【伊達康】いまいましい感染症の流行が世界のスポーツシーンを激変させた。高校野球においてはセンバツ甲子園だけでなく夏の甲子園までもが中止となり,その前段の地方大会も中止となった。
時を刻めない、区切りが付かない、最後の夏を奪われた球児たちの救済策として、県高野連は独自の代替大会の開催を決定した。
大会の名称は「2020年夏季茨城県高等学校野球大会」。今月11日から始まる大会は茨城の夏の頂点を決めるチャンピオンシップである。交流戦のような形を取って終わりにする他県高野連もある中で、選手に寄り添った茨城県高野連の英断にはとびきりの賛辞を送り敬意を表したい。
大会は原則無観客だが、野球部員1人に付き保護者2人まで入場できる。また登録人数に制限はなく野球部員は全員が出場可能とする柔軟な方針が示された。
コロナ禍を経て、最後の夏とどのように向き合うのか、代替大会を間近に控えた有力校の監督に話を聞いた。
春季大会中止、全体練習禁止
第1回は茨城が誇る名門・常総学院の佐々木力監督。常総学院は昨年秋の県大会で優勝し、今大会でも優勝候補の筆頭といえる戦力だ。菊地竜雅と一條力真というプロ注目の大型右腕2人を擁しながら野球ができないもどかしい日々をどう過ごし、夏に向けていかに気持ちを立て直していったのだろうか。
ー今年はコロナ禍で大変な年となりました。まず、3月11日にセンバツ甲子園の中止が決まり、3月30日に茨城県の春季大会の中止が決まりました。春季大会中止を聞かされた時のお気持ちはいかがだったでしょうか。
佐々木 先に高体連が大会の中止を決定していたので、センバツの中止もあり得るのかなと薄々は感じていたのですけれど、やっぱり中止はあってはならないことではないかと思うんです。3年生にとってチャンスが減るというのはなんとか避けたかった。中止を決定して可能性をゼロにするのではなくて、50%でも60%でも残してもらって、それでまた考え方を修正するみたいな形にしてもらいたかったなと。いきなり「大会はやりません。可能性はゼロです」というのは3年生にとっては非常に残酷な結果だったと思います。
ーその後、4月16日には全国が緊急事態宣言の対象地となり、寮生活すらままならない状態になったと思います。4月下旬だったと思いますが、私が野球場の前を通りかかりましたら「部外者立入り禁止」とのバリケードがありました。緊急事態宣言が出されてから宣言が明けるまでの期間、チームとしてどのようにモチベーションを維持し、練習をされていたでしょうか。
佐々木 3月からは全体練習は一切なし。寮や自宅から集まって自主練という形をとりました。緊急事態宣言の頃には寮を解散し自宅に戻しましたので、グラウンドを開放して、親の自動車による送迎でグラウンドに来られる人は自主練をしていました。特にピッチャーの体がなまってしまっては元に戻すのが大変なので、自宅に帰すに当たって「3日に1回は誰かを相手にしてボールを投げるように」と言い聞かせました。
ピッチャー陣は3日に1回は親の送迎のもとブルペンに入ったり走ったりしてくれていたようです。野手も同じようにバッティングやら守備やら自主練をやっていました。出身のシニアやボーイズのグラウンドで中学校の仲間とキャッチボールやバッティングをやっていた選手もいたようです。
5月25日に学校の分散登校が始まるということで、県外の選手もいるものですから、検温や手洗いなどを徹底しながら状況をみて登校させようということで、1週間前の5月18日に全員を寮に集めました。風邪症状のある選手はおらず、徐々に練習を再開することができました。全体練習を再開してみて、ピッチャーはそこそこ放れる状態でしたが、やはりバッティングは試合形式から離れていた分、感覚のずれが生じてしまっていました。今も打線という感じにはなっておらず打(点)という感じで得点能力が低い部分が見受けられます。
「中止あってはならない」
ー5月20日には夏の甲子園大会が79年ぶりの中止と決まりました。中止が決まった日、佐々木監督は何を思い、選手にどのような言葉をかけましたか。
佐々木 中止はないだろう、と強い憤りを感じました。実際には上が決めることなので仕方ないのですが…。選手たちには夏の大会が中止になってしまったということで、気を落とすだろうと思っていましたが、やっぱり3分の1くらいの選手は泣いていました。そんなの当然だと思いますよ。「これを機に野球を辞めますとか、野球を嫌いになったとか、そういうふうになるなよ」という声はかけたんですけれども…。甲子園はないけれど、大学の野球が待っているので、そこに向かって練習しようという話をしました。
ー佐々木監督ご自身のお気持ちはどのように整理されたでしょうか。
佐々木 私は高校野球に30年余り携わっていますが、やはり中止はあってはならないことですね。暴力事件で出場停止なんていうのは身から出たサビのようなところがあるので受け入れるしかないですけれども、これは受け入れることができません。
自分の感覚では、甲子園を夢見ていた子たちから甲子園を完全に奪ってしまうことはないのではないか、時期をずらすとか、もっと選手に寄り添って対応できたのではないかと思います。
センバツの代替試合を8月に甲子園でやるでしょう。夏もそういう大会があっても良いのではないかといまだに思っていますね。ですから、気持ちの整理がついていません。
続く