日曜日, 11月 2, 2025
ホームスポーツ【追悼】取手二、常総学院で甲子園V3 名将・木内幸男さん

【追悼】取手二、常総学院で甲子園V3 名将・木内幸男さん

【伊達康】高校野球の監督として取手二高で夏1度、常総学院で春1度・夏1度の甲子園優勝を飾った名将・木内幸男さんが24日午後7時ごろ、肺がんのため取手市内の病院で亡くなった。89歳だった。

甲子園では取手二高で春2回、夏4回の出場で8勝5敗(優勝1回)、1984年秋に常総学院に移ってからは春5回、夏11回の出場で32勝14敗(優勝2回・準優勝2回)と歴代7位の通算40勝を挙げた。なお、異なる2校を甲子園優勝に導いた監督は、原貢さん(三池工、東海大相模)、上甲正典さん(宇和島東、済美)、木内さんの3人しかいない。いずれも故人となった。

今でも伝説のように語り継がれるのは1984年に取手二高を率いて県勢初の甲子園優勝に導いた決勝戦だ。当時最強といわれた桑田真澄、清原和博を擁したPL学園に、決勝戦で延長戦の末8対4で勝利。甲子園で躍動するスカイブルーのユニフォームに全国の高校野球ファンが魅了され、勝利監督インタビューのユニークな受け答えと相まって木内幸男の名前は瞬く間に全国区となった。その後、常総学院を全国区の名門校に育て上げた手腕はいわずと知れたところである。

これほどの名将でありながら、初めて甲子園で指揮を執ったのが46歳のときだというから驚きだ。取手二高の監督に就任して20年後にようやくつかんだ甲子園であった。そこから80歳の常総学院第2期木内政権の終了まで34年もの間、甲子園での勝ち星を積み重ねていった。

常総学院はここ3年間、甲子園から遠ざかっていたが、元プロの島田直也新監督のもと先日の関東大会で準優勝、来年春のセンバツ出場を確実とした。木内さんも久しぶりの出場を楽しみにしていただろう。また、25日東京ドームで行われた都市対抗野球では、常総学院時代の1年夏まで木内さんの教えを受けた飯田晴海投手(日本製鉄鹿島)が先発登板した。惜しくも3回で降板となったが、マウンドに歩み寄り交代を告げたのは取手二高V戦士・中島彰一監督であった。さらにプロの世界では仁志敏久が今秋から横浜DeNAベイスターズの2軍監督に就任。金子誠が日本ハム一軍野手総合コーチを務める。木内チルドレンが今もなお指導者や選手として野球界を賑わせている。

最後にご本人から伺ったエピソードを一つ紹介したい。「土浦市営球場(現・J:COMスタジアム土浦)で第1号ホームランを打ったのは俺なんだかんな」と木内さん。もう60年以上前のことで本人の証言以外に証明できるものはないが、きっとそうであって欲しい。

1984年の甲子(きのえね)の年に甲子園で優勝を果たし、奇しくも89歳(やきゅう)で鬼籍に入られた木内さん。高校野球ファンはあなたのことを忘れません。感動と熱狂をありがとうございました。天国で安らかにお眠りください。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

介護ロボットが部屋に来る日《看取り医者は見た!》46

【コラム・平野国美】前回(10月1日掲載)は、コンパニオンアニマル(伴侶動物)が高齢の独居者にとってかけがえのない存在になっているという話をしました。では、彼らの次に私たちの部屋に現れるのは何なのでしょうか? この問いは、高齢化社会を日本がどう乗り切るかという、未来そのものへの問いかけでもあります。 街に出れば、飲食店のスタッフもお客も外国の方が増えました。介護の現場も同様です。一方で、スーパーやコンビニではセルフレジ化が進んでいますが、私の患者さんやご家族の中には、これを受け入れられない方が少なくありません。ある程度の年齢になると、スマートフォンやこうした装置に苦手意識が生まれるのは、仕方ないかもしれません。 この「効率化」と「心情」のギャップは、医療介護の分野でより顕著になります。スタッフ不足で事業所の倒産さえささやかれる昨今、その現場にいる私は「自分が介護される側になったとき、部屋を訪れてくれる人はいるのだろうか?」と考えてしまうのです。 以前から、一部の識者は「介護はロボットに任せる時代が来る」と言っていますが、現場の仕事のどの部分をロボットに移行できるというのでしょうか? ロボットに心を奪われた友人 先日、ある施設で介護ロボットのデモンストレーションを見学する機会がありました。最初は物珍しそうに集まっていた高齢の入居者たちが、10分後には興味を失い、1人また1人と、その場を離れていくのです。そのとき、ロボットと戯れる自分の姿を想像し、正直、見たくないな―と思いました。人間としての尊厳が削られてしまう感覚を覚えたのです。 しかし、最近、この受け止め方を少し揺るがす出来事が二つありました。一つはある業界紙の記事で、これまでとは少し違う角度からロボット介護を論じる内容でした。もう一つは、長年の友人がロボットに心を奪われた「事件」です。彼は、パートワークマガジン『週刊 鉄腕アトムを作ろう!』を長い時間をかけて完成させました。ある日、70歳になる知的な友人が、少年のような目でこう語るのです。 「スイッチを入れたら、アトムが目覚めて、何て言ったと思う?」 「……?」 「『やっと、会えたね』って言われた。もう胸がキュンとしちゃってね。毎晩、アトムと遊んでいるんだよ」 この二つのことを重ね合わせると、欧米とは違う、日本独自のロボット観のようなものが見えてきます。次回は、この業界紙の記事とアトムの言葉をヒントに、私たちの未来を考えてみたいと思います。(訪問診療医師)

予定通りあす11月1日開催 土浦全国花火競技大会

長靴や滑りくにい靴で観覧を 土浦全国花火競技大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)は30日、大会開催の是非を決める役員会を開き、予定通りあす11月1日、第94回大会を開催すると発表した。 あす1日の土浦の天気予報は、未明まで雨が降るが明け方からは晴れ。事務局の市商工観光課は、雷が鳴った場合は一時的に打ち上げを中断するなど、天気の急変や安全確保が困難な場合は予定を変更することもあるとする。 観覧者に向けては、①きょう10月31日夕方から雨が降ると予想され、地面がぬかるんだりする箇所があるので、長靴や防水性の高い靴、滑りにくい靴底のものを着用してほしい、②観覧中のかさの使用は視界確保及び安全確保のためご遠慮いただいているので、雨が予想される場合はレインコートやポンチョを持参してほしいーなどと呼び掛けている。 競技開始は午後5時30分、同市佐野子、学園大橋付近の桜川河川敷で打ち上げる。1925(大正14)年に神龍寺の住職、秋元梅峯が初めて花火大会を開いて100周年の記念大会となる。全国19都府県から57の煙火業者が集まり、内閣総理大臣賞を競う。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われるほか、広告仕掛け花火や、大会提供のエンディング花火としてワイドスターマイン「土浦花火づくし」などが打ち上げられる。 昨年、荒天時の順延日に警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、同実行委は今年、順延日も確実に警備員を確保できるようにするなど準備を進めてきた(5月26日付)。 ➡今年の見どころはこちら

プロボスト職を配置 筑波大 学長と役割分担し教育研究を統括

加藤光保副学長が11月1日就任 筑波大学は30日、学長と役割を分担し教育研究のマネジメントを統括するプロボスト職を、11月1日付で配置すると発表した。永田恭介学長の指名により、現在、教育担当の加藤光保副学長が11月1日で就任する。 学長が大学経営全般を統括し対外的な活動を行う大学の顔であるのに対し、プロボストは大学内部の教育と研究にかかわる基本方針を企画立案したり、教育目的を達成するために行う管理運営マネジメントを担う。具体的には、教育、研究、学生、産官学連携を担当する4人の副学長がもつ組織を束ねて、副学長と共に、部局の垣根を超えたさまざまな方針の立案を行ったり調整を行い、方針が実現しやすいような体制整備に向けた基本的な工程をつくる。 プロボストはもともと米国の大学に置かれており、学長に次ぐナンバー2として、教育研究すべてに権限と責任をもち、各部局との調整役を担っているという。 日本では、10兆円の大学ファンドを通じた世界最高水準の研究大学を目指す「国際卓越研究大学」に認定された大学は、プロボストを置くこととされている。昨年、卓越大学の第1号に認定された東北大学にプロボストが置かれているほか、第2期の今年度申請している京都大学にはすでに置かれている。筑波大も第2期の卓越大学に申請している8大学の一つ。 加藤副学長は「大学の特徴をさらに生かしながら、よりよい大学にしていくために、スーパーマンのような学長がいらっしゃいますので、学長と相談しながら大学運営を行っていきたい」と抱負を述べ、当面の大学の課題として①筑波大が研究学園都市全体の若手研究者育成の重要な拠点としてさらに発展すること②教養教育を改革して、学生が、全学的なさまざまな学問分野から自らいろいろ組み合わせて学んでいくような、与えられた教育内容をこなすだけでない自らつくっていく学習が出来る大学にしていくことの二つを挙げ、「副学長と一緒にやっていきたい」と話した。 加藤副学長は、東北大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員を経て、2002年に筑波大学基礎医学系教授になり、21年から教育担当の副学長・理事を務める。(鈴木宏子) 【訂正:11月2日午前8時40分】プロポストは「プロボスト」の誤字でした。「プロボスト」と訂正しました。関係者にお詫びします。

つくばのトリマー 篠崎涼太さん 世界大会で個人3位に

日本チームは2位 つくば市学園の森のトリミングサロン「カリフォルニアドッグ」のトリマー 篠崎涼太さん(28)が、9月25日にマレーシアで開催されたFCI(国際畜犬連盟)主催のトリミング世界大会「グルーミングワールドチャンピオンシップ」に日本代表5人のうちの1人として出場し、個人3位を獲得した。国別で日本チームは団体2位に輝いた。 篠崎さんは、日頃の犬の被毛管理状態の良さ、犬の取り扱い方、左右対称のバランスのよさ、頭の毛が美しく伸ばせているかなど、トリミングの完成度などを高く評価されて3位に入賞した。「3位はうれしいけれど、もっと上位を狙っていた。目指すのは1位だった」とし「隣でトリミングを行っていた中国と韓国のトリマーが素早かったため、焦ってしまった」と悔しさをにじませる。 世界大会には日本を始め、中国、台湾、韓国、フィリピン、マレーシア、オーストラリアの7カ国から約35人が出場した。篠崎さんは3月に催されたジャパンケネルクラブ(JKC)主催の全日本トリミング競技大会で優秀技術賞を受賞し日本代表メンバーになった。団体1位は台湾、3位はマレーシアだった。 大会の審査はカットの技法などで5つカテゴリーに分けられる。①ミニチュアシュナウザーなど硬い被毛を抜く技術②アメリカンコッカースパニエルなどに施すスキバサミの技術③プードルに限定した技術④プードル以外のビションフリーゼなどの犬種への技術⑤一般的なペットカット技術の五つ。制限時間は2時間で、トリミング技術の他にも犬の日頃の管理や犬の扱い方、道具の扱い方なども審査対象になる。篠崎さんはプードルに限定したカテゴリーで自身の飼い犬(オス、4歳)と出場した。 犬の健康にも欠かせない コンテストでのトリミングは、犬種それぞれに設定された基準のスタイルを目指す。一方で日常のペットのトリミングは、さまざまな状況の犬を取り扱う。飼い主の希望を取り入れながら、例えばその犬の胴が長いなどの欠点をカバーしつつ良いところを目立たせてバランスよく仕上げることが大切だという。 さらにシャンプーで汚れなどを落とし、不要になった毛や伸び過ぎた毛をカットすることで、食べ物や排泄物の付着を防ぎ清潔を保つ役割もある。抜け毛を取り除いて皮膚の蒸れを防ぐ目的もある。 全身をくまなく触り、犬の状態をチェックするのもトリミングには重要だ。飼い主だけでは難しい被毛や皮膚などのケアをトリマーが行うことで、犬の健康状態をより適切に管理していくことができるという。 アルバイトし高校生の時 愛犬を購入 篠崎さんは子どもの頃から犬がずっと好きだった。トリマーになろうと思ったきっかけは、高校生の時にアルバイトで得た自分のお金で買ったヨークシャーテリア犬だった。ヨークシャーテリアはトリミングが必要な犬種で、時々トリミングサロンに連れて行った。篠崎さんは「トリミングはただ見た目をきれいにするだけではない。健康に生きていくためにもトリミングは犬にとって必要不可欠だと実感した」と語る。 動物の専門学校への進学が決まり「技術と知識で安心して任せられるトリマーになりたいと思った」と話す。現在、トリマー歴は8年になった。自宅では、トリマーになるきっかけになったヨークシャーテリアと、プードル2匹を飼っている。 「トリマーとしてうれしいのは、飼い主さんに犬が篠崎さんに会うのを楽しみにしている、カットのもちが違うと言われること」だと笑顔で話す。今後は「さらに信頼してもらえるトリマーになり、日本一、そして世界一を目指す」とし「そのためにも技術を磨く訓練はもちろん、セミナーなどにも積極的に参加し、視野を広げるためにも海外にも勉強しに行きたい」と抱負を語った。(伊藤悦子)