木曜日, 2月 5, 2026
ホームつくば【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。

【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。

つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。

グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2

地域おこしのさなかに起きた

「私は浪江の人に育てられたんです」

千葉県柏市出身の原田さんは、結婚を機に福島県浪江町に移住した。妻・葉子さん(44)の実家は浪江で3代続く「原田時計店」。1925年に開業し、時計や眼鏡、貴金属などを扱う地域に根ざした老舗の商店だ。原田さんは千葉県の大学を卒業後、当時交際していた葉子さんの実家の家業を継ぐため、専門学校で認定眼鏡士の資格を取り、眼鏡部門を担当した。

葉子さんは2人姉妹の長女。将来は福島に行くのかなという思いはあったし、浪江ののんびりした雰囲気も気に入っていた。

浪江では生活に慣れるまで時間がかかった。当初は友人もなく、新しい仕事に忙殺され「ほとんど引きこもり状態」だった。「人との距離が近く、横の繋がりが不可欠」な浪江の社会にも馴染めなかった。

「外で静かに飲もうとしても、必ず知り合いに会って話し掛けられる。それが苦手でした。でも、その距離感が心地よくなっていきました」

誰もが見知る地域だからこその信頼感、互いを気遣う「持ちつ持たれつ」の暮らしに、原田さんは次第に「安心感」を覚えた。その後、地元消防団、商工会に入り、会合や祭りに積極的に参加した。

震災前の浪江は、日本中の地方同様、後継者不足に直面する事業者が少なくなかった。こうした中、若い世代が手を取り合い「子どもたちが住みたいと思える、いきいきした街づくり」に動き出していた。その輪に原田さんは積極的に参加し「よそ者」から浪江の一員になっていく。夜は仲間と飲みつつ街の将来を語り合い、地域おこしに取り組んだ。震災は、そんな充実した日々の中で起きた。

故郷の味が仲間をつなぎとめた

その日、店で卸業者の応対をしていると、突然揺れた。店の窓が割れ、ものが散乱した。直後に流れた津波警報。原田さんは家族と高台に避難し車で夜を明かす。翌朝、片付けのため店に戻ると、今度は原発事故による避難指示。落ち着く間もなく店を出た。

隣町の親戚宅に滞在中、福島第1原発1号機が爆発し浪江に戻れなくなった。その後、避難所や親戚宅など、つくばにたどり着くまで県内外5カ所を移動した。

原田さんが浪江商工会青年部長に就任したのは、震災直後の4月。前年に決まっていたことだった。東京の都営住宅に移ったばかりで自身も混乱の中にいた。原田さんはこう考えた。

「『よそ者』の自分は、浪江が故郷の仲間に比べ気持ちに余裕がある。自分だからできることがある」

震災前に購入したスマートフォンで避難者に有益な情報を収集し発信、仲間の安否確認をした。さらに原田さんは青年部の仲間と、名物「浪江焼きそば」を各地に散らばる避難所で振る舞い、被災者の「心の復興」に取り組んだ。避難所で焼きそばを作ると、故郷の味に浪江の人たちが涙を流したのがきっかけだった。活動はバラバラになった仲間をつなぎ止めるためでもあった。浪江の暮らしは地域のつながりがあってこそ。そこから2年、仲間と各地のイベントで焼きそばを作り、メディアでの情報発信に力を注ぐ。

そのころ浪江町民の中で、町外に住民がまとまり暮らせる「代替地」の用意を町長に求める声が上がった。だが、将来的に町への帰還を考える町長と思いは一致しなかった。

「帰るのは無理だと思い始めました。40歳を超え、新しい土地で何かを始めるなら体力のあるうちに動きたかった。県外も考えたいと社長である義父に相談すると、承諾してくれました」

福島での事業再開を望んでいた義父が、原田さんの希望を受け入れた。

愛された浪江の店がお手本

浪江の知人につくばを紹介された。

「つくばは開発中のこれからの街。一目ぼれでした。郊外に広がる山と田畑が浪江に似ていました。ここでやろうと覚悟を決めました」

消防や青年部の仲間に思いを伝えると、励ましの言葉が返ってきた。

浪江の原田時計店から運び込んだ柱時計

新しいお店は「1歳からお年寄りまで来られる眼鏡店」がコンセプト。時間をかけてお客さんの声を聞き、その人にとって最適な眼鏡を決めていく。お客さんがゆっくり過ごせるよう、子どもが遊べるスペースも用意した。住民に愛された浪江の店がお手本だ。店内にある柱時計と壁時計は浪江の店から運び込んだ。「原田時計店」の原点を引き継ぐ。義父は現在、福島県二本松市に同名の店舗を構える。つくばはその支店にあたる。

「私にとって故郷は『人』です。生まれ育った柏でも、浪江でも、私は人に育てられました。特に浪江では、社会人としてたくさんのことを教えられました。つくばでは、地域の方と一緒に育っていけたらと思っています」

原田さんは現在、妻の葉子さん、8歳になる長男と暮らしている。

「息子は浪江焼きそばが好きなんです。まだ小さいので震災のことは話してません。でも、『これ、お父さんとお母さんが住んでたとこの食べものだよ』って伝えてます」

原田時計店は2025年に100周年を迎える。つくばの街で、人の縁と歴史をつないでいく。

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ふるさとのない時代《くずかごの唄》154

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消費期限切れ食品を冷凍自販機で販売 つくばまちなかデザイン

保健所が販売停止を指導 つくば市のまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(つくば市吾妻、内山博文社長)が設置、管理する冷凍食品自動販売機で、1月9日から14日までの間、消費期限切れの食品が販売されていたことが分かった。つくば保健所の指導を受けた同社は、該当食品の販売を17日から停止し、現在までに同自販機による全食品の販売を停止している。 同社は購入者に対し返金対応を行うとしているが、同社による事態の告知は自販機への貼り紙と、冷凍食品製造事業者を含む飲食店経営者による有志グループ「旨がっぺTSUKUBA(つくば)」のインスタグラムとフェイスブックなどに限られ、つくば市が出資する第3セクターとしての説明責任が問われる。 販売が停止された自販機は、つくば駅前のつくばセンター広場ペデストリアンデッキ上に設置されている。同社がSNSと自販機に掲示した「お知らせ」によると、販売された消費期限切れの食品は「8大アレルゲンフリー 米粉の焼き菓子おまかせ3点セット」。1月9日、12日、14日の3日間に計4点が購入されていたことが確認されている。消費期限は、購入された時で最大で1週間が過ぎていた。その他に、消費期限が最短で1日以内だった1月1日と6日に購入された2点についても返金するとしている。 コロナ禍発 同自販機が設置されたのは2023年。つくばまちなかデザインが、市内などの飲食店経営者などによる有志グループ「旨がっぺTSUKUBA」とともに立ち上げた実行委員会のプロジェクトとして設置した。同グループは、コロナ禍による外出自粛が呼び掛けられた2020年に、県内飲食店のテイクアウト情報をフェイスブックで発信していた活動を母体としている。冷凍自販機設置に際して同実行委は、PR費用などに充てるとしてクラウドファンディングを実施し、46人の支援者から56万9590円を集めた。 告知は貼り紙と飲食店グループのSNSのみ 消費期限切れ食品の販売が発覚したのは1月17日。まちなかデザインは同日、「旨がっぺTSUKUBA」のインスタグラムとフェイスブックに掲載した同社名義の「消費期限切れ商品の販売に関するお詫びとお知らせ」で、問題が起きた経緯について「弊社による商品管理不足とコミュニケーションの不調」によるなどと説明し、返金対応を行うとした。同時に、自販機に貼り紙を貼り、購入者に連絡を呼び掛けている。一方で、食品の自販機の設置者であり、商品の管理責任を負うまちなかデザイン自身の公式ホームページや、会社のSNSアカウントでは、2月2日時点で、消費者に対する説明や購入者への呼び掛けは行われていない。 社長「大きな問題は起きてない」 取材に対して同社の内山社長は、今回の経緯について、「旨がっぺTSUKUBA」のSNSに公表した文書を念頭に、「あそこに書いてあることが全て」とし、「体調が悪くなったなど、特段、消費者から問い合わせもなく、大きな問題が起きているということはない。問題等があれば、しっかり発表する」と述べ、問題発生に関する詳細な経緯の説明を避けた。 また、市民からの疑問と不安の声を受けて取材を始めたことを伝えると、「『市民の方から』と言えば、なんでも話さなければいけないのか。その方から直接問い合わせをいただければ、私どもも真摯(しんし)に対応する」と述べた。今後については「保健所の指導を受けながら、誰の責任で、どう行うべきか考えていきたい。再開については、はっきりした段階でお伝えしたい」とした。 複数業務兼ね管理行き届かず つくば保健所によると、保健所が事態を把握したのは、問題が発覚してから2日後の19日。問題となった冷凍自販機に食品を納入している業者からの通報がきっかけだった。この時点で該当食品の販売は停止されていたが、まちなかデザインから保健所への連絡はなかった。そのため保健所は同日、同社に電話連絡し、同社が保健所を訪問。保健所は食品衛生法に基づき、施設の衛生管理状況や取扱者の衛生教育などを評価する「食品衛生監視指導表」を交付し、事態改善に向けた指導を同社に対して行っている。 同保健所は「自販機の設置者であるつくばまちなかデザインが、納入された商品の管理と自販機への補充を行ってきた」と、設置だけでなく、商品管理もまちなかデザインが担っていたとした上で、問題が起きた経緯については「自販機販売の担当者が、他の複数業務を兼ねていた。人手不足の中で、商品管理が行き届かず、期限切れの商品が販売された」と原因や背景を分析する。 今後、まちなかデザインから提出される改善案を見た上で、改善措置が図られたと判断した段階で、販売再開が可能になるとしている。 今回の「消費期限切れ」について保健所は「食品表示法により、健康被害の恐れから消費期限が切れた商品を販売することはできない。期限が切れた食品は、もう食べられない状態」にあるとし、厳格な管理が必要との認識を示した。一方で、今回販売されたのが冷凍食品であることから重大な健康被害に直結しにくいとの見方を示し、より期限に猶予期間のある「賞味期限」表示が適切だった可能性にも言及した。 市がどう考えているか知りたい  今回販売された焼き菓子をこれまでたびたび購入してきたという、ブックカフェ「本と喫茶サッフォー」(同市天久保)を経営する山田亜紀子さんは「丁寧に作られていて、安心して食べられるお菓子。美味しくて、好きで食べていた」と話し、自身も食品販売に携わる立場から「食品管理は食中毒を出せば営業できなくなり、経営に直結する問題。一番気を使う部分だ」と指摘する。 さらに「自販機は市民以外も含め誰でも購入できる場所にある。本来、安全を最優先しなければならないはずなのに、食べ物をずさんに扱っている印象を受ける」と不安を口にした。さらに「こうした会社に市が税金を出資している。市としてどう考えているのか知りたい」と話した。 市と会社に説明責任ある これまで市議会でたびたび同社の経営状況や将来負担などについて質問してきた山中真弓市議は「市は、まちなかデザインに6000万円を出資し、指定管理者に指定して、自販機が設置されている場所を含むつくばセンター広場の管理を任せている。市民の税金が投入されている以上、同社は市民に対して問題を説明する責任がある」と指摘する。 その上で、「自販機が設置されている場所は市の土地であり、市職員が同社の取締役に入っている。市が無関係とは言えない」とし、「市にも、市民に対して説明する責任がある。また、まちなかデザインが食品を扱うノウハウがあるのか、確認する必要がある」と述べた。 市は保健所に委ねる姿勢 一方、つくばまちなかデザインを担当する同市学園地区市街地振興課は今回の件について「(まちなかデザインは)保健所の指導に従ってもらいたい」との認識を示すにとどまっている。(柴田大輔)

人の意見を聞く勇気《続・気軽にSOS》169

【コラム・浅井和幸】言葉は、その発する人の思いを相手に伝えるための道具です。そして、その言葉を受け取る人の解釈によって意味が変わることがあります。さらに、その人が相手に伝えるときに使われて、会話が成立します。 「白くてふわふわしている」という言葉も、発信した人と受け取った人とが思い浮かべるものが全く同じであることはほとんどないでしょう。経験も、その時の気分も、何を優先順位とするかも違う、それぞれの人生を生きているのですから。 相手との違いが分かっていると、より分かってもらおうと発信側も工夫するものです。違うことが分かっていると、より分かろうと受け取る側も考えます。初めて会う、違う文化の人には、ていねいなコミュニケーションを取ろうとするものです。 以前、学者の方から笑い話で聞いたことがありますが、世界各国から研究者が集まる学会などで、たどたどしい英語でコミュニケーションをとっているときは気持ちが通じ合う感覚があるのに、長年連れ添った妻とは同じ日本語で話をしているにもかかわらず、お互いが相手の言っていることが分からなくなることがある、と。 ていねいな対話とか情報交換 私たちは、関係性の距離によって、コミュニケーションがていねいになったり、雑になったりします。もちろん、ある程度お互いの癖が分かっているのに、ていねい過ぎるやり取りは無駄な時間を使います。簡単にした方がよいこともあるでしょう。 うまくいっているときは、コミュニケーションは端折(はしょ)ってもよいと思います。しかし、コミュニケーションがうまくいかないときは、自分の言いたいことを分かってと我を通すだけでなく、ていねいな対話とか情報交換が必要になります。 意外なことではありますが、ケンカをしている両者が実は目的や希望が相反することでないことは多いものです。それどころか、同じであることも珍しいことではありません。ケンカしている相手の言葉は聞きたくないでしょうが、相手の話したいことを理解することから始めましょう。(精神保健福祉士)