【コラム・斉藤裕之】朝のルーティーンであった散歩をする必要がなくなった。犬のフーちゃんがついに息を引き取ったのだ。18年近く我が家にいたこの犬の思い出話はよそうとは思うのだが…。
しかし、少し前に飼い始めたマルといた年数を勘定すると、都合30数年、毎朝毎夕、雨の日も風の日も、散歩をしたことになる。そして、やや大袈裟に言うと、私の人生での犬との付き合いはこれでひとまずお開き。
さかのぼること1カ月。コロナ禍の暇つぶしに、庭に野菜の苗を植えるべく、スコフィールド(ロシアリクガメ)の柵を移動。1畳ほどの広さの柵をしっかりと据え付けたつもりだったが、ちょっとした隙間から脱走されてしまった。
周りは住宅しかなく、どなたかが見つけて飼ってくれていればいいが…などと思いながら、しばらく近所の道路などに気を配るも、ついに発見に至らず。近所の林で収監後10年。脱獄をする米ドラマの主人公から付けたスコフィールド。ついにミッションコンプリートか。
「家具は家を縛(しば)り、家は人を縛る」という坂本竜馬の言葉がある。意味は大きく違うと思うけど、私の場合「犬は私を縛り、亀もまた然り」。生き物を飼っていると、旅行にも行けない。現にこの20年余の間、家を留守にしたのは母の葬式の日ぐらいだ。
百個を目標に額縁を作ろう
話は変わって、毎年、牛久市の「サイトウギャラリー」で開く「平熱日記展」は今年で10年目。こういうご時世ではあるけども、特に三蜜にもならず大声を上げることもないだろうから、いつも通り開催しようと思う。
ついては、「そういえば定額給付金ってどうしたっけ?」という、ありがちな未来を回避すべく、「あると便利だなあ」と思っていたスライド丸鋸(まるのこ)を思い切って購入。
残暑厳しい中、黙々と作品を入れる額を作り始めた。実は奇特な友人が冗談半分に、御自宅を「斉藤裕之美術館」にするというので、ほったらかしにしていた小さな絵どもを額装しておきたいと思っていたのだ。
それから、来年の今ごろは還暦ということもあって、故郷の粭島(すくもじま)にある「ホーランエー食堂」(海の見える民家食堂)で、ささやかな回顧展をやると口約束をしていたのだが、いつも気になっていたフーちゃんやスコフィールドもいなくなったことだし、家を留守にして島を訪れたいと思い始めた。
それにしてもリアリティーとは。夕餉(ゆうげ)にカミさんがみそ汁の出汁にとったイリコを、鍋のふたに取ってゴミ箱へ捨てた。今までは、フーちゃんのお皿にポイっと投げ入れていたのだが…。アトリエの机の上にもイリコがひとつ。描き終えると、フーちゃんがパクリと食べるはずだった…。
こうも暑いと対抗心さえ芽生えるのは気性のせいか。とりあえず百個を目標に額縁を作ろう。しばらくは脳みそを空っぽにして汗にまみれよう。そういう労働に縛られるのも悪くない。(画家)