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《ことばのおはなし》24 私のおはなし⑬

【コラム・山口絹記開頭手術は9時から始まった。手術室の前まで見送りに来た母と妻と娘に何か声をかけようとしたが、直後娘が転んで泣き出してしまった。少し迷ったが、娘をあやす妻を見ながら、手を振って手術室へ入った。

こたつのように温かい手術台の上に横たわり、麻酔を投与される。「よろしくおねがいします」と言い終わる前に気を失った。掴めそうなほど濃い闇に包まれる。水の中をとてつもない速さで移動しているように感じた。それでも抵抗はほとんど感じない。まるで自分の身体が流線型になってしまったようだ。気まぐれに差し込むビロードのようなコバルトブルーの光に、やはりここは水の中なのだと確信する。

遠くから、何かが近づいてくるのが見えた。おびただしい量の巨大で直方体の黒い柱がクジラの群れのように通り過ぎていく。私の身体は、音もなく柱の隙間を縫いながら浮上し始めた。水面から飛び出すと同時に眩しさに目を細める。

足元を見ると、妻と母と目があった。なるほど、とりあえず生きているらしい。右手をあげようとしたが動かない。覚悟はしていたことだ。何か、2人を安心させられるようなことばを探した。酸素マスクが邪魔だが話せそうだ。

「…脂っこいラーメンが食べたい」

2人は少し笑ってくれたが、言い終わらないうちに肩から頭にかけて痛みが走った。頭が痛いのは当然だが、肩の痛みもただごとではない。それも、ラーメンどころか12時間は水すら飲めないらしい。

トイレ問題以外は術後経過良好

ICUから人がいなくなると、ほとんど動かない右手の状況把握に移った。左手で触ると、かなり強い麻痺がある。肩と親指、人差し指、中指は少しだけ動くが薬指と小指は全く動かなかった。少しリハビリすればギターで簡単な曲くらい弾けそうだ。右脚も動くようだし、状況はかなり良いと言える。

その後、痛みで眠れない12時間はひたすら右手のリハビリにあて、なぜか朝には右手の動作がほぼ復活した。昼には尿道カテーテルと頭部のドレンも外れ、一般病棟に移された。鎮痛剤を限度いっぱい打ち、顎(頭蓋骨)の痛みに耐えながら昼食をとり、ぐったりと横たわっていると、尿瓶を持った看護師が現れた。

リベンジの時が来たらしい。看護師がまだ部屋にいるのもお構いなしに尿瓶を掴んでズボンとパンツを下ろし、ベッドの角度を調整した(この日のために尿瓶の使い方は調査済み)。いける。

途端、私は変な声を出して尿瓶を抱きかかえるようにベッドにうずくまった。激痛。股間が破裂したのかと思ったが、どうやらカテーテルの影響で膀胱(ぼうこう)に溜まった空気が排出されたらしい。なんということだろう。パニックになりながらも意味不明な怒りが湧くほどの痛みである。(空気は2日間にわたって出続け、夢にまで見た。術後数日間の日記の記録はほとんどトイレ事情のことで、他人が読んだら私が何の手術をしたかわからないだろう)

トイレ問題以外は術後の経過は笑ってしまうほど良好で、何より、ことばを再び失わずに済んだことに私は心底から安堵した。-次回に続く-(言語研究者)

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