金曜日, 4月 4, 2025
ホームスポーツ常総学院、センバツ出場決める 5年ぶり10度目

常総学院、センバツ出場決める 5年ぶり10度目

【伊達康】第93回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が29日、大阪市の毎日新聞社大阪本社でオンラインで開かれ、関東・東京地区から土浦市の常総学院が選ばれた。5年ぶり10度目の出場。組み合わせ抽選会は2月23日。大会は3月19日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕する。

常総学院は昨秋の関東大会で準優勝し、選出は確実視されていた。午後3時45分過ぎに朗報がもたらされると、島田直也監督(50)は「関東代表として気を引き締めてこれからも練習していきたい」と目尻にしわを寄せながら満面の笑みで語った。

主将の田邊広大は「(センバツ出場は)『当確』として練習してきた。正式に決まったということで、素直にうれしい。今日からまた全員で頑張りたい。自分たちが出来る最高のプレーをしたい」と意気込みを語った。

センバツ出場の報を受け取った坂田英一校長=土浦市中村西根、常総学院高

常総学院は昨秋の県大会で鹿島学園に競り負け準優勝となったが、関東大会では1回戦で前橋商(群馬2位)に9-0で7回コールド勝ち。準々決勝は優勝候補と目された木更津総合(千葉1位)を終盤に突き放して9-1と快勝すると、準決勝で東海大甲府(山梨1位)を10-0の6回コールドで退けた。

決勝は連覇を狙う健大高崎(群馬1位)に8回までリードを奪ったが2本のホームランを浴びて延長11回の激闘の末に7-9で敗れ準優勝。圧倒的な強打と高い投手力ががっちりかみ合って関東4枠に入ったことから選抜大会出場が確実視されていた。

「関東代表として気を引き締めて練習していきたい」と島田監督

島田監督は、昨年亡くなった名将木内幸男元監督のもとで1987年の甲子園に春夏出場、夏には準優勝投手となった。プロを経て昨年、学生野球の指導資格を回復し、同校の投手コーチから昨年7月に監督就任、最初のチャレンジで名門復活の手がかりをつかんだ。

2年生の二枚看板

エース右腕の秋本璃空は176センチ80キロの分厚い体躯から最速145キロのストレートと切れ味鋭いスライダーで打者に真っ向勝負を挑む。

県大会は1回戦に1失点完投、2回戦はエンジンのかからない打線を尻目に11奪三振1-0完封と完璧な投球内容でチームを牽引した。準々決勝はリリーフ登板し4回無失点。関東大会出場をかけた準決勝の藤代戦は初回に2点を失ったがその後は持ち直し、大川への継投で関東大会をたぐり寄せた。関東大会では健大打線には捕まったものの、準決勝までの3試合は防御率0点台と抜群の安定感を誇りベンチの信頼も厚い。

2番手格の大川慈英は176センチ70キロとスリムな体格から、秋本をしのぐ最速146キロのとてつもないボールをテンポよく低めに集める。

県大会準決勝の藤代戦は9回に連打から一死一、二塁のピンチを背負ったが145キロのストレートを連発して後続を断った。関東大会では準決勝の東海大甲府戦で先発登板し7イニングを投げ被安打3、自責点1。スピードの割には奪三振数が少ないが、一冬越えて迎える選抜では150キロの大台も期待できる逸材だ。母はバレーボール元日本代表で1996年アトランタ五輪に出場した鳥居千穂さん。身体能力は折り紙付きだ。

3番手格の左腕・伊藤地宏(1年)は130キロ前後のストレートと緩い変化球で打たせてとるスタイルで試合を作る。中学1年の時にはカル・リプケンU-12世界少年野球大会日本代表に選ばれた。

関東大会で打線に自信

打線は県大会で当たりが少なかったことから、関東大会で打順を入れ替えて臨んだ。結果的にこれが見事にはまり、関東大会のチーム打率は.388を誇る。

下級生時代から上位打者兼遊撃手として野手の中心を任されていた不動の3番・三輪拓未が長打も小技もこなし、状況に応じたバッティングでチームで支えるプロ注目の遊撃手。絶品の守備に注目だ。県大会で5番に入っていた185センチの長身の左打ち・宮原一綺は出塁率の高さを買われて関東大会から1番に固定された。大柄ながら器用に逆方向に弾き返し首脳陣の期待に見事に応えた。

4番に座る青木良弘は171センチ78キロと中軸にしては少々小柄で近年の常総の中軸と比較しても1発長打は少ないが、ボールを懐深く呼び込んで右中間にしぶとく返す技術に優れており、ピッチャーにとって嫌らしい打者だ。

6番捕手の田邊広大はシュアな打撃が持ち味。上位と遜色のない鋭い打球でセンター方向中心にはじき返す。捕手としても関東大会で名を上げた。二塁送球1.8秒台の強肩でピッチャー陣を盛り立てる。

中村蒼は9番ながら一発長打の怖さがある。大一番の木更津総合戦では先制の2点タイムリーツーベースを放ちその後も波に乗った。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

家族行事のおはなし《ことばのおはなし》80

【コラム・山口絹記】久しぶりに家族でいちご狩りに行った。我が家ではこの10年、いちご狩りはほぼ毎年の家族行事のようなものになっているのだが、昨年は私がバタバタして行けなかったのだ(知らないうちに私抜きで行った可能性はある)。 つくばに暮らすようになって最初の数年は、いちご狩りができるところをいろいろと巡っていたのだが、ある時からふとしたご縁で同じ農場に通うようになった。毎年同じところを家族で訪れる、同じことをする、というのは、案外悪くないものである。 この10年ほどを思い返してみると、張り切って遠方に旅行したりするよりも、ただなんとなく毎年やっていることの方が記憶に根付いていたりすることに気が付いた。別に記憶に留めておきたくてやっているわけではないのだが、結果的にそうなった、という感じなのだ。 娘のおひな様を出したり片付けたりするのを忘れる程度の人間なので、あまり偉そうなことは言えないのだが、本来の家族行事もそういった意味もあるのかもしれない。 ただなんとなくいちご狩りに いちごでおなかがいっぱいになってしまったので、妻と一緒にベンチに腰掛けた。また寒い日が続いているが、温室の中は暖かくて居心地がよい。油断すると満腹なのも手伝って気を失いそうになる。 息子はいちご狩りに飽きたのか、ヘタを入れる紙コップと食べかけのいちごを私に手渡すと、有り余る体力を消耗するためだけに駆けだす。それを追って娘も、いちごの間を駆けていく。息子の食べかけのいちごを食べながら、駆け回るこどもたちをぼんやり眺めていた。来年もまた、ただなんとなくいちご狩りに来られたらいいと思う。(言語研究者)

児童、生徒の増加に対応 新 桜給食センターが開所 つくば

10日から6600食を提供 つくば市天久保に桜学校給食センターが開所し、3日、同センターで開所式が開かれた。つくば市では近年の児童・生徒数の増加と、既存施設の老朽化に対応するため新しい学校給食センターの設置が急がれていた。 2020年3月に閉鎖された旧・桜学校給食センターの跡地に新設された。建物は、鉄骨造2階建、建築面積3350平方メートル、延べ床面積3948平方メートル、総工費は約37億円、従業員は約70人。4月10日から市内の幼稚園4園、小学校9校、中学校3校へ約6600食の給食提供が始まる。同センターではアレルギーに対応した給食を含む、1日あたり最大で7000食の調理が可能だ。 環境に配慮した持続可能な給食センターを目指すとし、施設内での排熱利用や発電システムを設置した。都市ガスを使って発電するガスコージェネレーションシステムでは、発電した電気を施設内の照明等に使用し、発電時に発生した熱はお湯などの熱源に利用する。排熱の回収量は年間約3万600キロワットアワー、発電量は年間6万7200キロワットアワーとなる計画で、停電時の電力としても利用される。屋上には太陽熱給油システム用の発電パネル36枚を設置し、食器洗浄用に使われるお湯に必要な熱量の90%をつくり出す。学校から戻ってきた残飯は粉砕し水切りし、3分の1から5分の1程度に減量して、調理過程で出る野菜くずとともに生ごみ処理機で分解される。建物2階には、1階の作業を見学できる見学室や展示スペースが用意され、食育にも力を注ぐという。 式典のあいさつで五十嵐立青市長は「次の世代に胸を張れる施設をつくろうと取り組んできた。この場所からつくばの新しい給食の形が始まると思っている」と話し、森田充教育長は「給食の時間は友情を深める大切な時間。給食は生きた教材、学びができる時間でもある。工夫をしたセンターを知ることも大事ですし、地元から調達される食材もあるので、食材についても学んでほしい。生産者との交流も学校を通じてしてほしい。食を通じて子供たちの豊かな感性、しっかりした心身が育っていけたら」と述べた。 4月から桜学校給食センターの運営を受託した東洋食品(東京都台東区)の荻久保瑞穂専務は「市内の人口増加、学校新設に伴い新設されたセンターへの市民の皆さんの期待の大きさを感じている。これまで58年間、食中毒ゼロでやってきた私たちの経験をもとに、子どもたちに毎日の給食を楽しみにしてもらえるよう、地元の食材を使用したものなどいろいろな献立に対応していきたい。気持ちを込めて調理した給食をしっかり食べてもらい、心も体も健やかに成長してもらえたら」と語った。 つくば市では、筑波学校給食センター(つくば市神郡)が開所から20年、茎崎学校給食センター(同市小茎)が40年以上経過し施設が老朽化するなどしている。市内では2014年につくばすこやか給食センター豊里(同市高野)、20年にはつくばほがらか給食センター谷田部(同市藤本)が、それぞれ開所した。茎崎学校給食センターは今年3月で閉鎖し、4月からは新しく開所した桜学校給食センターを含む4施設で学校給食を提供する。つくば市の給食提供の総数は1日あたり約2万6000食。4つの給食センターで最大約3万食を提供できる。(柴田大輔)

さよなら牛乳瓶《くずかごの唄》148

【コラム・奥井登美子】配達の牛乳屋さんから、「牛乳瓶が無くなって、ポリ瓶になります」という通知。森永乳業系は昨年から、明治乳業系は4月から瓶が消える。牛乳瓶を手でなでながら、なぜか涙が出てしまった。 東京の新富町で生まれて育った私の父は、近所にあった芥川龍之介の実家の牛乳屋へ、毎日、瓶の牛乳を買いに行ったという。近藤信行さんが山梨文学館の館長のとき、芥川龍之介展に誘われて行ってみたら、龍之介の小学生時代の手書きポスターに「牛乳を飲みましょう」というのがあって、皆で大笑いした。 102年前の関東大震災で家が焼け、我が家は新富町から郊外の荻窪に引っ越した。当時の荻窪は、震災で焼け出された人達にとって、とてもよい住宅地だった。 子供好きの父は、慶應の学生時代から近所の子供たちを集め、絵本を読んだり、水泳をしたりしていたらしい。母は震災の中、芝公園で兄を出産し、震災ノイローゼ。母の実家も焼け、6人の弟(斎藤茂吉の家に書生として入りアララギ派に貢献した小暮政次も弟の1人)たちを残して母親が亡くなり、精神的にも不安定で、なかなか子供が出来なかったらしい。 10年目に私が生まれてホッとしたらしく、次に妹、次に弟(加藤尚武元京都大学教授=環境倫理学)と、立て続けに出産している。私は1歳のとき、ジフテリアにかかって緊急入院。命は何とか取り留めたものの、ジフテリアの後遺症で喉が弱く、痛くて何も食べられないとき、父が作った牛乳ごはん(堅く炊いたご飯に牛乳を入れたおかゆ)が唯一の食べ物だった。 牛乳ごはんが私の常食 荻窪の家の隣にはノラクロ漫画の田河水泡氏のアトリエがあったが、父は、同じ荻窪区域内で、私を助けてくれた小児科勤務医の飯島先生の隣に引っ越してしまった。 夜中、私が40度近くの熱を出すと、父は私を抱いてタクシーを呼ぶ。飯島先生も乗って新宿の淀橋病院に行く。2~3日入院して、熱が下がったら帰る。その繰り返しだった。家に帰って来てからも喉が痛く、牛乳ごはんが私の常食だった。 土浦に嫁いで来て、私を救ってくれた飯島先生が牛久の飯島家出身ということを知り、びっくりした。龍之介の実家以来、牛乳瓶は私の食のシンボルだったのである。(随筆家、薬剤師)

29年春に「まち開き」 研究学園駅南の大規模開発 大和ハウス工業

6月の本格着工前に安全祈願 大和ハウス工業(本社・大阪市)は、つくばエクスプレス(TX)研究学園駅の南側隣接地(つくば市学園南2丁目)で進めている大規模複合開発「つくば学園南プロジェクト」の本格着工を前に2日、総面積15.5ヘクタールの用地内で安全祈願祭を行った。本格工事は6月から始まり、2029年春に「まち開き」を予定している。 同用地は日本自動車研究所(JARI)が保有していたが、23年12月、大和ハウスが142億円で取得した。同社によると、総戸数602戸の分譲マンションのほか、中高一貫校「茗渓学園」や学習塾「思学舎グループ」などの教育施設、スーパーマーケット「カスミ」などの商業施設、研究機関などの事業施設が入る。開発費は総額650億円。 全用地の3割は茗渓学園 研究学園駅から徒歩9分の場所に建つ分譲マンションは地上15階建て。6月に着工し、27年7月完成の予定。間取りは2LDK~4LDKから成り、ワーキングルーム、パーティーラウンジ、筑波山が望める屋上デッキなどの共用エリアを設ける。 開発の目玉は、旧東京教育大や筑波大学のOB組織「茗渓会」が経営する茗渓学園(つくば市稲荷前)が移転してくること。大和ハウスは同学園誘致のために、全敷地の28%に相当する4.3ヘクタールを確保した。同学園は帰国子女や留学生が多く、国際色が強いのが特徴。26年夏から新校舎建設に入り、学園創立50周年に当たる29年の春に新校舎に移る。 中央に3000平米の広場 安全祈願の神事が終わった後、五十嵐立青つくば市長の祝辞のほか、大和ハウスの村田誉之副社長、八友明彦茨城支店長、茗渓学園の宮崎淳校長・理事から説明があった。五十嵐市長は「市内の駅前に、このようにまとまった土地は残されていない。しかも、15.5ヘクタールと広く、人気がある研究学園駅から徒歩圏。この開発は駅南だけでなく、市全体のまちづくりにつながる」と、歓迎した。 大和ハウス側は「この規模の複合施設開発は当社でも最大規模。弊社、つくば市、筑波大学の産官学で開発し、29年春にオープンしたい」(村田副社長)、「商業施設と茗渓学園の間に3000平方メートルの広場を設ける。市民が集う場所として利用してもらいたい」(八友茨城支店長)などと述べた。 宮崎校長は「私学の良否を決めるのは、クオリティ(学校の質)、コスト(授業の経費)、アクセス(通学の利便性)の3つだが、新学園は駅から徒歩5分のところに位置し、アクセスは申し分ない。移転情報がすでに広く伝わり、これまで1500人で推移してきた学生数が最近では1600人に増えた。これを機に寄宿舎の収容力を増やし、1室2人から個室にする。学内の設備も大学並みに整える」と、意欲を見せた。(坂本栄)