【鴨志田隆之】土浦市は藩政時代から営まれてきた城下町や、商都としての趣を、近隣の地方都市ほどには残せなかった。それでも中城通りの蔵を活かした街並みには、明治草創のそば屋や天ぷら屋が軒を連ねる。土浦城址である亀城公園の存在も、土浦の歴史をとどめておく重要な要素となっている。
街には人のにぎわいや人のなりわいがある。建築はそれらの後ろ盾となって支えるもの。このような考え方から市内に造られた建物がある。
2014年に完成した土浦小学校(同市大手町)だ。校舎設計は水戸市に所在する横須賀満夫建築設計事務所が手がけた。横須賀満夫氏の建築に対する理念が、街と人、にぎわいとなりわいを創造する、あるいは維持継承するというもの。土浦小ではどのようにして設計コンセプトを描いたのか。
横須賀氏は「学校というのは子どもたちの集うにぎわいの場であり、同時に子どもたちを守る堅牢なたたずまいも求められる」とする。「土浦小学校周辺ではちょうど(道路の歴史景観を整備する)歴史の小径整備事業という街づくりも進められていた時期で、亀城公園や旧土浦城址の大手門跡といったキーワードがちりばめられていた」と振り返る。「街の歴史を受け継ぐ建物として、勾配屋根の連なりや昔ながらの生け垣、塀、門構えを配置して動線を誘導し、校舎自体は鉄筋コンクリートだけれど、木の風合いも取り入れている」と話す。
教室の窓の外に日よけや目隠しとして設置したルーバー(細長い板を隙間をあけて平行に組んだもの)には特に力を入れたという。同小近隣の建築にも縦格子をモチーフとしたルーバーが見られた。歴史の蓄積を重視しながらも、極端に土着的なデザインは避けたいと考え、同市の街なかの景観にアクセントを加えた。同校舎は、第28回茨城建築文化賞県知事賞、2015年まちづくりグリーンリボン賞、日本建築家協会優秀建築選2015といった賞を受けている。
横須賀氏は建築士という自身のなりわいを経て、あるとき「日本の街並みは単一の非連続的な建築が過密し、街の景観も地域性もだめにしていた。それは建築家の責任でもある」と気づいたという。
学校建築は、ある意味閉鎖された敷地の中に収められるため機能性重視で論じることができるが、土浦小学校は能動的に街との接点を見出した建築だ。そして「学び舎」というなりわいが、後世、大人になった卒業生たちに語り継がれ、その子どもたちが通い続ける。(終わり)
◆土浦小学校 土浦市大手町13-32。2014年2月リニューアル。敷地面積1万5840平方メートル。校舎は鉄筋コンクリート造3階建て、延べ床面積8160平方メートル。