金曜日, 12月 12, 2025
ホームつくば【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

【柴田大輔】「つくばに来て、やっと先が見えた気がしました」

夫、功二さん(44)が営む眼鏡店の2階で、原田葉子さん(44)が穏やかに話す。

福島県浪江町から避難中に経験した妊娠・出産、周囲に伝えられなかった自分のこと、未だ整理のつかない故郷への複雑な想い―。 震災は自身を取り巻く環境を大きく変えた。現在、つくば市学園の森の新興住宅地で新しい生活をスタートさせ、夫と長男の3人で暮らす。

「被災者」に後ろめたさ感じていた

「浪江出身」と伝えると返ってくる「大変だったね」「原発のとこだったんでしょ?」という言葉に、負担を感じていたという。葉子さんは、故郷の浪江町から避難し、5回、住む場所を変えてきた。その間、常に自分を「避難している人」だと感じていた。

「周囲の方に心配していただいて本当にありがたかったです。一方で、『被災者』だということに後ろめたさを感じていました」

浪江で約100年続く「原田時計店」に、2人姉妹の長女として生まれ育った。3代目の父が社長を務める同店は、時計やメガネ、貴金属などを取りそろえる老舗として地域に愛されてきた。

「浪江はたくさんの友人、親戚、地域の人とのつながりの中で生活できる『ほっとする街』でした。高校生のころは友人とカラオケに行ったり、浜辺でおしゃべりや花火をしたのが思い出です」

県内の高校を卒業し、東京の眼鏡専門学校に進学した。その後は在学中にアルバイトをしていた都内の眼科に就職する。功二さんとは学生時代に出会い、結婚後に夫婦で浪江に戻り家業を手伝った。

震災の年は、実家の近所に暮らす葉子さん夫妻が両親、祖母と同居できるように、実家の建て替えと、古くなった店舗の改築を予定していた。将来を見据え、新たなスタートを家族で切ろうとしていた矢先に震災は起きた。

故郷への思いと現状の間で葛藤

葉子さんの家は、事故を起こした福島第1原発から10キロ圏内にある。

「正直なところ、原発を危険とも安全とも思っていませんでした。普通の会社というか、工場のように『電気を作っているところ』というような。浪江から働きに行く人も多く、身近な存在でした」

地震翌日、原発事故による避難指示が出た。隣町の親戚宅へ避難すると、テレビに映る1号機が爆発した。隣の父親が「あぁ、だめだ。終わった」と言った。その横顔から感じた絶望に怖さが込み上げた。

その後、喜多方市に暮らす別の親戚を頼り、1カ月後には仕事を探すため夫婦で東京に転居した。

「私たち、財布も持たずに浪江を出てきたんです。別の場所にちょっと待機するくらいの気持ちでした。でも、その後の原発を見ていて『もしかしたら、戻れないんじゃないか』と思うようになりました」

思わぬ避難生活の長期化に不安が高まった。東京の暮らしは1年半。その間に妊娠し、千葉県の夫の実家近くに転居し男の子を出産した。

「息子が生まれるまで、浪江に戻りたいと思っていました。でも、県内に残る友人に話を聞くと、福島での生活に手放しで安心しているわけではない。情報はどれを信用していいかわからず、妊娠中はネガティブな話題を遠ざけました。精神的に余計な不安を除きたかったからです」

故郷への想いと現状の間で葛藤していた。家業の再開は常に考えていた。当時、千葉県内の眼鏡店に勤務していた夫と、何度も福島に住む両親を訪ね今後を話し合った。

「当時、浪江町民で新しいコミュニティをつくるという考えがあり、そこでの再開を考えましたが、難しくなり、県外での出店も選択肢になりました」

夫の功二さんと眼鏡店「グラン・グラス」店内で=つくば市学園の森

知人からつくばを紹介されたのはそんなときだった。諸々の条件が合致し「つくばでやっていこう」と決心した。功二さんが眼鏡店を出店し、父は福島県二本松で「原田時計店」を再開した。新しい生活の始まりに「やっと落ち着き、先が見えた」と安堵した。

それだけ年月が経った

つくばに転居する以前、千葉では言えなかったことがある。「浪江出身」ということだ。複雑な当時の心境をこう振り返る。

「『浪江から来た』と言うと、心配してくれる方がほとんどでありがたかったです。一方で、常に『大変』『原発』というイメージで見られてしまう。周囲で、仲のいい人同士が『原発』で意見が分かれる場面も何度も見ました。震災と全く関係ない、『被災者』としてではない人間関係を築きたくなってしまったんだと思います」

福島で被災したある人が心ない言葉をかけられたこと、だれかに自身の車を傷つけられた経験も、葉子さんが過去にふたをすることにつながった。

「だんだん自分のことを話すのが怖くなりました。『もう話すのはやめよう』と思ったんです」

息子が幼稚園に入ると親しい「ママ友」ができた。しかし、友人への隠しごとが辛かった。ある日、福島で活動する葉子さんの父が新聞に取り上げられた。その記事を読んだ友人は、葉子さんの背景を知り「そんなこと気にしないで、普通に付き合っていこうよ」と言ってくれた。

「ずっと言えなかったことが引っかかっていました。彼女の言葉で、すぅっと気持ちが軽くなりました。相手に気を使わせたくないとか、色々考えすぎていたんです。今は話しても、みんな普通に接してくれるのがうれしいです。それだけ年月が経ったということかもしれません」

子どもにどう説明すればいいか

浪江には毎年お墓参りに帰っている。

「浪江は時間が止まっているようで、何年経っても、最近までそこにいた気持ちになります。うまく言えませんが、自分にとって大切な場所です」

だが、8歳になる長男を連れて行ったことはまだない。その理由を、言葉を選びながらこう話す。

「震災のことをどう説明するべきか、まだわからないんです。どうしても原発のことは話さなければいけない。どう伝えるべきか」

ひと呼吸置き、言葉をつなぐ。

「原発に勤めていた知り合いも多かったですし、お店としてもお世話になっていました。全部が『悪』ではないと思うんです。そういうことではない。子どもにどう説明すればいいか、息子が理解できる年齢になる時までに、私の中できちんと整理したい。連れて行くのは、私が自分の言葉で説明できるようになってからと思っています」

震災後の10年は、家族や友人とも離れることになった辛い時間だった。だが、新しい土地でスタートさせた生活に「いろいろな方の支えのおかげです。本当に感謝しています」と話す。

「グラン・グラス」外壁に、福島の本店「原田時計店」の名が刻まれる

インタビューの最後に、息子さんの将来について質問すると、明るくこう答えた。

「息子は『メガネ屋さんになりたい』って言ってるんです。でも私たちは息子が思うようにやりたいことをやって、元気に育ってくれればいいと思ってます。万が一、継いでくれたらラッキーですけどね」

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

無人のダンプが坂下り出し 軽トラの女性けが つくば市発注の水道工事

筑波山中腹 11日午前11時30分ごろ、つくば市臼井、筑波山中腹の坂道で、同市発注の水道管布設替え工事中、道路脇に停車していた無人の2トンダンプが動き出し、約30メートル下った先の住宅敷地内に停車していた軽トラックに衝突、軽トラックははずみで住宅の玄関に衝突し、乗っていた女性が打撲など軽いけがを負った。 市水道工務課によると、現場は筑波山神社に続く生活道路で、工事を受注した市内の業者が老朽化した水道管を取り替える工事中、前方を坂の下に向けて停車していたダンプが前に動き出した。ダンプは事故時、交換した水道管を埋め戻すための砂を積んでいた。サイドブレーキはかけていたが、車止めは設置していなかったという。 けがを負った女性は、出掛けようと軽トラックの運転席に乗ったところ、左後ろの荷台付近をダンプに衝突された。住宅の玄関は、庇(ひさし)を支える木製の庇柱2本が折れるなどした。衝突の影響で軽トラックのドアが開かなくなり、消防署が女性を救出、女性は救急車で病院に運ばれた。 女性は現在、自宅療養中で、事故原因は調査中としている。 同市の五十嵐立青市長は「事故によりけがをされた方に深くお詫びします」とするコメントを発表し、「再びこのような事故を起こさぬよう、受注者に、現場の安全対策の再確認や現場作業員に対する安全対策の再教育を指示」し、さらに「現在工事を受注している全事業者に対しても、安全対策に関する指導を徹底します」としている。

11年ぶりのお色直し つくばエキスポセンター H2ロケット

つくば駅前の中央公園に隣接するつくばエキスポセンター(同市吾妻)で、同センターのシンボルであるH2ロケットの全面塗装工事が始まった。ロケットは実物大模型で高さは約50メートル。11月25日から足場の組み立てが進められており、来年3月30日に完了する予定だ。底辺部から先端部分まで全面的にお色直しする。1990年の設置以来、ほぼ10年ごとに塗り替えを行っており、今回は2014年以来11年ぶりとなる。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもの。1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。以来、つくば市中心地区のシンボルとして、長く市民に親しまれている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「2014年の塗装後、塗装落ちなどが見られたため調査を行った結果、全面塗装を行うことになった。色やデザインの変更はない。来春には塗装を終え足場を取りはずしますので、市民の皆様にはぜひ完成を楽しみにお待ちいただければ」と語った。 作業の進ちょくは、つくばエキスポセンターのホームページなどで知らせる予定だ。(柴田大輔)

原因は強い太陽フレア 低速自動運転車の接触事故 つくば市

乗客を乗せてつくば市が実証実験を実施していた低速自動運転モビリティ(車両)が11月12日、つくば駅周辺でスロープの手すりに接触する事故を起こし運行を中止している問題で(11月13日付)、同市は10日、接触事故の原因について、事故当日に発生した強い太陽フレアによる通信障害により、GPSを受信して車両の位置などを測定する衛星測位精度が低下し、車両の位置情報の誤差が大きくなったことと、強い太陽フレアの発生などに備えた車両側面の範囲を検知する接近センサーの不備が原因と考えられると発表した。 市科学技術戦略課は今後の対策として、①強い太陽フレアが発生した場合に備えて車両側面の接近センサーを追加搭載し最適化する ②運行ルートに応じて安全を確保するために設けるゆとりの範囲を見直す ③衛星測位精度が低下した際はさらに低速で運転したり停止するなど車両の動き方を見直すーなどを実施した上で、13日から16日の4日間、乗客を乗せないで、実証実験のルートと同じつくば駅前からつくばカピオ前まで、公道のペデストリアンデッキで試験走行を実施するとした。 試験走行では①車両側面の範囲を検知する接近センサーの搭載台数と配置の最適化、②障害物接近時における減速や停止など車両挙動の確認などを検証する。 接触事故は、低速自動運転モビリティが、同市竹園1丁目のイベントホール、つくばカピオの敷地内に設置されているスロープを時速3キロで走行し方向転換した際、スロープの手すりに接触する事故を起こした。事故時、運転手と一般の乗客2人の計3人が乗車していた。 当初計画では来年1月15日から26日にも一般市民を乗せて実証実験を実施する予定で、同課は、13日~16日の試験走行の検証結果をみて、運行を再開するか否か検討したいとし、「原因究明結果を真摯に受け止め、再発防止に努めると共に、今回の調査で得られた知見と経験を今後の事業運営に反映し安全な運行の確立に取り組んいく」としている。

どう発信しどう対処? 一部誤情報と共にSNSで拡散 中学校の不審者情報

つくば つくば市内の中学校が作成した不審者情報が、一部誤情報と共にSNSに投稿され拡散した。教育委員会事務局の同市教育局は、保護者の間に不安を引き起こしているなどとして不審者情報を一部修正し再度、保護者に通知した。SNS時代に、どう発信し、どのように対処すべきなのだろうか。 不審者情報は、11月5日、同市内で、女子中学生が自転車で登校途中、年齢20~30代くらいの外国人風の男性3人が乗る車が停車しているのを確認、そのうち2人が降りてきて女子中学生に近寄り、車が自転車に横付けされたが、近くを通りがかった人が中学生に声を掛け、男性らは車に乗ってその場を立ち去ったーなどの内容。この情報は、スマートフォンアプリを使ったデジタル連絡ツールで翌6日、周辺の各学校から保護者に文字情報で伝えられた。 同月18日、今回の不審者情報が匿名でSNSに投稿された。「誘拐未遂事件が発生」と一部事実でない投稿文が書かれ、中学校が作成した「不審者情報連絡票」の画像が添えられた。連絡票は、学校や市教育局など関係部署間でやりとりするための内部文書だった。連絡票に書かれた情報は、6日に保護者に伝えられた文字情報と同じ。 外国人差別のコメントも SNSでは「外国人による女子中学生誘拐未遂事件」という誤情報の形で拡散した。投稿に対し、外国人に対する差別や偏見とみられるコメントも書き込まれた。SNSでの拡散後、市教育局には保護者や市民から数件、問い合わせがあった。 こうした事態を受けて同市教育局学び推進課は2日後の20日付で、今回の不審者情報の正確な経緯と児童生徒の安全確保の対応について、改めて保護者に通知した。SNSで拡散された内容の一部に誤りがあること、保護者の間に不安を引き起こしていることを「深く憂慮している」と表明した上で、連絡票に書かれた不審者情報の表現が「いろいろな捉え方をされてしまっている」として、表現を一部修正した。 修正箇所は、連絡票の不審者情報が男性3人を「外国籍」と断定していたのに対し、「外国人風」と修正した。男性らが車で立ち去った経緯を連絡票は「車に乗って逃げ、(生徒は)事なきを得た」と表現していたが「車に乗ってその場を去った。生徒は無事だった」に改めた。 同課の小野尚文 学校教育政策監はSNSで拡散した不審者情報連絡票の画像について「内容自体は外に出してもいい情報だが、公文書なので画像になって拡散されたことはまずい。問題意識をもっている」とし「各学校に公文書の扱いについてもう一度指導を徹底したい」としている。内部資料の画像をだれがどこで撮影し投稿したかは分からないという。 学校が不審者情報を発信する必要性については「不審者情報の発信は子どもの安全を守るためで、二次被害を防ぎ、近隣の学校にも注意喚起するため連絡は迅速に行わなければならない」とし「学校や家庭で、知らない人から声を掛けられるなどがあったら、小さい子なら防犯ブザーを鳴らしたり110番の家に駆け込むといった対応方法を教え、子どもが危ない目に遭わない、安全な行動をとれるような指導につなげている」とした。 保護者「怖い気持ちはある」 今回の不審者情報を学校からのデジタル連絡ツールで確認したという市内に住む高校1年と小学6年の姉妹の母親(39)は「まず、怖いと思った」と語り、SNS上で事実と異なる「外国人による女子中学生誘拐未遂事件」として拡散されていることについて「すべての外国人が悪いわけではないので、よくないこと」と言う一方「実際に外国人風の男性に子どもが声を掛けられることはあるので、怖い気持ちはある」と語った。 受け取る側も冷静に 筑波大 秋山助教 今回の問題について、国籍や移民問題、国際社会などをテーマに研究する筑波大学人文社会系の秋山肇助教に話を聞いた。 公文書の画像が拡散を担保 ―外国人風男性の不審者情報がSNSで投稿されたことについてどう思われますか。 秋山 まず大きな問題点として、最初の「不審者情報連絡票」の画像がどういうプロセスで外部に出たかということがある。そもそも内部文書がSNSにアップされたこと自体が問題だ。SNSに「誘拐未遂事件発生」と投稿されたが、「不審者情報連絡票」とされる画像からは事実と確認できないにもかかわらず、「誘拐未遂事件」がSNS上で独り歩きするのを担保してしまったのが、公文書である連絡票だったと思う。 投稿者の文字情報だけだったら『これって本当?』って思う人がいたかもしれない。連絡票の中身を読めば誘拐未遂事件でないことはわかるはずだが、画像の文章まで読まない人もいる。SNSの投稿文だけを読んで「誘拐未遂事件が起きた」と受け取ってしまう人もいる。 そのため「不審者情報連絡票」とされる画像が投稿されることで、外国人による女子中学生誘拐未遂事件が起きたという話が独り歩きしてしまった。尾びれ背びれが付いて、本当に起きているのか分からないことがSNSで広がる怖さはある。 2点目として、つくば市教育局が一部表現を変えて11月20日に保護者宛に二度目の発信をしたことについては、市教育局が、SNSで拡散した内容の一部に誤解を生む表現があったとして「連絡票」に書かれた不審者情報の表現を書き直している。SNSで投稿されている「連絡票」には「外国籍の男性」と書かれているが、本当に外国籍なのかどうかは、本来パスポートなどを確認しなければわからないため正確ではないと思われる。ただ、その場で緊急で不審者情報を聞き取って内部文書を書く場合は、内容が必ずしも正確でないこともある。しかし保護者などの外部に情報を出す時、内部文書と同じ記載で良かったのかというのがもう一つの論点としてあると思う。 人は負の感情に強く反応 ―SNSの投稿に対するコメントで、「外国人が怖い」といったコメントがありました。外国人差別ではないでしょうか。 秋山 子どもを守る立場にある子育て世代などが、心配事が生じた時に「外国人」に不安を覚えるのは仕方のない一面もあるだろう。子育てをしている状況では、子どもは弱い存在だという前提があるので、親からすると子どもを守らないといけない。子育てをしている状況は余裕がない状況ともいえる。人はリスクがあることから逃げたいもの。子どもを守らないといけないと考える親からすると、外国人にリスクがあると考えたら近づかないというのは、本人にとっては合理的ともいえる。「怖い人」は本来、日本人にも外国人にもいるが、「外国人が怖い」と思っている人に、それが外国人差別だと伝えても理解されるのは難しいかもしれない。しかし社会全体への影響を考えると望ましくないだろう。 人は負の感情に強く反応し、「怖い」という気持ちに強く反応してしまうことも認識しておくことが大切だ。「外国人が怖い」というネガティブな感情がある人に「差別すべきではない」といった「べき論」は効果的とはいえない。強い負の感情が拡散しやすいのはSNSの特徴でもある。 ―では「外国人が怖い」という人にはどう対応すればいいのしょうか。 秋山 次の論点になるのは、子どもたちを守るために何が必要なのかということ。外国人でも怖いことをする人はいるが、日本人であっても怖いことをする人はいる。ただ、どういう人が怖いことをするかは現実的に明らかにするのは困難なので、「外国人が怖い」というラベルを貼るのは、恐怖から逃れようとすると合理的かもしれない。そんな中で、外国人が怖いと思っている人に「差別だ」と言ってしまうと、こうした人たちは恐怖からの逃げ場がなくなってしまう。ただ「外国人が怖い」という言葉の「外国人」には、犯罪を犯さない外国人も含まれている。それでいいのか、きちんと考える必要がある。 ではどうすればいいのかということになるが、情報を出す側が誤解のない情報を提供すること、情報を受け取る側が情報をうのみにせずにその正確性を考えることが大切だ。情報を受け取る側は、外国人かどうかに限らず、「怖い」という情報には尾びれ背びれが付くことがあると認識した上で、情報に接する際は「本当は違うかもしれない」という視点を持つことが必要だ。だから、情報を出す側も慎重であるべきだが、受け取る側も、これはどういう情報なのか、冷静に考えなくてはいけない。(伊藤悦子)