しています。

ー1年生はどのような状況ですか。

小菅 1年生は促成栽培せずにゆっくりつくっています。秋に照準を合わせてじっくりと仕上げようと話しています。コンセプトも理解してくれて、主体的に練習に取り組んでいます。

土浦日大出島グラウンドにて

感謝の気持ちあふれてる

ーコロナを経験してチームの取り組みとして変化はありましたか。

小菅 まず3年生は「今年は選手権ができて本当にありがたい」という気持ちがあふれています。やはり去年の3年生を目の当たりにしていますから。この間保護者会の壮行会があって、保護者の前でキャプテンの芹澤があいさつをしていました。「本当に大会が開催されることに感謝しています」と言っていました。本音だと思います。後は、このチーム、この世代は仲が良い。3年生のチームワークが非常に良い。皆で頑張って甲子園に行こうよという感じは出ています。なおさらいろいろと制約された中で練習や練習試合をやってきました。本当に練習試合が厳しかったんです。うちはよくても相手がキャンセルを申し出る。直前の金曜日にお互いにやっぱり行けない。本当にいろいろなところと情報交換しながらも、毎週欠かさずになんとか練習試合ができました。有り難かったです。

心は熱く、頭は冷静に

ー最近見た試合で、選手同士が「おおらかに、おおらかに」と声を掛け合っていました。何かきっかけというか、こういう声掛けをするようになった理由はあるのでしょうか。

小菅 私は常日頃から野球はガツガツとやるものではないと言っています。人によっては野球を格闘技に例えたりしますよね。一瞬一瞬のプレーではボルテージが上がりますが、特にバッティングなんかではおおらかさを忘れてしまうとがっついてしまうので、頭は常に冷静にすることを大事にしています。そういったことでおおらかにという声掛けが出るのかもしれません。心は熱く、頭は冷静に、一言で言うとおおらかにとなると思います。

ーこれをチームのテーマとして取り組んでいるのでしょうか。

小菅 自然とテーゼとして流れています。ゲームの時も、選手だけで集まってピッチャーのこと、配球のことを言い合っています。頭は冷静でおおらかさを失うと実のある打ち合わせはできないですから。相手を分析する面など、野球偏差値もかなり良い感じに高まってきています。

ー去年のインタビューでは球速を上げたり投球を改善するために一貫して取り組んでいることがあるということでした。現在でもこの点は変更がありませんか。

小菅 一貫して取り組んでおります。毎月ラプソードを借りて回転数や変化球の精度を計測して「ピッチトンネル」を測っていますし、成果があったと確信しております。

ーピッチトンネルとはどのようなものですか。

小菅 同じ球筋、同じトンネルを通過してから変化させるのが有効という考えのもとにボールの軌道を修正する作業です。当然カーブのように目線を上げる球種もあるのですが、力んだり抑えてやろうとなるとなかなか上手くはいきません。同じ球筋を通ってから変化するという、大きく曲がりすぎることがないように意識しながらやっております。

ー今大会は球数の制限はどのようになっているのでしょうか。

小菅 1週間500球で、試合日を起点として前1週間です。決勝戦を起点として4回戦からの4試合が問題になると思います。去年準々決勝までいった時に球数を見せられて(前1週間が)300球程度だったので、この調子でいくと決勝戦で球数制限を超えるんだなと感じました。高校野球はトーナメントです。勝たないと明日がありません。流れと試合展開をよく見ながら、500球ルールに対応していきたいと思います。

ー木内幸男監督が昨年11月にお亡くなりになりました。小菅監督は、甲子園を制覇を果たした1984年の取手二高の優勝メンバーでした。木内監督から受け継いだことや思いなどをお聞かせ願います。

小菅 最後に会ったのは亡くなられる1年ほど前でお元気でした。いつものようにずっと野球の話を興味深くされていました。木内監督から学ばせて頂いたことは1冊の本になると思います。お亡くなりになられてとても残念ですが、悲しい気持ちを決意に変えていきたいと思っています。大事なのは木内監督の遺志を継いで、次の世代の者が高校野球を発展させていくことです。木内監督の気概、「甲子園で勝つ事が教育になる」ーを胸に刻んで励んでいきたいと思います。(聞き手・伊達康)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

3S政策とマリリン・モンロー《映画探偵団》94

【コラム・冠木新市】中学1年生のころ。米国の進駐軍が戦争直後の日本の子どもたちにチョコレートやチュ一インガムを配る記録映像を目にし、不思議に思った。あの行為は、米国が日本人に好印象を持ってもらおうとの戦略だったのだろうか。 同じころ。古本屋で購入した「キネマ旬報/日本映画戦後18年総目録」の中に不思議な単語を見つけた。「…女性尊重、殿様の権威否定(もろもろの権威が殴られる)とともに、野球などのスポーツをねらったものがある。つまり3S政策といわれたものに対する、極めて素朴な、しかし商売上手な戦前からの転身が見られる」(戦後日本映画展望/井沢淳) 3S政策とはなんなのだろうか、疑問だった。だが、以後この言葉を目や耳にすることはなかった。1990年代に入って、ようやくその意味が分かる。 終戦後、米国はかねてから準備していた占領政策を打ち出した。その中核をなすのが「3S政策」、別名「日本弱体化政策」であった。3Sとは、SPORT(スポーツ)、SCREEN(スクリーン、映画)、SEX(セックス)の頭文字を示すもので、この3つのSを日本人の思考と身体に浸透させ、日本人を弱体化し、政治に興味をなくさせ、都合よく操ろうという計画だった(文献は残されていない)。 日本国民は、米国を美化して描いたハリウッド映画の洗礼を受け、知らず知らずに米国を理想化していった。大人たち以上にスクリーンの洗礼を受けた少年少女たちは、後に団塊の世代と呼ばれるようになり、3つのSが浸透し話題の中心となり、生き方を決めていくこととなった。 小津安二郎監督「東京物語」、溝口健二監督「雨月物語」、撮影中の黒澤明監督「七人の侍」など、日本映画界が黄金期を迎えていた1954年。 大リ一グの野球選手だったジョ一・ディマジオと結婚したセックスシンボルの女優マリリン・モンローが「帰らざる河」の撮影を終え、新婚旅行で日本にやって来た。表向きは、ディマジオが読売新聞の野球イベントに招待されたとされている。しかし、そのころは朝鮮戦争中で、モンローは韓国で戦う米兵の慰問を兼ねていたといわれる。米国でコンサートのリハ一サルまでして来たとの情報もある。 日本人は、モンローとディマジオの来日に熱狂した。2人の来日は、もしかして、文化復興してきた日本に対して、3S政策を再度強化するための作戦ではなかったのか(映画探偵団35)。 1960年代の高度成長期に入ったころから、日本人に糖尿病患者が急に増加する。テレビでは、コーラとチョコレートのCMがガンガン流れていた。映画館のスクリーンを見て、コーラを飲み、チョコレートを食べていた私は、成長して当然のように糖尿病となった。 2000年代に入ると、3S政策の話はちょくちょく目や耳にするようになる。そんなある日、病院からの帰り道で突然ひらめいた。3S政策のSとは、SUGAR(砂糖)ではないかと。進駐軍は子どもたちに甘味を覚えさせ、3S政策で興奮を与え、着々と糖尿病患者に育てようとしたと妄想するのだが、糖尿病患者の皆さんはどう思われるだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家) <お知らせ> 物語観光「つくつくつくばの七不思議セミナー」・日時:11月29日(土)午前11時~午後1時・場所:コリドイオ小会議室・内容: 映画上映「サイコドン(第2話)」、製作発表「新春つくこい祭/北条芸者ロマンの唄が聞こえる」の後、まちづくり懇談(参加費無料)

自動運転中の低速車両が接触事故 つくば市が実証実験

運行中止、原因検証へ つくば駅周辺でつくば市が実証実験を実施中の低速自動運転モビリティ(車両)が12日午後2時30分ごろ、自動運転中、同市竹園1丁目のイベントホール、つくばカピオの敷地内に設置されているスロープを時速3キロで走行し方向転換したところ、スロープの手すりに接触する事故を起こした。同市が13日発表した。事故時、運転手と一般の乗客2人の計3人が乗車していたが、けが人は無かった。 事故を受けて同市は12日午後、運行を中止した。同市科学技術戦略課は、原因を検証し適切な対策が講じられるまで運行を取り止めるとし、再開は未定としている。 同課によると、12日正午ごろから自動運転に使用している人工衛星の信号受信が不安定になり、補正信号の切り替えを行うなどの対策をして運行していた。午後2時30分ごろ、スロープを走行し方向転換した際、軌道がやや内側に寄っており、内輪差により、車両右側の路面から高さ30センチ付近がスロープの手すりに接触し、車両に長さ40センチほどのこすった跡ができた。同乗して自動運転を監視していた運転手はスロープに接触しないと判断しブレーキを踏む対応をしなかった。 接触事故後、車両は乗客2人を乗せたまま、つくばセンター広場まで戻った。運行事業者はその後、同市に連絡。警察に通報し、物損事故として現場検証などが行われた。 モビリティは、ゴルフカートのような4人乗りの車両。つくば駅前のつくばセンター広場からカピオまで片道約400メートルのペデストリアンデッキを、時速3~10キロ、片道約10分間、一般の人を無料で乗せて往復していた。子育て世代向けの移動サービスとして「こどもMaas」と銘打ち、同市が車載機器専門商社の東海クラリオン(名古屋市)に委託して運行している。運行期間は11月5日から16日までの間の10日間と、来年1月15日から26日までの間の10日間の2回で、今年度の事業費は約1800万円。運行を始めた昨年度は事故は無かった。 自動運転は、GPSを補強・補完する高精度の日本の準天頂衛星システム「みちびき」からの情報と、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発したソフトを使って車両の位置や方位を求めて運行する仕組み。運転手が同乗し監視しながら運行するレベル2での実証実験で、建物や樹木があって衛星からの信号が届きにくい場所では車両に搭載したセンサーを使う。2回の運行期間のうち、11月は、人工衛星と地上の基地局の両方からの位置情報を受信し自動運転する実証実験で、来年1月は、地上の基地局からの情報を使わず、人工衛星と三次元の地図情報を使い自動運転する計画だった。 12日の接触事故は、地上の基地局からの情報を、別の基地局の情報に切り替えた直後に発生したという。事故を受けて市は、委託先の東海クラリオンに対し、運行取り止めを指示したほか、安全・安心な運行を徹底するよう強く申し入れたとしている。

土浦市職員のHPが最優秀賞 霞ケ浦と筑波山周辺を紹介

「人間的なところをデジタルで表現」と評価 土浦市職員でNEWSつくばのコラムニストでもある若田部哲さん(49)が個人で制作しているホームページ(HP)「日本一の湖のほとりにある街の話」が、「日本地域コンテンツ大賞」のデジタル部門で最優秀賞を受賞した。10月28日、観世能楽堂(東京都中央区)で表彰式があった。 「日本地域コンテンツ大賞」は一般社団法人日本地域コンテンツ振興協会(東京都千代田区)が主催する賞。デジタル部門は「言葉による説明がなくても一見するだけでメッセージが理解できる世界に伝わるコンテンツであるかどうか」が審査基準となっている。 若田部さんに表彰状を授与した東京大学副学長の相原博昭さんは「デジタルなのでテクニカルなところが評価されたと思ったが、そうではなくて人間の情熱や熱量、地域を愛する熱量だった。最優秀賞の作品を見ると優しさが伝わってくる。極めて人間的なところをデジタルというメディアに映して表現していることを高く評価されていると思った」と述べた。 約400本が紹介 HP「日本一の湖のほとりにある街の話」は、霞ケ浦と筑波山周辺15市町村の各所を若田部さんが実際に足を運んで取材し、食や祭り、レジャースポット、美しい景色など5つのカテゴリーに分けてイラストとコラムで紹介している。対象物の形や大きさを誇張したり省略した独特なイラストが特徴で、2色とグレーだけを使い、濃淡で版画のように描いて表現している。 HPの開設は2019年。現在は約400本が紹介されている。例えば「漁獲量日本一!霞ケ浦のテナガエビを釣ろう!」では、霞ケ浦での生息場所、釣り方、食べ方などを緑色と青色、灰色の3色を使ったユニークなイラストで紹介している。「江戸のUFOミステリー!神栖市・うつろ舟」では、青色と黄色、灰色の3色を基調としたイラストを使い、海岸に流れ着いたとされる正体不明の舟の言い伝えと、つくば市の蚕影山神社に伝わる金色姫伝説との関連を紹介している。ほかにも季節のイベントなど時期に合った季節の特集も作成している。 日常に根差した風景も霞ケ浦の良さ 全国のタウン誌やフリーペーパー、ウェブサイト、動画など地域密着型メディアを対象に、577件の応募の中から選ばれた。若田部さんは「栄えある賞をいただいて、文字通り檜舞台に立たせていただいた。そうそうたる媒体がエントリーしていたので、光栄の至り。感無量」と喜びを語る。 自分の活動については「土浦市職員としての仕事の傍ら、公務の一環というつもりでイラストと文章で霞ケ浦という茨城県の大きな特徴を紹介しアピールする活動を個人でしている」とし「霞ケ浦の周りには絶景ポイントもある。しかし湖の波の音、湖面を吹く風、風にそよぐ大輪の蓮の花、いつ行っても誰かがきれいに掃き清めている小さな祠など、日常に根差した風景も霞ケ浦の良さだと思う」と話した。 活動の客観視と生成AI対策 若田部さんが今回、日本地域コンテンツ大賞に応募したのは、自分の活動を客観視するためだという。個人の活動なので独善的になっていないか、単なる自分の趣味に陥っていないか、地域の振興に資するものになっているかーなどを常々注意している。「アピール力や構成力を、地域振興活動をしている他の団体と同じ土俵で比較してもらって見極めたい」と語る。 もう一点が生成AIの普及だ。若田部さんは「特に写真については、AIと本物の見分けがつかないような時代になっている」とし「イラストも量産できる時代になっているため『なんとなく成立するコンテンツ』が乱立するようになっている」と話す。「AI代替に埋没しない一定の強さがあるイラストを描いているが、なるべく早い段階で客観的評価を得ておかないと、自分が前からやっていると言えなくなるという懸念もあった」と語る。 地域の物語を伝えたい 今後の取材については「地域の物語をイラストで視覚化し伝えていきたい」と話す。「『地域の豊かさを計る指標は、人口や経済だけでなくそこに内在する物語の数』だという話を聞いて感銘を受けた。地域にはたくさんの物語があるが、うずもれたままになりがち。だからこそ霞ケ浦と筑波山の周辺に残る物語を掘り起こしHPで伝えていきたい」という。 さらにHPをきっかけとして現在、美浦村の大山湖畔公園(旧鹿島海軍航空隊)のイラスト化計画を美浦村と同公園を管理するNPOプロジェクト茨城と進めている。「鹿島海軍航空隊は、遺構はあるものの記録がほとんど残っていない状態。しかし当時の人の何気ない営みがあったはず。大きなボイラーを焚いてみんなでお風呂に入った、食事をしたなど、基地にいた隊員たちの日常をイラストで伝えていきたい」と語る。「一人の兵隊が入隊して出征していく物語も絵本にして地域の子どもたちに配るなどもできたら」と意気込みを語る。(伊藤悦子)

緊急消防援助隊が合同訓練 1都9県の隊員ら1400人が集結 

県内で20年ぶり 大規模災害発生時に全国各地に駆け付ける緊急消防援助隊 関東ブロックの合同訓練が12日、土浦市小高にある採石場、塚田陶管柳沢工場の敷地内で実施された。1都9県(東京、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、山梨、長野、静岡、福島)の緊急消防援助隊による合同訓練の一環で、県内での開催は20年ぶりとなる。 12日と13日の2日間、土浦市のほか、ひたちなか、神栖、鉾田、鹿嶋、水戸市の13会場で、1都9県の緊急消防援助隊員や関連機関など約1400人が参加し、倒壊建物救助訓練、多数負傷者救助訓練、石油コンビナート火災対応訓練などのほか、宿営地設置・運営など後方支援訓練や、指揮本部運営訓練なども実施されている。 土浦の集落が孤立したと想定 訓練は、連日の大雨により河川氾濫や土砂災害が発生している中で、茨城県沖を震源とする震度6強の地震が発生したという想定で行われた。津波や大規模火災などが県内各地で発生し、多数の負傷者や孤立者が出た複合災害の状況を想定した。 土浦市の会場では、東京、埼玉、栃木の3都県の緊急消防援助隊210人と、茨城県内の消防広域応援隊14部隊60人が参加。同市東城寺地区の集落が土砂崩れにより孤立したと想定し、消防隊員らが専用重機で道路の障害物を除去したり、崩れた土砂に埋もれた車両や倒壊した家屋の中からの救助、ヘリコプターによる上空からの救助などの訓練が実施され、部隊同士や関係機関との連携、指揮系統の確認などが行われた。 ほかに自衛隊、国土交通省、茨城DMAT(災害派遣医療チーム)なども加わり、がれきが散乱して通行が困難な場所でも走行できる救助車両や消防ヘリコプター、照明車など約80台が救助訓練に当たった。 鬼怒川水害では支援受け入れ 緊急消防援助隊は、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに創設され、大規模災害時に消防庁長官の要請などにより、他の都道府県から派遣される。2011年の東日本大震災や24年の能登半島地震でも活躍した。県内では、15年の関東・東北豪雨による鬼怒川水害の際に支援を受けている。 緊急消防援助隊ブロック合同訓練は、1996年から全国を6ブロック(北海道・東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州)に分け、各ブロック内の都道府県が持ち回りで実施してきた。茨城での開催は2005年以来となる。 茨城県消防安全課は今回の訓練について「県内での大規模災害の発生を想定し、近隣都県の緊急消防援助隊の応援を受け入れ、多くの関係機関とともに実施する今回の訓練は、受援体制の強化に大きく寄与する大変意義深いもの。本訓練を通じて、本県の受援体制の見直しを図り、茨城県緊急消防援助隊受援計画へ反映させていきたい」と話している。(柴田大輔) https://youtu.be/OkVy1R0cUdQ