土曜日, 7月 25, 2026
ホームコラムほんとうに海に流してしまっていいのですか 《邑から日本を見る》87

ほんとうに海に流してしまっていいのですか 《邑から日本を見る》87

【コラム・先﨑千尋】表題を福島県いわき市で発行されている「日々の新聞」4月30日号から借用した。同紙はこの号で「汚染水の海洋放出」を特集しており、12ページの紙面のうち実に11ページを使っている。発行者の安竜昌弘さんはいわき市で地方紙の記者をしていたが、そのあり方に疑問を持ち、2003年に「日々の新聞」を創刊した。現在は大越章子記者と2人で紙面をつくっている。

タブーのない、個の思いが詰まった新聞づくりをしていて、毎号届くのが楽しみだ。紙面の下には「海洋放出反対の理由」、「放射能汚染水で海を汚さないで」など、他の新聞にはほとんど見ることのない意見広告も載っている。

同紙は1面で「ほんとうに海に流してしまっていいのですか」と読者に問いかけ、2面で「海洋放出の反対はいささかも変わらない」と主張。これまでの経過をたどり、トリチウムなどを含む汚染水の説明、いわき市漁協の江川章組合長ら4人の話を載せている。

このほか、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんの「トリチウムの海洋放出は人間の遺伝子組み換えによる殺人行為」という寄稿文があり、『被曝インフォデミック』という西尾さんの本を紹介している。

それによると、「トリチウムは原発から近いほど濃度が高く、生態系の食物連鎖の過程で生物濃縮する。トリチウムは人のDNAを構成している塩基の化学構造式まで変えてしまう。(これは)人間の遺伝子組み換えを行っていること。処理コストが安いからといって海洋放出することは、人類に対する緩慢な殺人行為」と警告している。

これらを受けて、安竜さんは最後に「一番は、海に流される液体の正体をきちんと知ることだ。これで引き下がっていいのか。他人事ではない」と訴えている。

国は水俣病の経験をなぜ活かせないのか

生体濃縮の怖さを指摘したのは水俣病患者たちだ。東京電力福島第1原発の処理水を海に流す政府の方針に対し、熊本、新潟両県の水俣病患者9団体などでつくる「水俣病被害者・支援者連絡会」は4月19日に反対声明を発表した。水銀を含む工場排水の海や川への放出が水俣病の原因になったことを踏まえ、国と東電は「同じ過ちを繰り返そうとしている」と抗議し、国に白紙撤回を求める要請書を提出した。

声明では、政府が放射性物質のトリチウムを含む水を希釈して海洋放出する方針を示していることについて、「希釈しても(トリチウムの)総量が減るわけではない。(食物連鎖によって濃縮する)生体濃縮でメチル水銀が人体に影響を及ぼした事実を私たちは水俣で経験した。(トリチウムなどの)人体への影響が明確になっていない段階での放出は許されない」と訴えた。

トリチウム汚染水をどれだけ薄めても、総量は変わらないという水俣病患者たちの指摘に注目したい。

水俣病はチッソ水俣工場が海へ流した工場排水に含まれるメチル水銀によって引き起こされた。1956年に公式に水俣病の発生が確認されたが、チッソは「八代海への排出に伴い、水銀は海中で希釈される」と主張していた。65年には昭和電工鹿瀬工場(新潟県)の廃水を原因とする新潟水俣病も確認されている。国は水俣病の経験をどうして活かせないのか。(元瓜連町長)

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