火曜日, 2月 3, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

「これぞ不折流」

【池田充雄】霞月楼に「霞月」の書を残した中村不折(なかむら・ふせつ)を紹介する。落款には大正丁巳(1917年)二月との年紀があるが、残念ながら由緒などは伝わっていない。

額「霞月」1917年 霞月楼所蔵

「霞月」の書について、不折コレクションを収蔵する台東区立書道博物館主任研究員の中村信宏さんは「これぞ不折流という、特徴がよく出た作品」と述べ、「書の本場である中国には、ただ美しく書けばいいというものではなく、大事なのは気迫であり、それがあれば自然とまとまりが出るものだという理念がある。不折の字は決して美しくはないが、一度見たら忘れられない風格を備えている」と解説している。

不折が霞月楼を知ったのは、1907(明治40)年に東京朝日新聞の仕事で筑波山を訪れた際だろうか。あるいは小川芋銭の線もあり得る。本多錦吉郎の死後、芋銭ら門下生が建てた顕彰碑には不折が銘を書き、書道博物館には合作の「猫の図」が残るなど、2人の交遊を示す証拠もある。1907年や1917年ではなさそうだが、何かの機会に霞月楼で酒を酌み交わしていないとも限らない。

新聞の挿絵画家として頭角現す

中村不折 1937年、72歳 台東区立書道博物館所蔵

不折は1866(慶応2)年、江戸京橋東湊町(現東京都中央区新川)で生まれた。本名鈼太郎。一家は1870(明治3)年、維新の混乱を避けて高遠(現長野県伊那市)へ帰郷。不折は呉服店や菓子店で働きながら漢籍・南画・書を学び、1884(明治17)年からは西高遠学校の代用教員などを務める。

1887(明治20)年上京し、小山正太郎の「不同舎」に入塾、明治美術会の展覧会で作品発表を重ねる。同会は小山や浅井忠、松岡寿、本多錦吉郎らが1889(明治22)年に創立した日本初の洋画団体で、二世五姓田芳柳も創立会員の一人だった。

生計のため教科書や新聞の挿絵などを描き、1895(明治28)年には日本新聞社の記者として日清戦争に従軍。中国各地や朝鮮半島を巡り、「龍門二十品」や「淳化閣帖」の拓本など書の古典とされる貴重な資料を持ち帰った。

日本新聞社では正岡子規と出会い、その縁で小説家らとも親交を深め、島崎藤村の「若菜集」や伊藤左千夫の「野菊の墓」、あるいは雑誌「新小説」「ホトトギス」「馬酔木」などの装丁・挿絵も数多く手掛けた。夏目漱石は「吾輩は猫である」が発売後わずか20日で初版売り切れとなり、「不折の描いた軽妙な挿絵のおかげ」と感謝する手紙を送っている。

夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上巻(挿画・中村不折、装丁・橋口五葉)1905年、大蔵書店・服部書店 台東区立書道博物館所蔵

渡仏を経て洋画家として大成

1901(明治34)年にはフランスへ自費留学し、ジャン=ポール・ローランスから人物画を徹底して学ぶほか、彫刻家オーギュスト・ロダンのアトリエなども訪問し、イタリアやイギリスにも足を伸ばした。また、不同舎の後輩で同じ長野県人の荻原碌山がパリに来ると親しく世話をした。

1905(明治38)年に帰国し、明治美術会の後身である太平洋画会に所属。東洋の歴史画を目指し、日本や中国の故事を題材にした作品を相次いで発表した。代表作の「建国剏業」では日本の建国神話を、西洋流の立体的な画面構成と、緻密かつ力強い人体表現で描き、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で一等金牌を受賞している。

同年から始まった文展では審査委員の一人に任命され、1919(大正8)年に帝国美術院が創設されると初代会員13人中に名を連ねた。また太平洋画会研究所では人体デッサンや解剖学を指導し、2000人以上の生徒を世に送り出した。1929(昭和4)年には太平洋美術学校への改組に伴い、初代校長に就任している。

書家・不折、衝撃のデビュー飾る

洋画と並行して書の研究にも精進し、特に中国南北朝時代の北派の書を基底に、「不折流」と呼ばれる大胆で斬新な書風を展開した。その代表作が1908(明治41)年に発表した「龍眠帖」で、当時の書道界に驚きをもって迎えられ、河東碧梧桐や森鴎外ら熱心な支持者も多かった。

「龍眠帖」1908年、木版印刷折本 台東区立書道博物館所蔵

不折の書は「日本盛」「神州一味噌」「筆匠平安堂」など多くの商品名や商標にも用いられた。特に「新宿中村屋」の看板文字はよく知られている。不折と中村屋の縁は荻原碌山が結んだようだ。碌山は中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と郷里の穂高村の頃から親しく、帰国後は中村屋の裏にアトリエを構え、彼を慕って若い芸術家たちが集まるようになった。

中村屋サロンの中心人物の一人に中村彝がいる。彼も太平洋画会研究所では不折の教え子だった。碌山は1910(明治43)年に30歳で早世、彝も1924(大正13)年に37歳で世を去り、不折は悲嘆の中で彼らの墓碑銘を書いた。ほかに伊藤左千夫や森鴎外の墓も彼の手による。

収集の精華を見せる書道博物館

中国巡遊から始まった不折の書道研究は生涯に及んだ。40余年にわたり日中の書道史上重要な資料を集め続け、1936(昭和11)年には書道博物館を開館。収蔵品は重要文化財12点、重要美術品5点を含む約1万6000点に及んだ。これらは自身の書や日本画の潤筆料を原資とし、全くの独力で成し遂げられた。

不折は1943(昭和18)年に78歳で他界するが、博物館は1945(昭和20)年の東京大空襲を鉄筋コンクリートの躯体で耐え、戦後も遺族の手で守り抜かれた。1995(平成7)年に台東区へ寄贈されると、中村不折記念館を併設し、2000(平成12)年に台東区立書道博物館として再開館した。

●取材協力・参考資料 台東区立書道博物館▽中村不折自伝「僕の歩いた道」(2016年、台東区立書道博物館)▽「中村不折のすべて」(2020年、台東区立書道博物館)▽新宿中村屋ウェブサイト

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

【ファクトチェック】外国人労働者は日本人の雇用を奪っているのか 衆院選’26

候補者の主張をデータで検証 衆院選では、一部の候補者から外国人労働者や移民をめぐる主張がなされている。「失業者が増える一方で、外国人労働者を受け入れている」「移民が増えれば治安が悪化する」といった訴えは事実に基づくものなのか、公的統計や国際的な研究データをもとに検証する。 日本人失業者と外国人労働者の関係は 茨城6区から立候補した参政党の堀越麻紀候補は、選挙戦の第一声で「180万人の失業者が出ている。去年も7万人増えた。苦しんでいる日本人がいるのに、政府は人手不足を理由に安い外国人労働者を海外から受け入れている」と述べ、日本人の雇用支援を優先すべきだと訴えた。 では、統計は何を示しているのか。 総務省が2026年1月30日に公表した25年12月の労働力調査によると、就業者数は6842万人で、前年同月比31万人増と41カ月連続で増加した。一方、完全失業者数は166万人で、5カ月連続の増加となり、前年同月比で12万人増加している。完全失業率は2.6%で、コロナ禍以降の2023年から現在まで、2.5から2.6%の範囲で推移している。 国際比較で見ると、日本の失業率は低水準にあることがわかる。OECD(経済協力開発機構)が2025年6月に公表した報告書によれば、加盟する38カ国の24年5月の平均失業率は4.9%で、日本はこれを大きく下回っている。OECDは同報告書で「日本の労働市場は安定を維持している」と評価している。 外国人労働者はどこで働いているのか 一方、外国人労働者数は増加を続けている。厚労省の統計によると、2025年10月末時点の外国人労働者数は257万人で、前年比11.7%増となり、13年連続で過去最多を更新した。 しかし、国内の雇用環境を見ると、全体としては依然として人手不足の状況にある。2025年の平均有効求人倍率は1.22倍で、24年から0.03ポイント低下し2年連続の低下となったが、求人数が求職者数を上回る状態は続いている。19年に1.60倍だった求人倍率は、コロナ禍の20年に1.18倍まで落ち込んだが、23年には1.31倍まで回復し、24年、25年はやや低下しつつも一定水準を維持している。 業種別に見ると、人手不足はより鮮明だ。2025年11月時点のパートを含む有効求人倍率は、建設・採掘従事者で5.31倍、介護サービスで3.96倍、飲食店やホテルなどの接客・給仕職で2.51倍、製造業を含む生産工程従事者でも1.55倍となっている。 外国人労働者の就業先は、こうした分野に集中している。2025年10月末時点の「産業別外国人雇用事業所数及び外国人労働者数」によると、外国人労働者257万人のうち、製造業が約63万人(24.7%)と最も多く、飲食・宿泊業が約31万人(12.4%)、医療・福祉(介護職を含む)が約14万人(5.7%)、建設業が約20万人(8.0%)を占めている。 これらのデータから、低水準の失業率と売り手市場ともいえる雇用環境の中で、特定業種において深刻な人手不足が続いており、外国人労働者が人手の集まりにくい分野を補う役目を果たしていることが読み取れる。 堀越氏は、日本人失業者と外国人労働者の双方が増えていることに関連があるかのように主張するが、両者のあいだに直接的な因果関係を示す統計的な裏付けは確認できない。 「移民が10%を超えると治安が悪化」は事実か 堀越氏は、「ヨーロッパで移民の比率が人口の10%を超えた国では治安が悪化している」とも主張した。 EU統計局によると、2024年1月時点で、EU全体の人口に占める外国出身者の割合は13.3%に達している。加盟27カ国のうち、約51%のルクセンブルクをはじめ、ドイツ、フランス、スペイン、スウェーデン、オーストリアなど11カ国で外国出身者が人口の10%を超えており、「10%超」はEUでは珍しい状況ではない。 ドイツ・ミュンヘンに拠点を置くifo経済研究所は、外国出身者が人口の14.5%を占めるドイツについて、2018年から23年までの警察統計を分析した。その結果、「地域内の外国人比率の上昇と犯罪率との間に明確な相関関係は見られない。特に、難民についても同様」と結論づけている。スペインでも、移民流入と治安悪化を結びつける統計的裏付けは確認されておらず、主要犯罪件数は横ばいから減少傾向にある。EU全体で見ても、治安が長期的に悪化している傾向は確認されない。23年の殺人による犠牲者数は3930件で、13年と比べて約15%減少している。この間、EU全体で外国出身者は約50%増加している。 フランスの経済学者ジェローム・バレット氏は、欧州の独立系メディア「ヴォックス・ヨーロップ」の取材に対し、「移民と犯罪のあいだに直接的な因果関係は存在しない」とした上で、「若年、貧困、不安定な雇用といった社会経済的要因は犯罪リスクを高めるが、これは移民であるかどうかとは別の問題だ」と指摘する。EUも公式文書で、「移民と犯罪を単純に結びつける言説は、事実よりも印象や先入観に基づいて広がりやすい」と警鐘を鳴らしている。 検証から見えるもの 以上の統計や専門家の分析などを踏まえると、「外国人労働者が日本人の雇用を奪っている」「外国人比率が人口の10%を超えると治安が悪化する」といった主張は、正確ではないと結論づけられる。(柴田大輔)

筑西市の「廣澤美術館」《ふるほんや見聞記》13

【コラム・岡田富朗】筑西市にある廣澤美術館は2021年1月2日に開館しました。本館の設計を手がけたのは建築家・隈研吾氏です。全国各地から集められた約6000トンもの巨石が配された建築は、力強い存在感を放っています。敷地内には芝生の庭や竹の庭、そして本格的な日本庭園が広がっており、庭園を目当てに来館される方も多いそうです。 廣澤美術館が位置する「ザ・ヒロサワ・シティ」は東京ドーム約1.2個分に相当する5万6000平方メートルの広大な敷地を誇り、陸・海・空・宇宙の乗り物がそろう「ユメノバ」というテーマパークがあり、博物館にはクラシックカー、航空機、ロケットなどが展示されており、さらには宿泊施設まで備えられています。 美術館では、横山大観、板谷波山、松井康成、鶴岡義雄といった茨城県ゆかりの作家から、棟方志功、中川一政、千住博、齋藤清、伊東深水など、日本美術を代表する作家の作品を幅広く所蔵しています。展示は2カ月から2カ月半ごとに入れ替えられ、何度訪れても新たな出会いがあります。 陶芸の匠 東西展 2026年1月28日から4月5日までは「陶芸の匠 東西展」が開催されます。東は板谷波山、濱田庄司、加守田章二、松井康成、島岡達三、田村耕一、西は富本憲吉、楠部彌弌、河井寛次郎、大樋長左衛門、清水卯一、三輪休雪と、東西を代表する名匠たちの作品を楽しむことができます。 黄金の茶道具 さらに注目すべきは今年の大河でも注目されている、豊臣秀吉ゆかりとされる「黄金の茶道具」です。文禄・慶長の役で功績を挙げた藤堂高虎に秀吉が与えたと伝わるこの茶道具は、2024年の特別展で初めて一般公開されました。現在は廣澤美術館本館から浄(きよら)の庭を抜けた敷地奥に位置する「つくは野館」にて常設展示されています。 秀吉と藤堂高虎 豊臣秀吉と藤堂高虎については、金の茶道具にまつわる以下のような逸話が残されているそうです。 秀吉が明(中国)征服を目論(もくろ)み、朝鮮半島に進軍した文禄・慶長の役(1592~93、1597~98)に出征した高虎は、船奉行として水軍を率いて活躍しました。秀吉はその敢闘を称え、高虎の出家を引き止めて伊予国板島(現愛媛県宇和島市)7万石の大名に取り立てました。 その後も1万石を加増するなどひときわ厚遇し、さらに褒美の一つとして自らが黄金の茶室で愛用していた金の茶道具を授けたと伝えられているそうです。 また1732(享保17)年には、神戸藩から常陸下館藩に加増移封となった藩主石川総茂のもとに藤堂高虎の孫娘が正室として嫁ぎ、明治までの約140年間、石川家は下館藩主として下館(現筑西市)の地を治めており、藤堂家と筑西市との深いつながりを見ることができます。(ブックセンター・キャンパス店主)

仏英に海外出張 五十嵐つくば市長 目的、費用など初めて事前公表

議会の指摘受け つくば市の五十嵐立青市長は2月1日から8日までの8日間、フランスとイギリスに海外出張する。職員5人が随行し、航空運賃や宿泊費などの概算費用は計約450万円。フランスのグルノーブル市で開催される国際会議に登壇などするという。 市長の海外出張をめぐっては昨年、議会から「回数が多く、期間が長い」などの指摘があり、東京都知事の海外出張に関する運用指針にならって、つくば市でも運用指針を策定するよう注文が付いていた。市は今年1月に運用指針を策定。指針に基づいて今回初めて、事前に目的や出張概要、概算費用などが市ホームページで公表された。 五十嵐市長が海外出張に行くのは今年度は今回が初めて。当初予算では2回分の予算を付けていた。 公表資料によると、つくばの魅力を世界に発信し優秀な人材に目を向けてもらうことを目的に、フランスのグルノーブル市で開かれる国際会議「ハイレベルフォーラム」に招待されたことから、同会議に登壇し「つくばエコシステムの最新動向」というテーマで話す。さらに、グローバルな知見を市政運営に生かすことを目的にイギリスを訪れ、マンチェスター市で労働者協同組合による地域課題解決の仕組みを、バーミンガム市で生物多様性施策の推進に向けた取り組みを視察する。 市長の具体的な日程は▽1日夜、羽田空港を出発▽2日、フランスのリヨン着。陸路でグルノーブル市に行き、国際会議「ハイレベルフォーラム」のレセプションに参加する▽3日は、同ハイレベルフォーラムに参加し登壇するほか、グルノーブル市長に面談する。夜は再びレセプションに参加する▽4日は、グルノーブルからリヨンに移動。飛行機でイギリスのマンチェスターに移動する▽5日は、労働者協同組合発祥の地、マンチェスター市のロッヂデールで、自治体と連携した同協働組合について話を聞いたり意見交換し、数カ所の組合を視察する▽6日朝、バーミンガム市に列車で移動、市長を表敬訪問し生物多様性施策の推進について意見交換するほか、図書館と生物多様性関連施設を視察する▽7日朝、列車でロンドンに移動し、帰国の途に就く▽8日夜に帰国するという。 随行職員は5人で、秘書課職員1人が全日程の8日間、市長に随行するほか、科学技術戦略課職員2人が6日間、国際都市推進課職員と市長公室政策員の2人が5日間随行する。 概算費用450万円の内訳は、五十嵐市長が約170万円、随行職員5人が計約280万円などで、航空運賃、宿泊費、日当、現地の移動費、海外旅行保険、wifi賃借料など。五十嵐市長はビジネスクラス、職員はエコノミークラスで渡航する。出張費用については議会の指摘を受け策定した運用指針に基づき、各課いずれも3社から見積もりをとったという。 帰国後は速やかに、出張費用の詳細と出張報告を公表するとしている。 市長の海外出張をめぐってはこれまで、山中真弓市議(共産)が昨年の市議会一般質問で取り上げ、直近3年間で計5回の海外出張を行い、2365万円の市税を使っていたと批判、「回数が多く、期間が長い」などと問題点を指摘していた。さらに昨年9月の定例会議では、市長の航空運賃の条例改正をめぐって、ファーストクラスまで利用できるとなっていた市長提案の条例案を、市議会がビジネスクラスまでと修正。その際、山中市議のほか小森谷さやか市議(市民ネット)から、市長海外出張の運用指針を策定し①出張の目的を明確にし、事前に目的、出張概要、概算費用を公表する②航空券の手配は複数の事業者から提案を受け経費節減に努める③出張後は速やかに出張経費の項目ごとの内訳、数量を含む詳細な情報と、出張の成果を公表するーなどの内容の指針をできるだけ早く策定するよう求めた経緯がある。 山中市議は「運用指針が作られたことは前進だが、日程を見ると、海外に行ったついでにあれこれ予定を詰め込んでいるように見え、市長が行く必要が果たしてあるのか疑問」だとし「国際会議に招待されているなら相手方が旅費を出してくれるはず。その他の視察先をさらに入れることで旅費がかさんでおり、節減に努めたと感じられない」などと話している。(鈴木宏子) 【訂正:3日午前10時】第一段落、イタリアはイギリスの誤記載です。関係者にご迷惑をお掛けしました。

大岩剛監督が帰国報告 U23アジアカップで2連覇 サッカー男子

関彰商事つくば サウジアラビアで開かれたサッカー男子U23アジアカップで優勝し、2連覇を達成したU21日本代表の大岩剛監督(53)が帰国し、2日、スポーツアドバイザーを務める関彰商事つくばオフィス(つくば市二の宮)で開かれた帰国報告会で大会を振り返った。関太士副社長のほか社員約100人が集まった。 大岩監督率いる日本代表は、他国の出場チームが23歳以下で戦う中、21歳以下のチーム編成で臨み、高い完成度と組織力を発揮し、大会を制した。 日本時間1月25日に行われた決勝戦では中国代表と対戦。中国は今大会、堅い守備を武器に無失点のまま決勝まで勝ち上がった強豪だが、日本代表は試合を通して主導権を握り、4-0で快勝しアジア王者に輝いた。 帰国報告会で大岩監督は「若いチームを率いたので、選手を鼓舞しながら戦っていくのは大変だった。その中で選手たちはどんどん成長していった。アジアのサッカーは強くなっている。今回日本は21歳以下で戦った。みんな格上のチームと考えていい中で勝ち抜き、2連覇を達成したことは素晴らしいこと」だと話した。 昨年、鹿島アントラーズがJ1で優勝、水戸ホーリーホックがJ2で優勝し、筑波大学も全日本大学サッカーで優勝したなど茨城旋風が吹いたことについては「期待されると選手ががんばるというのは事実。今年も鹿島は優勝候補だし、水戸もがんばれるのではないか」と話した。 社員から「短い間で組織を作り上げる方法」について質問が出て、「スタッフを信じ、ミーティングを効果的に短くすることが大事」とアドバイスした。 関副社長はあいさつの中で「大岩監督は時間があれば会社に出勤してくれる真面目な方。今回は優勝とともに、監督やチームの強い意思を感じることが出来た」と述べた。 大岩氏は静岡県出身、静岡市立清水商業高等学校、筑波大学を経て、名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズと選手時代を過ごしたあと、鹿島のコーチ、監督を務め、2021年にはU-21の代表監督に就任した。2024年のパリ五輪でもチームを率いた。(榎田智司)