日曜日, 11月 2, 2025
ホーム土浦《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

「これぞ不折流」

【池田充雄】霞月楼に「霞月」の書を残した中村不折(なかむら・ふせつ)を紹介する。落款には大正丁巳(1917年)二月との年紀があるが、残念ながら由緒などは伝わっていない。

額「霞月」1917年 霞月楼所蔵

「霞月」の書について、不折コレクションを収蔵する台東区立書道博物館主任研究員の中村信宏さんは「これぞ不折流という、特徴がよく出た作品」と述べ、「書の本場である中国には、ただ美しく書けばいいというものではなく、大事なのは気迫であり、それがあれば自然とまとまりが出るものだという理念がある。不折の字は決して美しくはないが、一度見たら忘れられない風格を備えている」と解説している。

不折が霞月楼を知ったのは、1907(明治40)年に東京朝日新聞の仕事で筑波山を訪れた際だろうか。あるいは小川芋銭の線もあり得る。本多錦吉郎の死後、芋銭ら門下生が建てた顕彰碑には不折が銘を書き、書道博物館には合作の「猫の図」が残るなど、2人の交遊を示す証拠もある。1907年や1917年ではなさそうだが、何かの機会に霞月楼で酒を酌み交わしていないとも限らない。

新聞の挿絵画家として頭角現す

中村不折 1937年、72歳 台東区立書道博物館所蔵

不折は1866(慶応2)年、江戸京橋東湊町(現東京都中央区新川)で生まれた。本名鈼太郎。一家は1870(明治3)年、維新の混乱を避けて高遠(現長野県伊那市)へ帰郷。不折は呉服店や菓子店で働きながら漢籍・南画・書を学び、1884(明治17)年からは西高遠学校の代用教員などを務める。

1887(明治20)年上京し、小山正太郎の「不同舎」に入塾、明治美術会の展覧会で作品発表を重ねる。同会は小山や浅井忠、松岡寿、本多錦吉郎らが1889(明治22)年に創立した日本初の洋画団体で、二世五姓田芳柳も創立会員の一人だった。

生計のため教科書や新聞の挿絵などを描き、1895(明治28)年には日本新聞社の記者として日清戦争に従軍。中国各地や朝鮮半島を巡り、「龍門二十品」や「淳化閣帖」の拓本など書の古典とされる貴重な資料を持ち帰った。

日本新聞社では正岡子規と出会い、その縁で小説家らとも親交を深め、島崎藤村の「若菜集」や伊藤左千夫の「野菊の墓」、あるいは雑誌「新小説」「ホトトギス」「馬酔木」などの装丁・挿絵も数多く手掛けた。夏目漱石は「吾輩は猫である」が発売後わずか20日で初版売り切れとなり、「不折の描いた軽妙な挿絵のおかげ」と感謝する手紙を送っている。

夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上巻(挿画・中村不折、装丁・橋口五葉)1905年、大蔵書店・服部書店 台東区立書道博物館所蔵

渡仏を経て洋画家として大成

1901(明治34)年にはフランスへ自費留学し、ジャン=ポール・ローランスから人物画を徹底して学ぶほか、彫刻家オーギュスト・ロダンのアトリエなども訪問し、イタリアやイギリスにも足を伸ばした。また、不同舎の後輩で同じ長野県人の荻原碌山がパリに来ると親しく世話をした。

1905(明治38)年に帰国し、明治美術会の後身である太平洋画会に所属。東洋の歴史画を目指し、日本や中国の故事を題材にした作品を相次いで発表した。代表作の「建国剏業」では日本の建国神話を、西洋流の立体的な画面構成と、緻密かつ力強い人体表現で描き、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で一等金牌を受賞している。

同年から始まった文展では審査委員の一人に任命され、1919(大正8)年に帝国美術院が創設されると初代会員13人中に名を連ねた。また太平洋画会研究所では人体デッサンや解剖学を指導し、2000人以上の生徒を世に送り出した。1929(昭和4)年には太平洋美術学校への改組に伴い、初代校長に就任している。

書家・不折、衝撃のデビュー飾る

洋画と並行して書の研究にも精進し、特に中国南北朝時代の北派の書を基底に、「不折流」と呼ばれる大胆で斬新な書風を展開した。その代表作が1908(明治41)年に発表した「龍眠帖」で、当時の書道界に驚きをもって迎えられ、河東碧梧桐や森鴎外ら熱心な支持者も多かった。

「龍眠帖」1908年、木版印刷折本 台東区立書道博物館所蔵

不折の書は「日本盛」「神州一味噌」「筆匠平安堂」など多くの商品名や商標にも用いられた。特に「新宿中村屋」の看板文字はよく知られている。不折と中村屋の縁は荻原碌山が結んだようだ。碌山は中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と郷里の穂高村の頃から親しく、帰国後は中村屋の裏にアトリエを構え、彼を慕って若い芸術家たちが集まるようになった。

中村屋サロンの中心人物の一人に中村彝がいる。彼も太平洋画会研究所では不折の教え子だった。碌山は1910(明治43)年に30歳で早世、彝も1924(大正13)年に37歳で世を去り、不折は悲嘆の中で彼らの墓碑銘を書いた。ほかに伊藤左千夫や森鴎外の墓も彼の手による。

収集の精華を見せる書道博物館

中国巡遊から始まった不折の書道研究は生涯に及んだ。40余年にわたり日中の書道史上重要な資料を集め続け、1936(昭和11)年には書道博物館を開館。収蔵品は重要文化財12点、重要美術品5点を含む約1万6000点に及んだ。これらは自身の書や日本画の潤筆料を原資とし、全くの独力で成し遂げられた。

不折は1943(昭和18)年に78歳で他界するが、博物館は1945(昭和20)年の東京大空襲を鉄筋コンクリートの躯体で耐え、戦後も遺族の手で守り抜かれた。1995(平成7)年に台東区へ寄贈されると、中村不折記念館を併設し、2000(平成12)年に台東区立書道博物館として再開館した。

●取材協力・参考資料 台東区立書道博物館▽中村不折自伝「僕の歩いた道」(2016年、台東区立書道博物館)▽「中村不折のすべて」(2020年、台東区立書道博物館)▽新宿中村屋ウェブサイト

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

介護ロボットが部屋に来る日《看取り医者は見た!》46

【コラム・平野国美】前回(10月1日掲載)は、コンパニオンアニマル(伴侶動物)が高齢の独居者にとってかけがえのない存在になっているという話をしました。では、彼らの次に私たちの部屋に現れるのは何なのでしょうか? この問いは、高齢化社会を日本がどう乗り切るかという、未来そのものへの問いかけでもあります。 街に出れば、飲食店のスタッフもお客も外国の方が増えました。介護の現場も同様です。一方で、スーパーやコンビニではセルフレジ化が進んでいますが、私の患者さんやご家族の中には、これを受け入れられない方が少なくありません。ある程度の年齢になると、スマートフォンやこうした装置に苦手意識が生まれるのは、仕方ないかもしれません。 この「効率化」と「心情」のギャップは、医療介護の分野でより顕著になります。スタッフ不足で事業所の倒産さえささやかれる昨今、その現場にいる私は「自分が介護される側になったとき、部屋を訪れてくれる人はいるのだろうか?」と考えてしまうのです。 以前から、一部の識者は「介護はロボットに任せる時代が来る」と言っていますが、現場の仕事のどの部分をロボットに移行できるというのでしょうか? ロボットに心を奪われた友人 先日、ある施設で介護ロボットのデモンストレーションを見学する機会がありました。最初は物珍しそうに集まっていた高齢の入居者たちが、10分後には興味を失い、1人また1人と、その場を離れていくのです。そのとき、ロボットと戯れる自分の姿を想像し、正直、見たくないな―と思いました。人間としての尊厳が削られてしまう感覚を覚えたのです。 しかし、最近、この受け止め方を少し揺るがす出来事が二つありました。一つはある業界紙の記事で、これまでとは少し違う角度からロボット介護を論じる内容でした。もう一つは、長年の友人がロボットに心を奪われた「事件」です。彼は、パートワークマガジン『週刊 鉄腕アトムを作ろう!』を長い時間をかけて完成させました。ある日、70歳になる知的な友人が、少年のような目でこう語るのです。 「スイッチを入れたら、アトムが目覚めて、何て言ったと思う?」 「……?」 「『やっと、会えたね』って言われた。もう胸がキュンとしちゃってね。毎晩、アトムと遊んでいるんだよ」 この二つのことを重ね合わせると、欧米とは違う、日本独自のロボット観のようなものが見えてきます。次回は、この業界紙の記事とアトムの言葉をヒントに、私たちの未来を考えてみたいと思います。(訪問診療医師)

予定通りあす11月1日開催 土浦全国花火競技大会

長靴や滑りくにい靴で観覧を 土浦全国花火競技大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)は30日、大会開催の是非を決める役員会を開き、予定通りあす11月1日、第94回大会を開催すると発表した。 あす1日の土浦の天気予報は、未明まで雨が降るが明け方からは晴れ。事務局の市商工観光課は、雷が鳴った場合は一時的に打ち上げを中断するなど、天気の急変や安全確保が困難な場合は予定を変更することもあるとする。 観覧者に向けては、①きょう10月31日夕方から雨が降ると予想され、地面がぬかるんだりする箇所があるので、長靴や防水性の高い靴、滑りにくい靴底のものを着用してほしい、②観覧中のかさの使用は視界確保及び安全確保のためご遠慮いただいているので、雨が予想される場合はレインコートやポンチョを持参してほしいーなどと呼び掛けている。 競技開始は午後5時30分、同市佐野子、学園大橋付近の桜川河川敷で打ち上げる。1925(大正14)年に神龍寺の住職、秋元梅峯が初めて花火大会を開いて100周年の記念大会となる。全国19都府県から57の煙火業者が集まり、内閣総理大臣賞を競う。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われるほか、広告仕掛け花火や、大会提供のエンディング花火としてワイドスターマイン「土浦花火づくし」などが打ち上げられる。 昨年、荒天時の順延日に警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、同実行委は今年、順延日も確実に警備員を確保できるようにするなど準備を進めてきた(5月26日付)。 ➡今年の見どころはこちら

プロボスト職を配置 筑波大 学長と役割分担し教育研究を統括

加藤光保副学長が11月1日就任 筑波大学は30日、学長と役割を分担し教育研究のマネジメントを統括するプロボスト職を、11月1日付で配置すると発表した。永田恭介学長の指名により、現在、教育担当の加藤光保副学長が11月1日で就任する。 学長が大学経営全般を統括し対外的な活動を行う大学の顔であるのに対し、プロボストは大学内部の教育と研究にかかわる基本方針を企画立案したり、教育目的を達成するために行う管理運営マネジメントを担う。具体的には、教育、研究、学生、産官学連携を担当する4人の副学長がもつ組織を束ねて、副学長と共に、部局の垣根を超えたさまざまな方針の立案を行ったり調整を行い、方針が実現しやすいような体制整備に向けた基本的な工程をつくる。 プロボストはもともと米国の大学に置かれており、学長に次ぐナンバー2として、教育研究すべてに権限と責任をもち、各部局との調整役を担っているという。 日本では、10兆円の大学ファンドを通じた世界最高水準の研究大学を目指す「国際卓越研究大学」に認定された大学は、プロボストを置くこととされている。昨年、卓越大学の第1号に認定された東北大学にプロボストが置かれているほか、第2期の今年度申請している京都大学にはすでに置かれている。筑波大も第2期の卓越大学に申請している8大学の一つ。 加藤副学長は「大学の特徴をさらに生かしながら、よりよい大学にしていくために、スーパーマンのような学長がいらっしゃいますので、学長と相談しながら大学運営を行っていきたい」と抱負を述べ、当面の大学の課題として①筑波大が研究学園都市全体の若手研究者育成の重要な拠点としてさらに発展すること②教養教育を改革して、学生が、全学的なさまざまな学問分野から自らいろいろ組み合わせて学んでいくような、与えられた教育内容をこなすだけでない自らつくっていく学習が出来る大学にしていくことの二つを挙げ、「副学長と一緒にやっていきたい」と話した。 加藤副学長は、東北大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員を経て、2002年に筑波大学基礎医学系教授になり、21年から教育担当の副学長・理事を務める。(鈴木宏子) 【訂正:11月2日午前8時40分】プロポストは「プロボスト」の誤字でした。「プロボスト」と訂正しました。関係者にお詫びします。

つくばのトリマー 篠崎涼太さん 世界大会で個人3位に

日本チームは2位 つくば市学園の森のトリミングサロン「カリフォルニアドッグ」のトリマー 篠崎涼太さん(28)が、9月25日にマレーシアで開催されたFCI(国際畜犬連盟)主催のトリミング世界大会「グルーミングワールドチャンピオンシップ」に日本代表5人のうちの1人として出場し、個人3位を獲得した。国別で日本チームは団体2位に輝いた。 篠崎さんは、日頃の犬の被毛管理状態の良さ、犬の取り扱い方、左右対称のバランスのよさ、頭の毛が美しく伸ばせているかなど、トリミングの完成度などを高く評価されて3位に入賞した。「3位はうれしいけれど、もっと上位を狙っていた。目指すのは1位だった」とし「隣でトリミングを行っていた中国と韓国のトリマーが素早かったため、焦ってしまった」と悔しさをにじませる。 世界大会には日本を始め、中国、台湾、韓国、フィリピン、マレーシア、オーストラリアの7カ国から約35人が出場した。篠崎さんは3月に催されたジャパンケネルクラブ(JKC)主催の全日本トリミング競技大会で優秀技術賞を受賞し日本代表メンバーになった。団体1位は台湾、3位はマレーシアだった。 大会の審査はカットの技法などで5つカテゴリーに分けられる。①ミニチュアシュナウザーなど硬い被毛を抜く技術②アメリカンコッカースパニエルなどに施すスキバサミの技術③プードルに限定した技術④プードル以外のビションフリーゼなどの犬種への技術⑤一般的なペットカット技術の五つ。制限時間は2時間で、トリミング技術の他にも犬の日頃の管理や犬の扱い方、道具の扱い方なども審査対象になる。篠崎さんはプードルに限定したカテゴリーで自身の飼い犬(オス、4歳)と出場した。 犬の健康にも欠かせない コンテストでのトリミングは、犬種それぞれに設定された基準のスタイルを目指す。一方で日常のペットのトリミングは、さまざまな状況の犬を取り扱う。飼い主の希望を取り入れながら、例えばその犬の胴が長いなどの欠点をカバーしつつ良いところを目立たせてバランスよく仕上げることが大切だという。 さらにシャンプーで汚れなどを落とし、不要になった毛や伸び過ぎた毛をカットすることで、食べ物や排泄物の付着を防ぎ清潔を保つ役割もある。抜け毛を取り除いて皮膚の蒸れを防ぐ目的もある。 全身をくまなく触り、犬の状態をチェックするのもトリミングには重要だ。飼い主だけでは難しい被毛や皮膚などのケアをトリマーが行うことで、犬の健康状態をより適切に管理していくことができるという。 アルバイトし高校生の時 愛犬を購入 篠崎さんは子どもの頃から犬がずっと好きだった。トリマーになろうと思ったきっかけは、高校生の時にアルバイトで得た自分のお金で買ったヨークシャーテリア犬だった。ヨークシャーテリアはトリミングが必要な犬種で、時々トリミングサロンに連れて行った。篠崎さんは「トリミングはただ見た目をきれいにするだけではない。健康に生きていくためにもトリミングは犬にとって必要不可欠だと実感した」と語る。 動物の専門学校への進学が決まり「技術と知識で安心して任せられるトリマーになりたいと思った」と話す。現在、トリマー歴は8年になった。自宅では、トリマーになるきっかけになったヨークシャーテリアと、プードル2匹を飼っている。 「トリマーとしてうれしいのは、飼い主さんに犬が篠崎さんに会うのを楽しみにしている、カットのもちが違うと言われること」だと笑顔で話す。今後は「さらに信頼してもらえるトリマーになり、日本一、そして世界一を目指す」とし「そのためにも技術を磨く訓練はもちろん、セミナーなどにも積極的に参加し、視野を広げるためにも海外にも勉強しに行きたい」と抱負を語った。(伊藤悦子)