水曜日, 11月 30, 2022
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《法律かけこみ寺》21 法律トリビアの泉

【コラム・浦本弘海】本コラムは、生活にちょっと役立つ(かもしれない)法律マメ知識の提供をコンセプトとしているのですが、今回は役に立つ可能性のなさそうな法律トリビアを。

「法律」という言葉を聞くと、どのような印象をお持ちでしょうか? 「難しそう」とか「固い」というものが真っ先に浮かぶと思いますが、「長い」という印象をお持ちの方も多いのでは。

そこで、今回は短い法律をご紹介します。 なお、この知識を活かす機会は一度もないと思われますので、ご注意ください。

いちばん短い法律

さて、では以下に(多分)いちばん短い法律を。

▼陪審法ノ停止ニ関スル法律(昭和18年法律第88号、1943年)
 陪審法ハ其ノ施行ヲ停止ス

なんと条文にしてわずか1条、法律全体の文字数がたったの12文字です! ただし、附則(付則、法令の本体部分となる実質的な定めに付随して必要となる事項を定めた部分)も含めるとそれなりの長さになります。

ところで「陪審法? 日本は裁判員制度なのでは?」と思われた方は鋭い。これも法律トリビアですが、日本でも一時期(昭和3年から昭和18年、1928 – 1943年)、陪審制(市民から選定された陪審員が裁判に参与して、事実の有無などにつき判断する制度)が実施されていました。

ちなみに、陪審員は「事実の有無」を判断しますが、裁判員は「事実の有無」に加え量刑(刑の重さ)も判断します(法解釈は行いません)。

そして、陪審制を根拠付ける法律が陪審法(大正12年法律第50号、1923年)です。この陪審法は「陪審法ノ停止ニ関スル法律」で施行を停止されているだけなのですね。

ちなみにいつまで停止されているかというと、「陪審法ハ今次ノ戦争終了後再施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム」(附則3項)となっています。「今次ノ戦争」(第2次世界大戦)は終了したものの、「勅令」は今現在、定められていません。そして裁判員制度が平成21年(2009年)にスタートしています。

条文1条 附則なしの法律

ちなみに条文が1条で附則もない法律に、

▼失火ノ責任ニ関スル法律(明治32年法律第40号、1899年)
民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス

――があります。この法律は意外と重要です(縁がないことを祈ります)。

民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」という規定です。したがって、「失火ノ責任ニ関スル法律」により、「失火ノ場合」で「重大ナル過失」がないときは、損害を賠償する責任を負いません。

日本は歴史的に木造建築物が多く、火事による損害の賠償が高額になりやすかったという事情があり、「失火」の場合はまあ許してあげようということになりました。

ただ「重大ナル過失」があるときは許してもらえませんし、故意の場合はそもそも「失火」ではないので、やはり許してもらえません(当然かもしれませんが)。夏ではありますが、火の元には十分ご用心ください。(弁護士)

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