【コラム・冠木新市】茨城県出身の民謡詩人野口雨情と世界的な喜劇俳優チャーリー・チャップリンは、外見が小柄でどことなく雰囲気が似ているように思える。2人は1930年代の世界大恐慌に生きた同時代人だが、私が似ていると感じたのは、ちょび髭(ひげ)のせいかもしれない。しかし雨情のちょび髭は本物だが、チャップリンのそれは映画の中だけでしか付けない放浪紳士用としての偽物の髭である。
2人が生きた時代のニュース映像などを見ると、ちょび髭の人たちが結構映っていて流行だったのが分かる。チャップリンと同じ1889年生まれのドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーもちょび髭だった。成功者の証しなのか、自己アピールのファッションなのかは分からないが、今は女性受けしないようで、ちょび髭の男性はほとんど見かけない。
昭和7年(1932)5月13日、桜川流域の土浦にあった高級料理屋・山水閣に海軍青年将校らが集まり、犬養毅首相たちの最終暗殺計画が練られた。将校らは犬養毅とチャップリンが会見する情報を知り、一緒に暗殺しアメリカに恐怖心を与えようと考えたという。5月14日、チャップリンが来日。東京駅には8万人のファンが歓迎する熱狂ぶりだった。そして5月15日を迎える。急きょチャップリンは予定を変更し犬養の長男と相撲見物に出かけ、暗殺から逃れることができた。
中学生のころ、5・15事件とチャップリン暗殺計画の事実を映画の本で知ったときには、歴史的事件と喜劇映画とがなかなか結びつかなかった。青年将校らは民衆に人気があったチャップリンの命をなぜ狙ったのだろうか。もし成功していたら、猛批判にさらされたのに違いないからだ。また将校らはチャップリンの映画を本当に見ていたのだろうかと気になった。
『チャップリンの黄金狂時代』
『チャップリンの黄金狂時代』(1925)は、金鉱を探す一攫(いっかく)千金を狙う放浪紳士の話である。凍てつく雪山で腹をすかし、飢餓におちいる場面が出てくる。空腹に耐えかねた放浪紳士は、片方の革靴をお湯でぐずぐず煮て料理をつくる。皿にのせた靴のヒモをフォークでスパゲッティのように巻いて美味しそうに食べる。次に靴底に打たれた釘を取り除くと肉の付いた小骨のようにしゃぶる。少年のころから何度も見ているシーンだが、靴底が本物のステーキのように見えてきて、こちらまでお腹がふくれる気がする。
多分、将校らはこう考えたのではないか。チャップリンのボロ服を着たちょび髭キャラクターは偽物の幻影であり、本当の庶民ではないと。つまり一般の観客はスクリーンの放浪紳士を愛しその存在を信じたが、将校らはちょび髭のない大金持ちのチャップリンの実像を見ていた。虚構を信じる一般の人々と、虚構を信じきれないエリートたちとの差とでも言おうか。
雨情が5・15事件とチャップリン映画をどう考えたのかを知る資料は見つからないが、同じころ、雨情は全国各地のご当地民謡を作るための旅をしていた。その作品数と旅した距離を考えると、「新民謡狂時代」とも名付けたいくらいである。依頼されて作る新民謡とは、地方のまちおこしに他ならない。雨情は中央よりも地方に注目していた。
5・15事件の3カ月前、1月31日『今朝も別れか』(常陸竜ケ崎音頭)、2月2日『竜ケ崎小唄』など、男女の恋心と豊かな自然描いた茨城県の民謡をつくっている。その活動ぶりは、放浪紳士が愛すべき女性に出逢い、俄然バリバリと働き出す姿に似ているのだ。私には凄まじい勢いで民謡を作る雨情の姿がチャップリンの演じた放浪紳士と思えてならない。再びちょび髭が流行る時代は来るのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)