火曜日, 1月 13, 2026
ホーム土浦【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(下) 『徒然草』の伝え

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(下) 『徒然草』の伝え

【田中めぐみ】土浦市内の小中学校、義務教育学校では今週から通常登校となった。土浦日本大学中等教育学校でもオンライン授業をひとまず終了し、通常登校が始まる。新しい学校生活様式はどのようになるのだろうか。

感染を防ぐ教室環境の整備

生徒も教職員も登校前に体温を測定し、登下校時や学校にいる間はマスクを必ず着用する。教職員にはフェースシールドの用意もある。昇降口や教室、職員室にはアルコールを置き、手指を消毒できるようにしている。手洗いの徹底、こまめな水分の補給も指導する。ドアの取っ手やスイッチ、階段の手すりなど生徒が手を触れる場所は教職員が1日1回以上消毒を行う。

さらに、教室はできるかぎり2方向の窓を同時に開けて換気しなければならない。しかし、これからの時期、雨風の強い日、蒸し暑い日は一体どうなるのだろう。マスクをしたままの活動は熱中症の危険もある。エアコンを適宜使用し、快適な教室環境を守りつつも感染を防ぐ配慮が必要となってくる。

制限される国語の活動

近距離で一斉に大きな声で話す活動はできない。国語の授業では全員一斉に大きな声で教科書を朗読したり、活用表を読み上げたりすることがある。今までは生徒たちに「もっと大きな声で言ってみよう」などと促していたが、このような音読活動はしばらく控えるべきだろう。

複数の生徒が近距離で話す活動も「密集」「密接」になるおそれがある。発表したり話合わせたりする活動は、これまでグループワークで行ってきたが、それも当面は見合わせることとなる。生徒が楽しみにし、毎年白熱する百人一首のかるたも現状ではできないだろう。

課題の提出・採点にオンライン利用

生徒同士が持ち物を共有したり、個人の持ち物に触れたりすることも良くない。これまでノートや課題などの回収を生徒に任せることがあったが、回収係の生徒を感染のリスクにさらすことになるかもしれない。回収用のボックスを作り、各自入れてもらうなどの工夫が必要だ。もしくはGoogle Classroom(グーグル・クラスルーム=課題のオンライン管理システム)を用いる。先月は作文の課題を配信した。

生徒は課題についての質問をチャット形式で教員に送ることができ、提出もオンラインでできる。採点結果やコメントもシステム内でフィードバックされるので感染の不安がない。

非常事態だからこそ学びを

兼好法師『徒然草』に「世に語り伝ふること」という段があり、高校2年生と読んでいる。冒頭に「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」とある。世の中で語り伝えられていることは嘘が多い、というのである。

また、こうもある。「よき人はあやしきことを語らず」―教養がある人は疑わしいことを語らない、と。『徒然草』の別の段には、発熱する疫病が流行しそれに伴って鬼を見たというデマが流れ、人々が騒然としたという記述もある。鎌倉時代に書かれたこの古典を、生徒らはどのように考えるだろうか。

テレビやインターネットに様々な情報があふれる今、子どもは放っておくとSNSや動画サイトなどで、特定の情報にばかりにアクセスしてしまう。不確かな情報が飛び交う中、必要以上に不安を煽(あお)られたり、反対に感染の危険性を軽視したりすることもあるだろう。

学校では様々な問題、課題に触れ、情報の扱い方について学んでいく。根拠を示した意見と感想の違い、一次情報と二次、三次情報の違いなど、様々な教科で考え、新たな視点を手に入れていく。自分を取り巻く状況について考え、問題を解決しようとする主体性を身に付ければ、フェイクニュースに躍らされることもない。また、もし身近に感染者が出てしまった場合、差別をしたり誹謗中傷をしたりすることは絶対にあってはならないことだが、正しい知識を持つことは偏見を防ぐことにもつながる。このような非常事態だからこそ、学ぶことには大きな意味がある。

今後、感染拡大の第2波、第3波の可能性もあるといわれている。オンラインの備えをしながら感染を防ぎ、より良い学校生活を送るにはどうすればよいのか。教材を通じて、生徒らと共に考えたいと思っている。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

まさかの「第5回富士山景クラシック展」《続・平熱日記》188

【コラム・斉藤裕之】昨年秋、「第5回富士山景クラシック」展をやるぞ!と、突然メールが入った。この画展、上野谷中の居酒屋でフランスから帰国したばかりの私が、同級生を前に「みんなで富士山を描こう!」なんてノリで言っちゃったのがきっかけ。まさかギャラリーで展示までして、それも足掛け30年で5回目にもなろうとは…。 なんで富士山なんて言っちゃったのか。例えば、最近では愛犬パクと山口から帰って来る時の新東名。突然、目の前にでっかい富士山が現れる。あまりの雄大さに呆気にとられてしまう。憧れの女性が突然目の前に現れたのと同じで、ただアタフタとその場を繕うしかない。 葛飾北斎の富嶽三十六景。誰もが知る富士山を描いた名作だが、あれは富士山を憧れの女性に例えるなら、遠巻きにしていろんな所からのぞき見している。つまりおっかけ。大体、富士山はどこから見てもあの形。まさに二つとない不二の登録商標で、誰が見ても富士山だとわかる。 北斎は、その富士山を大きな波の向こうに、桶(おけ)の輪の向こうに、いろんなところから遠巻きに描いた。その証拠に、正面から堂々と描いた富士は赤面している。 ここ茨城からも富士山は見える。朝、車に乗って仕事に行く途中、スカイツリーの向こうにきれいな富士山。しかし、それははるか遠く、手の届かない映像のような富士山。でも案外、私にとって富士山は昔から、そしてこれからも、そんな憧れの人でよいのかもしれない。 オジイサンの鼻息は荒い しかし、前回展で一応の区切りを付けたはずの富士山景クラシック展。今回のDMはがきに「第二章」とあったのが気になる。もしかして6度目も…。そういえば、何回目かの時に「次はフィレンツェでドゥモを描こう!」とか「台湾でグループ展だ!」と盛り上がっていたっけ。 フジサンは今も姿を変えずそこにあるが、若者たちはオジサンになり、今やオジイサンと言われても仕方ない年齢になってしまった。しかし、本人たちの鼻息は荒い。以前、ある彫刻家の先輩方がグループ展に「R70」という粋なタイトルを付けていらしたことを思い出した。 北斎は三十六景を描くために、車もない時代に一体どれほどの距離を歩きまわったのか(72~74歳、千葉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知)。一昨年、長野県小布施に、北斎の絵を訪ねた。80歳を過ぎて、山々を超えて信州まで絵を描きに行く、その情熱と馬力に私自身にもムチを入れざるを得ない気分だった。オチをつける気はなかったが、午の年が始まる。 30年前の夏、富士山を描こうと沼津に連れて行った長女。高温多湿の海辺の街からは富士山を見ることはかなわず、漁港で食べた超ビッグなエビフライと同級生の実家である幼稚園のプールで沐浴(もくよく)をしたことはよく覚えている。多分、展示が始まるころには、その長女が3人目を産んでいるはずである。もしかして、丙午の女の子? 今の時代、そのぐらいでちょうどいい。(画家) 第5回富士山景クラシック展:1月19日(月)~31日(土)、GALERIE SOL(東京都中央区新富1-3-11)

親子連れ70人がカヤ刈り 地元の文化財「五角堂」修理の材料に つくば

江戸時代後期につくばで活躍した発明家、飯塚伊賀七(いいづか・いがしち)が建てた「五角堂」のかやぶき屋根を修理する材料にしようと、ススキが自生する近隣の原っぱで12日、カヤ刈りイベントが開催され、地元の親子連れなど小学生から70代まで約70人が、刈り取ったススキを集めて束にするなどの作業を体験した。 伊賀七は当時の谷田部新町村の名主で、からくりの和時計、測量器具、地図、農業機械の自動脱穀機などを発明した。五角堂は伊賀七の生家に建てられた。何のために建てたのか分かってないが、床面が正五角形と当時は建築が難しく、独自の構造で建てられている。1958年に県指定史跡になり、89年に解体修理されたが、かやぶき屋根の傷みがひどくなり、五角堂を管理する同市が昨年、屋根の一部を修理した。残りの部分を、今回刈り取ったススキで修理する予定だ。 カヤ刈りイベントは、石岡市を拠点にかやぶき屋根の保存活動に取り組む市民団体「やさと茅葺き屋根保存会」(萩原寿盈会長)とつくば市教育委員会が共催した。場所はつくばエクスプレス(TX)みどりの駅近くの市立みどりの義務教育学校に隣接する未利用の原っぱの一部約200平方メートルで、市民ボランティアを募って実施した。 学校脇の原っぱにススキが茂っていることを知った市内に住む同保存会事務局の仲村健さん(44)が同校と市教委などに働き掛け、昨年、同保存会が同所でカヤ刈りを実施し、石岡市内のかやぶき屋根を修理する材料にした。その後、地元に住む谷田部地区活性化協議会の牧野秀宣会長(70)から「地元のカヤで五角堂を屋根を修理してはどうか」と提案があり、イベント開催に至ったという。 12日は午前中に同保存会が仮払い機でススキを刈り、午後に親子連れ約70人が刈り取られたススキを拾い集めて、ひもで縛り、束にした。2時間ほどの作業で121束が出来上がった。 刈り取ったカヤは、同保存会の会員が自宅の風通しのよい場所で保存する。さらにワークショップを開催し、屋根で作業しやすいようカヤの長さをそろえて束にする「かやごしらえ」を実施する予定だ。 母親と参加した近くに住む小学3年の戸田結斗さんは「学校でちらしをもらって参加した。カヤの束を積み上げた上に座って楽しかった」と話し、家族で参加した近くの会社員、藤尾友彦さん(42)は「毎日犬の散歩で通るところなので、普段できない経験をしたいと参加した」と語り、長女で小学3年の晴香さんは「ススキを束ねてぎゅっと結ぶのが難しかった」と話していた。 同保存会の仲村さんは「カヤ刈りを通して身近な歴史や文化を知り、それが現在や未来につながるものだということを感じてもらえたらうれしい」と話し、同活性化協議会の牧野会長は「地元のものを地元の材料で修理すると、親しみができる。小学生も参加し、自分たちが取り組んだもので修理できれば地元の歴史にもっと親しみがわくと思う。すごくありがたいし、子供たちがいっぱい参加してくれてよかった」と語っていた。 市文化財課によると、刈り取ったカヤは同保存会に約1年間保存してもらい、2027年度に五角堂の残りのかやぶき屋根の修理を実施する予定という。(鈴木宏子)

招待状に「特別支援学校」初めて記載 つくば市 二十歳の集い

これまでは「市外の中学校など」 11日つくば市竹園、つくばカピオで開かれた同市主催の「二十歳の集い」で、参加対象の新成人にあらかじめ送付される招待状(入場券付き案内状)の出身中学校に今年初めて、「つくば特別支援学校」の学校名が記載された。市内にある市立や県立、私立の18中学校と並んで記載された。市によると、これまで同支援学校出身者は、対象者を限定しない「市外の中学校など」に含まれていたという。今年から学校名を明記した理由について市は、「『特別支援学校の卒業生が参加していいのか分からない』という市民の声に応えた」と説明している。 同市の式典は、出身中学校別に午前と午後に分かれて開催される。つくば特別支援学校の学校名は市のホームページなどにも、午前の部に他の中学校の学校名と並んで記載された。 会場では例年同様、身障者など専用駐車場の設置や筆談対応、車いすの貸し出し、事前連絡を条件とした介助者の式典同行を認めるなどの合理的配慮を実施した。 「ちゃんと存在している」 式典に参加した、つくば特別支援学校卒業生の梅山樂さん(19)の母、恵子さんは、「出身校として学校名が記載されたことで、『ちゃんと存在している』とみんなに認められた気持ちになり、うれしい気持ちになった。子どものころに交流してきた地元中学の同級生が声を掛けてくれ、覚えていてくれたのがとてもうれしかったし、お互いに立派になっていたことにも感動した。これから先、子どもが親から離れて、自分で何かを選び、希望していけるといいと思っている」と話した。 同じく式典に参加した五十嵐心音さん(19)の母親で、会場に付き添った純子さんは「体調を崩した時期もあった中で二十歳を迎えることができ、親としてもひと段落という思いがある。感慨深い」と語った。 根本侑弥さん(19)の父親、隆行さんは「あっという間の20年。何度も入退院を繰り返してきた。よく元気でこの日を迎えてくれた」と笑顔を見せた。母親の希美子さんは、出身校として「つくば特別支援学校」が記載されたことについて「車いすでも式典に参加しやすくなった。自分が通っていた学校名が記載されていなかったとしたら、行きにくさを感じる人もいたかもしれない」とした上で、「市主催の式典に出れられることで、地域の中に障害のある子どもがいるんだと知ってもらえると思うし、子どもの頃に交流していたことを思い出してくれるかもしれない。とても意義あることだと思う」と話した。 五十嵐立青市長は「特別支援学校の卒業生も大切な同じ仲間であり、市民の一人。皆さんと一緒にお祝いできることが大切。前に進んでいくきっかけの日にしたい」とコメントした。 つくば特別支援学校では毎年、市主催の成人式とは別に、卒業生を対象とした「成人を祝う会」を開いている。今年は1月17日に同校で開催し、16人の卒業生が参加する予定だ。(柴田大輔)

映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

【コラム・先﨑千尋】先月7日、東京都練馬区の大東文化会館で国際シンポジウム「旅するカジの木、旅する神々-静御前と倭文(しづり)」が開かれ、その中で北村皆雄監督の映画「倭文-旅するカジの木」が上映され、北村監督の講演などがあり、筑紫舞、大和高田の白拍子舞などが披露された。 倭文ないしは倭文織は古代の織物の名称で、常陸国風土記や万葉集、日本書紀、延喜式などの古典に登場するが、現物が発見されていないので、“幻の織物”と言われている。その素材はコウゾやカジの木などの自然繊維で、神事に使う幣(ぬさ)、手纏(まとい)、鞍(くら)などに使われていたようだ。 私は那珂市静に鎮座している常陸二の宮静神社のすぐ近くに住んでいることもあって、かなり前からその織物に関心を持って、史料も集めてきた。常陸国風土記には「まだ織物がなかった時代に倭文部(しどりべ)という織物の技能集団が静周辺に来住し、倭文を織った」とある。静神社の主祭神は、織物の神様・建葉槌命(たけはつちのみこと)だ。 「衣食住」という言葉 北村監督は映画上映の前に「衣食住という言葉があるが、衣が最初で、食、住と続く。それはなぜなのか。人が生まれてきて最初に産着(うぶぎ)を着ける。布は第二の皮膚と言われ、人間しか着けない大事なものだ。倭文という謎の織物を手掛かりに、衣の持つ呪術性を探ってみたいと考えて映画を製作した。何もないものを作るのは大変なことで、5年もかかった」と話した。 映画は最初に、日本の原始布が残る徳島県旧木頭村を訪ねるところから始まる。ここではカジの木やコウゾで織る太布(たふ)が現在でも織られている。次に、糸を使わない布、タパが登場する。カジの木の樹皮をたたいて伸ばす。撮影隊は、タパを作っているパプアニューギニアに向かい、人類最古に当たる植物繊維の衣服が今でも作られている有り様を伝える。 カジの木の原産地は中国南部から台湾。そこから4000年にわたってフィリピン、インドネシア、オセアニア、日本などに伝わったという。北村さんらは正確を期するために各地でDNA鑑定を行っている。茨城県内にはコウゾはあるが、カジの木はほとんど見かけない。コウゾはカジの木とヒメコウゾの交配から生まれたものだ。 この映画を作るために、国内の4人の織物作家(山口源兵衛、石川文江、西川はるえ、妹尾直子)が帯や幡(はた)、紙布を作る。その苦労する過程が克明に映し出される。 映画の最後は、日立市の大甕倭文(おおみかしず)神社にある宿魂石上(しゅっこんせきじょう)で、神話に出てくる倭文神「建葉槌命(たけはづちのみこと)」(大和朝廷側)がまつろわぬ星の神「香香背男(かがせお)」を、倭文織を使った呪術的な力で圧倒する場面。この場面だけがフィクションである。 冒頭に戻る。今回のシンポジウムのタイトルに「静御前と倭文」とある。静御前が鎌倉鶴岡八幡宮で歌ったという「しずやしず 倭文の環(おだまき) くりかえし 昔を今になすよしもがな」から採ったと思われるが、静御前と倭文の関係について、今後の研究に期待したい。(元瓜連町長)