【コラム・斉藤裕之】先日新聞を読んでいて目に留まったのは、最低賃金の算出にアイロン代を入れるべきか否かという議論。つまり、働くためには最低限シワのないシャツが必要だというお話。この一見バカバカしいとも思える話はコロナとも無関係ではなく、営業悪化のツケは結局非正規の社員やアルバイトに回ってくるということらしい。
お手てのシワと違って、シャツのシワを合わせてもシワヨセがくるということだ。例えば、フランスの銀行にはスーツを着てないどころかラフな格好にピアス姿のあんちゃんが普通に窓口にいる。日本人の清潔感や礼儀正しさは美徳だと思うけれど、少しばかり過包装に感じることもある。
学校や会社での面接でも、きちんとしているから優秀とも限らない。リクルートスーツなんてのも、考え直した方がいい。ちなみに、おカネがなくてヨレヨレのシャツを子供に指摘された経験を持つ私としては、「シャツにシワあるのは自然素材を着ている証!」という詭(き)弁?でごまかしてきたのだが…。
このごろやっと世間が追い付いてきたようで、つまりあれだ! SDGsとか言っている人はまず地球にやさしくないクリーニングやアイロンはやめて、シワシワのシャツで会議に出なさい!ってことだ。
世の常識は「日雇い」の身には負担
話はガラリと変わるが、このコロナ禍で私のツブヤキが予言の如く現実となっているのだが、あまり自慢できることでもない。例えば、オリンピックはもう少し質素にとか、修学旅行や学校の行事の在り方や、働き方の見直し―など。先の国勢調査で自治会の意味も問われたとか、国民放送の映らないテレビを発売することなども話題に上がっているようだ。つまりはコロナのせいで本質が見えてきたのか、建前が通じなくなってきたということか。
それから、マイナンバーカード。4桁の暗証番号が必要だというので、窓口のご婦人に尋ねた。「あなたご自分の番号覚えておいでですか?」って。怪訝(けげん)な顔をされたが、顔写真まで付いた自分を証明するカードにまた数字の証明がいるとは。予想通り、定額給付金の支給でこの暗証番号がわからなくなってしまった人が役所に殺到した。
とはいえ、予言者のパラドクスは自分の未来を予言できないということ。私も日銭を稼ぐために、週に何度かはシワのない(できない)シャツを着なければならないのだが、1本しかない折り目のある夏物のズボンをまだ履いていて、さすがにスースーすると思ったらもう12月だ。
慌てて引っ張り出した冬物のズボンが、太ったらしく入らない。そもそもズボンに折り目が必要なのか。そもそも夏物とか冬物とか気にしたこともなく、綿のズボンを年中履いていたのだが。
シャツのシワだけではなく、私の経験からもサラリーマンを基準にした世の中の常識が、日雇いの身には結構な負担になることが多々あった。ちなみに、ネクタイはかの美浦村にて子供の柔道大会の参加賞でもらった中央競馬会の青いヤツを1本きり、今でも使っている。日雇いに出掛けるときは、それをシワシワになった首に巻く。(画家)