【コラム・斉藤裕之】昨年の暮れに友人からゴルフ練習場の看板を作り直してくれと頼まれた。材料はいわゆるツーバイフォーという木材。ちなみにこのツーバイフォー、実際には2インチ×4インチではない。これは製材前の寸法だそうだが、仕上がり寸法、つまり売っているサイズは1センチほども違う。
ついでに、長さの単位はフィートだ。1フィートは約30センチで1尺に近いが、なぜかそれの12分の1が1インチだ。十進法と十二進法が混在していて面倒くさい、と思っていたら、日本のモジュールも6尺で1間という同様にひねくれた単位である。
もひとつついでに、多くの住宅はこの尺という単位でできているが、我が家はメーターモジュールで建ててある。例えば、母は150センチそこそこの背丈だったと思うが、カミさんは165センチ。予想していたわけではないが、我が家の女性3人は165センチを超え、流しに3人並ぶ後ろ姿は戦前なら大女たちのシルエットに違いない。
長さの単位はヒトの体が元になっているのだろうから、流しの高さを従来よりも10センチ高くして、すなわち尺からセンチに変えたのも必然だったのかもしれない。
「趣味は軽トラの方を少々…」
さて、訪れたホームセンターの棚には、残り物のようなひん曲がった材料しかない。業界用語で板が曲がったり反ったりすることを「あばれる」と言い、「ケヤキはあばれっぺよ」なんて使う。(同じような状態を表す「ひわる」を普通に使っていたのだが、広島や山口の方言だと気づいたのは何年も前ではない)
次の入荷を待っていると年を越してしまいそうなので、仕方なく、あばれた劣等生たちをゴルフ場で借りた軽トラに積んだ。看板は3メートル×2メートルほどの大きさなのだが、文字をコンビニで拡大コピーし、カーボン紙を挟んで写し取り、ペンキで書いていくという超ローテク作業。あばれた板をいろんな道具で締め付けて、だましながら(平らにしながら)なんとか書き終えた。
コロナ禍で「看板を下ろす」いう言葉を耳にする。実は看板作りを依頼してきたのは大学の後輩で、美術の道を歩んできたのだが、訳あって家業の「看板を継ぐ」ことになった。幸いにも「打ちっぱなし業」はコロナ禍で繁盛しているそうだが。
その後、松くい虫にやられた木を一本倒してくれと頼まれて、その赤松の残骸を持ち帰るときに決めた。「おら、軽トラを買うだ!」と。「趣味は何ですか?」という質問に答えるのにいつも窮していたから、これからは「趣味は軽トラの方を少々…」と言おう。軽自動車といえば昔は360cc。つまり2合。車も当時は尺貫法で作っていたのか?
結局、出来上がった看板は、友人の手伝いで年内に無事取り付けることができた。ところで、近い将来、車も電気屋さんが看板を引き継ぐことになるのだろうか。ともかく私が軽トラでさっそうと現れる日もそう遠くない。果たしてその看板は、「何でも屋」? 「焼き芋屋」? 「ピザ屋」? 野望は膨らむ。(画家)