金曜日, 1月 22, 2021
ホーム コラム 《くずかごの唄》76 人と人の出会いが膨らんでつながる

《くずかごの唄》76 人と人の出会いが膨らんでつながる

【コラム・奥井登美子】上野桜木にあった東京薬科大学女子部1年生。アイウエオ順で、加藤(私の旧姓)、川上さん、京極さんの3人は、実験も席も1年間一緒だった。京極さんは東大の薬学を受験して転校してしまった。この人たちと、結婚も、自然保護も、人生の大きな転機で関わりを持つことになるとは、その時はわからなかった。

近くの東大から若い先生がたくさん講師に来てくれていた。コーラス部をつくりたいけれど、女声が足りないという。そこで20人近くの薬科大女子部の学友が東大コーラス部の立ち上げに参加した。東大生だった宇井純さんと綿貫礼子さんが出会ったのも、このコーラスがきっかけだったという。後で、そのいきさつを聞いて3人で大笑いした。

化学は、まだ英語よりもドイツ語が必要な時代だった。私はドイツ語の中山久先生の課外授業「ゲーテのファウスト」が面白くてトリコになった。高校生の弟、加藤尚武が聞きにいきたいという。中山先生が両国高校の大先輩だったせいか、課外とはいえ、男子高校生が入り込むことを許してくれた。尚武は哲学者となり、昨年12月に「環境倫理学のすすめ」と増補版の2冊を丸善書店から発刊している。

「土浦の自然を守る会」で宇井純さん講演

私は薬剤師になることよりも、絵画の修復に興味を抱き、その基礎を学び始めていた。しばらくして、奥井清との結婚話が持ちあがった。偶然、京極さんと同じ製薬会社の研究所へ同時入社した3人の1人だ。彼女は一緒に入社したもう1人の森田氏が好きだったらしい。「1人で山登りばかりしている。3男なので気楽でいいわよ。彼ならあなたの好きなことなんでもやらせてくれるわ、結婚しちゃいなさいよ」

兄の奥井誠一先生の説得もあって、私たちは1958年に結婚し、東京へ戻る予定を立てながらも土浦に住むことになった。

1970年、宇井純さんは東大工学部で自主講座を開き、日本の環境問題に市民が参加する扉を開いてくれた。1971年、霞ケ浦の水質浄化を目的に、医師の佐賀純一氏が中心となって「土浦の自然を守る会」を結成。森田氏と結婚し、「多摩川の自然を守る会」を立ち上げ、市民の力でさまざまな調査を始めた森田(旧姓・京極)さんから、自然保護の貴重なアドバイスを受けた。

霞ケ浦の流入河川は56本。市民の手で56本の200カ所の水質調査をすることになり、発会式では、宇井純さんが自主講座の学生さんたちを連れて参加講演してくれた。宇井さんの父上は古河の出身。土浦の高校の先生で、彼も3歳まで土浦で育ったという。人の和が輪となって膨らんで、環境問題につながっていく。(随筆家、薬剤師)

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
0
コメントお待ちしてますx
()
x